比べられる夜に心がざわつく

比べられる夜に心がざわつく

比べられる言葉に傷つく理由

「〇〇さんはすぐやってくれたのに」——この言葉、皆さんはどう受け取りますか?私はこの一言で、夜中にふと目が覚めるくらい気持ちが揺れたことがあります。決して怒鳴られたわけでも、露骨に責められたわけでもない。でも、静かに、確実に心に刺さる。司法書士という仕事は、迅速さも誠実さも問われる。だけど「すぐやったかどうか」で価値を測られると、やりきれないものが残ります。気づかれずに、誤解されて、評価がすり減っていく——そんな夜が、またひとつ積み重なっていくのです。

「〇〇さんはすぐやってくれたのに」の破壊力

このセリフ、たぶんクレームではないんです。むしろ会話の流れでポロっと出ただけだったりします。それでも、心の中では「自分は遅いと思われてるんだ」「あの人より劣ってるって言われてる」と感じてしまう。私は以前、ある不動産登記の件で確認に時間がかかり、少し返答が遅れました。すると翌日、お客様が少し困った顔でこの一言を。もちろん悪気はなかった。でもその夜、「ああ、自分の仕事って結局“早いかどうか”なんだな」と、心がスーッと冷えていく感覚を覚えました。

その一言で崩れる信頼とやる気

信頼って、目に見えないからこそ脆い。何年もかけて築いた関係が、「もっと早い人がいる」だけでガタガタっと揺らいでしまう。私はその日、仕事帰りに寄ったコンビニの店員さんの「温めますか?」の声にすらイライラしてしまったんです。今思えば、完全な八つ当たり。でもそれだけ、自分の中に積もっていた焦りと悲しみが爆発しかけていたんだと思います。

クレームではなく比べ言葉が一番効く

実は、明確なクレームよりも、「誰々はこうだった」系の言葉の方が心に来る。比較って、無意識の攻撃なんですよね。しかも、それを言った側にその自覚がない。だからこそ、自分だけが傷ついて、自分だけがダメな人間みたいに感じてしまう。この「音もなく効いてくる感覚」が、本当にキツい。

なぜ比べられると辛いのか

比べられることが辛いのは、「自分の努力が認められない」と感じるから。私は丁寧にやろうとしていた、確認を怠らなかった、それなのに「遅かった」だけでアウトになる。その理不尽さに、何度も心が折れかけました。司法書士の仕事って、地味に見えるけれど裏では常に神経をすり減らしています。

自分の仕事の価値が揺らぐ瞬間

自分では「正しくやった」と思っていた仕事が、相手にとっては「遅かった」の一言で片づけられてしまうとき、自分の存在そのものが否定されたように感じてしまう。そういう夜は、ベッドに入ってもなかなか寝つけないし、気づけばまた同じことを考えてる。まるで自分を自分で責めているような気分になります。

“すぐやる”ことと“きちんとやる”ことのはざまで

急いで雑にやってしまえば、それはそれで問題になる。でも丁寧にやって遅れたら、それもまた文句を言われる。スピードと正確性、その両方を求められる仕事の中で、どこに自分の軸を置けばいいのか分からなくなる。そうやって自分のスタイルがぐらつくと、さらに疲れていくんですよね。

比べられるのが怖くて早く返したくなる夜

あの日以来、「また比べられたらどうしよう」と思うようになって、無理に急いで仕事をこなす癖がつきました。だけど、それって本当に良いやり方なんだろうか。ある意味、心の余裕を捨ててしまったとも言えます。

スピード勝負に巻き込まれた結果

急ぐことが目的になると、目的を見失う。焦って返信して、あとからミスに気づいて、結局もう一度やり直し……。そんな悪循環に陥ることも少なくありません。私は“あの一言”が怖くて、気づけば本来の丁寧な仕事を見失いかけていました。

確認ミスが起こるメンタル状態

心理的に追い詰められているときほど、確認不足になります。自分では大丈夫だと思っていても、無意識の焦りが作業に滲む。そして些細な見落としが、大きなトラブルにつながる。この数年で、そういう場面を何度も経験しました。

