司法書士の仕事で起きるちょっとした悲劇
日々の業務の中で、思いもよらないことで心が折れることがある。特にZoomなどのオンライン面談では、対面とは違った「間」が生まれやすく、ふとした拍子に強烈な孤独感に襲われる。先日、初めてのクライアントとZoom面談の予定があり、パソコンの前で時間を待っていた。接続はスムーズ、音声も聞こえる、しかし画面はお互い真っ暗。そして、挨拶のあとに始まった無言の30分。これが想像以上につらかった。
オンライン面談のはずが顔が見えない恐怖
Zoomは便利なはずだった。地方の小さな事務所であっても、遠方のお客様と打ち合わせができる時代。だけど便利さの裏には、思わぬ落とし穴もある。相手の顔が見えない、表情が読めない。それだけでこちらの言葉も詰まりがちになる。相手が何を考えているのか、話を聞いているのかすらわからない。その状況が続くと、だんだん「何かまずいことを言ったのではないか」と不安が募ってくる。
相手も無言 自分も無言 時間だけが流れていく
開始から5分、何も話さない相手にこちらも声をかけづらくなる。「聞こえてますか?」と何度か声をかけたが、「はい、大丈夫です」と返ってきたあとはまた無言。沈黙の時間が流れた。普通の会話なら、相手の反応を見て調整もできるけど、カメラがオフだとそれすら叶わない。自分の声が空中に溶けていくような感覚。いつの間にか、自分の存在意義すら揺らいでいた。
カメラがオフなだけでこんなに不安になるとは
面談後に一人で机に突っ伏した。「なんだったんだ、この30分は…」という思いと、「もしかして自分の話がつまらなかったのかも」という自信喪失感。カメラがオフというたったそれだけのことで、こんなに心が乱されるとは思っていなかった。技術が進化しても、人間の心の繊細さは置き去りだなと実感した瞬間だった。
「こちらから話すべきか」の葛藤
司法書士として、話をリードすべき場面は多い。だが、相手が何を望んでいるのか見えない時、こちらの行動一つ一つが怖くなる。話しすぎてもダメ、黙っていてもダメ。あのときの30分間は、まさに「何をしても裏目に出る」ような時間だった。
無理に空気を読んで自滅する司法書士あるある
「空気を読め」と教えられて育ったけど、それが過剰になると判断を誤る。特に、無言の時間に耐えきれず、焦って話しすぎたり、要点が定まらないまま脱線してしまうのはよくある話だ。しかもそれが、相手のカメラがオフという状況と重なると、空気を読むための材料すらなくなり、まるで手探りで真っ暗なトンネルを歩いている気分になる。
野球部時代の「沈黙禁止」が恋しくなる瞬間
元野球部だった頃、「黙るな!声出せ!」と怒鳴られていたのが懐かしくなる。あの頃の沈黙は許されなかった。でも、逆にそれが安心でもあった。誰かが声を出してくれていたし、沈黙は「悪」とされていたから、自分のすべきことも明確だった。今はそうはいかない。大人の沈黙は「尊重」や「配慮」と紙一重で、どこまで踏み込んでいいかもわからない。
声をかけると迷惑かもと思って何もできず
「もっと話しかければよかったのか?」「いや、無理に話しても逆効果だったかも」。そんなことばかりを考えてしまって、自分の選択を後悔し続ける。たった30分の沈黙が、こんなにも自分を責める時間になるとは思っていなかった。経験としては小さなことなのに、心へのダメージは意外と大きい。
結局 30分が無意味に過ぎたあのときの気持ち
終わってみれば、こちらの資料説明も進まず、何も決まらなかった30分。「また連絡します」と一言だけ言われてZoomは切断された。机に残ったのは開きっぱなしのPDFファイルと、やり場のない自責の念だった。誰も悪くないのに、なぜこんなにも心が重いのだろう。
あの沈黙には自分の弱さが映っていた
「どうして何もできなかったんだろう」と自問自答する。でも本当は、怖かっただけなんだ。相手に嫌われたくない、失礼になりたくないという思いが先に立ちすぎて、動けなくなった。そんな自分の弱さが、沈黙の30分にじわじわと浮かび上がっていた気がする。
時間を返してほしいというより 自信を返してほしい
結果として、その30分は何の成果も生まなかった。でも一番の痛手は「自分ってダメだな」と思ってしまったこと。司法書士としてだけじゃなく、一人の大人としても、何か足りていない気がしてくる。時間は戻らないけれど、自信くらいは取り戻したいと思う。
事務員にすら言えなかった小さな敗北感
あまりに情けない話で、事務員さんにも話せなかった。「今日は調子悪かった」とだけ言って、お茶をすすった。でも心の中では、自分の不甲斐なさに泣きたいような気分だった。このままではいけないと思いつつも、なかなか切り替えができなかった。
それでも仕事は進む でも心は残る
司法書士の仕事は日々待ってくれない。どんなに落ち込んでも、次の登記や相談が押し寄せる。でも、あの日のことは心のどこかに刺さったままだ。こうして文字にしてようやく少し昇華されるような気がする。
「これも経験」と切り替えるしかない現実
正直、あの面談を「いい経験だった」と思えるまでには時間がかかった。でも、今なら少しだけ、「失敗することでしか学べないこともある」と受け入れられる気がする。誰にでもあることだと言い聞かせて、またパソコンの電源を入れるしかない。
気持ちを分かち合える誰かがいれば
こういう話を気軽にできる同業者がもっといればな、と思う。孤独な業務のなかで、一人で抱え込むことが多すぎる。だけど、こうして書いてみると、どこかで同じように感じている人がいるかもしれないと思えて、少しだけ心が軽くなる。
だからこそ今日もまた愚痴をこぼす
たぶんまた同じような失敗をするかもしれない。だけど、こうして少しずつ吐き出して、自分を立て直していくしかないのだと思う。独り身で、愚痴を言える相手も少ないけど、せめてこの場では正直でいたい。今日の愚痴が、誰かの共感に変わることを願って。