誰にも言えない気持ちを打ち込む夜
司法書士という職業は、意外と孤独です。日中は誰かと関わっているように見えても、結局は自分の頭の中で完結することが多い。そんな日々の中で、夜、パソコンの前に座ると、不思議と心がほどけていきます。キーボードの音が、誰にも話せなかった気持ちを一つ一つ吐き出してくれる。声では出せない本音が、文字になってやっと自分にも伝わってくる。そんな瞬間が、僕には何度もあります。
人と話すのが怖くなったのはいつからか
昔はもう少し社交的だった気がします。野球部で仲間とバカ話をしたり、冗談を飛ばして笑い合ったり。けれど司法書士として独立してからは、人と話すことが仕事の一部になった分、逆にプライベートでは黙りがちになってしまいました。うまく話せなかった日の帰り道、何度も「もっとちゃんと伝えればよかった」と後悔します。そこから人と話すのが怖くなった気がします。失望されるのが怖くて、だんだん口数も減りました。
会話よりもタイピングの方が楽な理由
言葉は生ものです。タイミングや言い方ひとつで、誤解を生んでしまう。でもキーボードに向かえば、何度でも書き直せる。焦らなくてもいいし、泣きながらでも構わない。そういう自由さが、僕を助けてくれます。会話の途中で噛んでしまうこともないし、相手の表情を気にしなくて済む。誰にも見られていないからこそ、自分でも驚くほど正直な言葉が出てくる。タイピングは僕にとって、自分の弱さと向き合うための行為なんだと思います。
孤独だけど自由 それが文章の世界
文章はひとりで完結します。誰にも相談せず、好きなように綴れる。でもその自由の裏側には、誰にも頼れない孤独が隠れている。僕はときどき、キーボードに向かって「誰か助けて」と打つことがあります。もちろんそれを誰かに見せることはありません。でも、ただ書くだけで少し心が軽くなる。自由と孤独は表裏一体。だけど、少なくとも文字の世界では、自分の気持ちに嘘をつかなくていい。それが救いになっているのかもしれません。
司法書士という仕事がくれるもの 奪うもの
司法書士の仕事は、社会に必要とされるやりがいがあります。それは間違いありません。でも同時に、心をすり減らす場面も多いです。何気ない登記のミス一つが、大きな損害やトラブルに発展する。そういう緊張感の中で仕事をしていると、どこかで感情を切り離さなければやっていけない。自分を守るために無感情を装ってしまう。そうして気づけば、自分自身が何を感じているのかも分からなくなっているのです。
頼られる喜びと 抱えきれない重圧
依頼者から「先生にお願いしてよかった」と言われると、本当に嬉しいです。あぁ、この仕事を続けてきてよかったと思える。でもその裏で、「絶対に間違えられない」というプレッシャーも常にあります。僕は完璧じゃない。だけど、完璧を求められる。だからこそ、気が休まる時間がない。仕事が終わっても、頭の中では「本当に大丈夫だったか」と何度も確認してしまう。その重圧に押しつぶされそうなとき、やっぱり僕はキーボードに向かいます。
一人で背負い込む癖は昔から変わらない
野球部の頃から、「俺が決める」という気持ちが強かった。ピンチの場面でも仲間に頼らず、自分でなんとかしようとしてた。その癖は、今でも変わっていません。事務所を運営していても、何かあるたびに「自分が何とかしなきゃ」と思ってしまう。事務員さんに頼ることすら、申し訳ないと思ってしまうことがある。でも、そうやって何でも一人で抱えていたら、いつか潰れてしまう。分かってはいるけど、やめられないんです。
元野球部でも支え合いは苦手だった
チームプレーを大事にするスポーツなのに、僕はいつも孤立気味でした。性格的に、誰かに甘えるのが苦手なんです。練習中にケガをしても、「大丈夫」と言って我慢していた。そんな癖が、今でも仕事に影響している気がします。誰かに頼るのが下手くそ。でも一人じゃ限界があるってことを、ここ数年ようやく実感しています。キーボードには甘えられるのに、人間にはうまく頼れない。情けないですね。
事務員に弱音を吐けない自分の性格
事務員さんには本当に助けられています。でも、弱音を吐けない。疲れていても、「まだやれますよ」なんて言ってしまう。内心では、「もう無理だ…」と思っているのに。それは彼女に気を遣っているというより、情けない自分を見せたくないだけなんだと思います。弱さを見せたら、もう立ち直れない気がして。でも、そんな強がりが一番の弱さなんですよね。キーボードの前では言えるのに、目の前の人には言えない。不器用な性格です。
パソコンの画面が唯一の逃げ場所になった
世間的には「デジタルに逃げるな」と言われそうだけど、僕にとっては大切な逃げ場所です。言いたくても言えない気持ち、整理できない感情を、文字にすることでようやく向き合える。だから夜になると、ついパソコンの前に座ってしまう。そこは誰にも邪魔されない、小さな避難所。逃げるのは悪いことじゃない。逃げ場所があるから、翌日また立ち上がれる。僕にとってパソコンは、そういう存在です。
打ち込むことで整理できる感情
頭の中がぐちゃぐちゃになっているとき、無理に考えようとしてもダメです。そんなときこそ、文字にしてみる。書き出してみると、不思議と自分の気持ちが整ってくる。「本当はこう思ってたのか」「これが引っかかってたのか」って、自分で気づける瞬間があります。僕は仕事のミスや人間関係で悩んだとき、よくこうして文章を書いてきました。誰に見せるわけでもない。ただ、自分のために。そういう時間が、自分を保ってくれているんです。
言えないことほど文字にしたくなる
人には言えないことってありますよね。特に司法書士のような“信用第一”の仕事だと、ちょっとした愚痴もこぼしにくい。でも、文字なら言える。画面に向かって、心のままに打ち込む。文句も、弱音も、寂しさも。どこにも出せない言葉を文字にしたとき、やっと「自分でいられた」と思えるんです。そうやって生き延びてきた。僕はたぶん、そうやってこれからも続けていくんだと思います。
それでもこの仕事を辞めなかった理由
何度も「もう無理かも」と思いました。体も心も限界で、ふと「普通のサラリーマンに戻った方が楽かも」と思ったことも。でも、それでも続けているのは、やっぱり誰かに感謝されたときのあの気持ち。報われたような、救われたような感覚。あれがある限り、もう少しだけ頑張ろうと思えるんです。そして、そんな気持ちを思い出させてくれるのも、やっぱりキーボードなんですよね。今も、この文章を書きながら、少し心が軽くなっています。
苦しいけど やっぱり必要とされる嬉しさ
この仕事は苦しい。でも、「あなたにお願いしたい」と言われると、つい背筋が伸びる。誰かの人生の節目に立ち会える責任と重み。時にしんどいけれど、それでもやりがいは確かにある。そしてその気持ちを、ちゃんと記録に残せる場所があるのは大きい。声にならない想いは、今日もキーボードが受け止めてくれる。画面の中では、僕はちゃんと自分の気持ちを伝えられている。たぶん、それだけで今は十分なのかもしれません。