“とにかく急げ”の圧に負けた日

「早くしなきゃ」と思いすぎて、夜中に資料を確認したり、スマホでメールを返したり。それが結局、自分の生活も崩してしまった。何のためにこの仕事をしているのか、自分でも見失いかける。たった一言に、ここまで影響される自分が情けなくなる日もあります。

事務員さんに八つ当たりしそうになって反省

忙しさと焦りに飲み込まれて、自分でも気づかぬうちに口調がきつくなっていた。事務員さんの「それ、明日でも大丈夫ですよね?」の一言に、「いや、今日中に」なんて言ってしまった自分が、本当に嫌でした。

自分の未熟さに気づくとき

人に当たる余裕があるなら、まずは自分を整えるべきなんです。でもその余裕すらないから、つい身近な人にトゲが向かってしまう。事務員さんが無言で書類を片付けている背中を見て、心の中で「ごめん」とつぶやいた日のことは、今でも忘れられません。

孤独な職場だからこそ冷静さを失いやすい

一人で判断して、一人で進める司法書士の仕事。だからこそ、感情のブレーキ役がいないんです。誰かが「それ、そんなに焦らなくて大丈夫ですよ」と言ってくれるだけで、少しは救われるのに。それがない環境で、自分で自分を追い込んでしまうこともあります。

比べられたからこそ見えたもの

あの一言に振り回された日々を経て、ようやく少しずつ見えてきたものがあります。それは、「自分はどうありたいか」を問い直すきっかけになったということです。

過去の自分と今の自分を比べてみる

若い頃は、“早く動くこと”が正義だと思っていました。元野球部の性格もあって、サインが出たら即行動、という習性。でも年齢と経験を重ねる中で、今は「考えて動く」ことの大切さを知りました。早さだけでは届かない領域が、確かにあるのです。

昔は“すぐやる人”だったかもしれない

20代の頃なら、夜中でも即対応していたでしょう。体力もあったし、寝なくてもどうにかなった。でも今は違う。すぐやることより、“正しくやること”のほうが重みを持つようになった。価値観が変わったというより、守るべきものが変わった感覚です。

でも今は“すぐやらない理由”がある

確認する、考える、相談する。そういうプロセスを経て仕事をすることに、時間がかかるのは当然なんです。だからこそ、「今はすぐやらない」という選択も、仕事のうち。自分が納得できるペースを守ることが、結果として信頼につながると信じています。

クライアントとの関係性の見直し

比べられたことをきっかけに、私はお客様との向き合い方を見直しました。「早さ」ではなく「質」をどう伝えるか、その工夫を始めたのです。少しずつ、ですが変化は感じています。

ただの便利屋で終わらないために

「早くやってくれる人」だけを求められるのなら、それは司法書士である必要はない。私は専門家として、お客様の財産や法的な安全を守る存在でありたい。だからこそ、何でもかんでも急ぐのではなく、「これは時間が必要です」と伝える勇気を持つようにしました。

“信頼”は時間がかかって育つ

人からの信頼って、スピードだけじゃ築けない。じっくり向き合い、時には不器用な対応も乗り越えていく中で、少しずつ強くなるものです。「あの人なら安心」と思ってもらえるには、それなりの時間が必要だという当たり前のことを、最近ようやく実感しています。

明日もまた誰かと比べられる

そう、比べられるのは明日もきっとある。でも、それを恐れてばかりでは、自分の芯がブレてしまう。自分のやり方、自分のペース、自分の信念を守る——その難しさと向き合いながら、明日もまた業務に向き合っていこうと思います。

それでも自分のやり方を守る

誰かのやり方に惑わされるより、自分のやり方に納得して働く方が、よほど健全です。反省は必要。でも「比べられること」自体に価値を与えすぎないようにしたい。私は私のやり方で、今日も登記を進めていきます。

自分の価値観を貫くために必要な鈍感さ

全部に反応していたら、身がもちません。時には「聞かなかったことにする」鈍感さも必要です。それは逃げではなく、自己防衛です。比べられたとき、「そうですか」とスルーできる自分でいたい。今はまだ難しいけれど、目指している姿です。

“誰かと違う”から意味がある

もし全員が同じように、すぐやって、すぐ返していたら、そこに意味なんてない。私が「すぐやらない」からこそ、できる仕事もある。「違うこと」に価値を見出せたとき、比べられることへの恐怖も、少しだけ和らぐのかもしれません。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。