ぬくもりに触れたいけど平気なふりをしてしまう夜に

ぬくもりに触れたいけど平気なふりをしてしまう夜に

人肌恋しいと思ってしまうのは弱さじゃない

「人肌恋しい」と感じた瞬間、どこかで自分を責めるクセがついてしまった。司法書士という仕事柄なのか、年齢のせいなのか、「弱さを見せちゃいけない」という意識が抜けない。けれど、寒い夜に布団に入って、スマホを手にすることもなく、ただ無音の中で寝返りを打つたびに、胸の内からしんしんと何かが染み出してくるような感覚。これは甘えなんだろうか。それとも、自然な感情なんだろうか。誰にも相談できないからこそ、ずっと自分の中でその答えを探してしまう。

ひとり暮らしの夜がやたら長く感じるとき

仕事終わりにコンビニで晩酌用の缶チューハイを買って帰る。温めたお惣菜とテレビの音だけが部屋の中を満たす。でも、ふと音が途切れた瞬間、時間が止まったような感覚になることがある。誰かと話したい、何でもない話で笑いたい。そんな気持ちを押し込めて、また口を閉じる。元野球部の自分には、独り言を言う癖すらない。だからこそ、この「沈黙」に心を持っていかれそうになる。

「寂しい」と言えない職業的な立場のしんどさ

司法書士という肩書きは、相談される側であって、感情をこぼす側ではない。誰かの問題を解決するために存在するはずの自分が、「寂しい」とか「つらい」とか言ってはいけない空気がある。事務所の中でも、事務員さんに弱音を見せたことはほとんどない。いや、見せられない。そういう生き方をしてきたから。

感情を置き去りにしてしまう日常業務

登記、書類、期限、連絡、修正、確認——日々の業務はまるでルーチンのように流れていく。書類の山に埋もれていれば、「考えなくていい」ことにすら安堵してしまう瞬間がある。でも、それは「考えないようにしてる」だけで、心の奥ではちゃんと声がしている。「誰かに、ただ話を聞いてほしいだけなのに」って。

書類は温かくも冷たくもない

書類というものは、感情がゼロであるからこそ信用される。そこに血は通っていない。でも、だからこそ安心でもあるし、だからこそ孤独でもある。人との関係が少ない日々の中で、どれだけ「効率的」に仕事をこなせても、「温度のない」世界に心が疲れてしまうのも事実だ。

優しさに触れたいだけなのに

「優しくされたい」と思うことに、どうしてこんなにも後ろめたさを感じるのだろう。恋愛したいわけでも、誰かにすがりたいわけでもない。ただ、夜道でふと肩を寄せたくなるような、そんなささやかな接触に飢えている。独身であることを、別に恥じてはいない。でも、正直に言えば——誰かと過ごす日常にも、ちょっとだけ憧れはある。

強がりは元野球部の性分かもしれない

「痛くないふり」「疲れてないふり」「平気なふり」。高校のときから、そうやってプレーを続けてきた。その延長で今がある。倒れそうでも、キャプテンとしては表情を崩さずにいた。社会に出ても、その「ふり」がなぜか続いてしまっている。「弱音は誰にも言わない」なんて、もはや癖になっている。

仲間がいた日々と今の静けさの落差

昔は、グラウンドに行けば誰かがいた。ベンチに座れば肩を並べる奴がいた。何気ない冗談や、きつい練習のあとのくだらない会話が、心の支えになっていた。今は、帰ってきても誰もいないし、連絡が来るのはクライアントばかり。LINEの通知が仕事の依頼しかないという現実に、少しだけ泣きたくなることもある。

「頑張れ」と言ってくれる誰かがいない

この歳になると、誰も「頑張ってるね」とは言ってくれない。言われることに慣れてない自分もいるけど、たまには欲しいと思う。「よくやってるね」とか「大変だよね」とか、そんな言葉ひとつで救われる夜があるのに。自分が自分を励まさないといけない毎日は、思っているよりもしんどい。

事務所に戻っても誰もいない現実

打ち合わせから戻ってきた事務所は静まり返っていて、電気もついていないことがある。外が寒ければ寒いほど、その無音が心に沁みる。「ああ、今日もこのまま夜が終わっていくんだな」と思うと、少し切なくなる。

一人雇っている事務員さんにも気を使う毎日

一人でやっていれば気楽だったかもしれない。でも、事務員さんがいるからこそ、言えないことも増えた。疲れていても、愚痴りたくても、相手の空気を読んで黙ってしまう。「経営者」として、「雇う側」として、余計なことは言えない。自分の内面と向き合う時間が減るばかりだ。

余計なことは言えない空気感

たとえば昼休み、話しかけたくても遠慮してしまう。仕事中に沈黙が続いても、それが「ちょうどいい」と思わせる空気感ができあがっている。だけど、本当は、「今日寒いですね」って他愛もない会話がしたい。誰かとただ笑いたい。ただそれだけのことが、なぜこんなにも難しいんだろう。

誰かに頼りたいけど頼れない

「頼る」という行為が、自分にとって一番難しい。相談される側として仕事をしているぶん、人に弱さを見せることができなくなってしまった。元来の性格もあるし、経験も積んできたからこそ、頼れる人が減ってきている気がする。

自分の感情を処理できる時間がない

目の前の仕事に追われて、自分の感情を後回しにする癖がついてしまった。クライアントの事情、登記の期限、法務局の締切。気がつけば、自分が何を感じているのかすら分からなくなっている。心が無味無臭になってきたような、そんな気さえする。

忙しさが心の隙間を埋める皮肉

「忙しいほうが気が紛れる」と思っていた時期もあった。でも、それは心の隙間を埋めるための、ただの言い訳だったんだと今は思う。誰かと過ごす時間、誰かに言葉をかける時間、それが自分には必要だったのかもしれない。だけどもう、その時間の作り方すら忘れてしまった。

それでも明日も依頼はやってくる

今日も疲れた。でも、明日もきっと電話は鳴るし、書類も届く。だから立ち止まれない。弱音を吐く暇もない。そんな日々が続くけれど、ふとこの記事を読んでいる誰かが、「自分だけじゃない」と思ってくれたら、それだけで少し救われる気がする。

同じように頑張っているあなたへ

世の中には、たくさんの頑張っている人がいる。でも、その中でも「誰にも言えない寂しさ」と戦っている人たちがいることを、僕は知っている。あなたが今、どこかでこの記事を読んでくれているなら、少しだけ心を軽くしてほしい。ほんの少しでいい。自分を褒めてあげてほしい。

独りじゃないと感じられる瞬間を少しでも

この記事は、あなたの孤独を完全に癒せるわけじゃない。でも、「同じ気持ちを抱えている人がいる」と知ってもらえたら、それだけで少し違う夜になるかもしれない。僕自身が、そうやって文章に救われてきたからこそ、今日もこうして書いている。次のぬくもりに出会える日まで、無理せず、なんとかやっていきましょう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。