夜の帰り道がしんどくて仕方ない

夜の帰り道がしんどくて仕方ない

一日が終わってからが本当のしんどさの始まり

司法書士という仕事は、日中は事務処理に追われ、依頼人とのやりとりや法務局との調整など、気を張る場面の連続だ。ただ、実は一番しんどいのはその業務が終わったあとの「夜の帰り道」だと気づいた。仕事を終えて事務所の電気を消すと、ふと肩の力が抜ける。その瞬間に、「ああ、今日もまた孤独な夜が始まるんだな」と思う。あの静けさが余計に心を締めつける。

業務が終わっても心は休まらない

登記の準備が整い、メールの返信も終えて、タイムカードを押したとしても、気持ちが切り替わらない。むしろ、日中は気を張っていた分、終業後にどっと感情が押し寄せる。特にミスをしてしまった日や、依頼人とのやり取りで引っかかることがあった日などは、自分を責める思考が止まらない。心のどこかで「自分はこのままでいいのか」と問いかけ続ける。

机を片付けながら浮かぶ明日の不安

デスクの上を整理していると、明日の予定が自然と頭に浮かんでくる。あの案件はどう対応しようか、この書類の提出期限は間に合うか、と不安の種が次々と芽を出す。目の前にあるのは今日の終わりじゃなく、もう明日の始まりだ。片付けるという行為すら、逃れられないプレッシャーの一部になっている。休まるどころか、むしろ心は加速していく。

「今日も終わった」ではなく「明日もあるか…」

多くの人にとっては「今日も終わった」とホッとする時間だろうが、私の場合、「また明日も来るのか…」という思いが勝ってしまう。たとえ順調に進んだ日であっても、明日が安心に感じられることは少ない。もしかしたら、これは仕事に慣れていないのではなく、責任を抱える立場になったからこその重みなのかもしれない。だとしたら、ずっと続くのだろうか。

事務所を出た瞬間の虚しさ

ビルの自動ドアが閉まり、夜風が吹き抜けると、仕事から一歩引いたはずなのに、どこか現実感がない。自分がこの街の一部なのか、それともただ通過しているだけの存在なのか、ふと考えてしまう。繁華街の明かりや人の声が耳に入ってくるが、自分とは別世界のように思えてくる。肩にかけたカバンだけが妙に重く感じるのは、疲れだけじゃない。

夜道に染みるコンビニの明かり

駅に向かう途中にあるコンビニ。その明かりに吸い寄せられるように立ち寄ってしまうことがある。特に買うものもないのに、なんとなく入って、ペットボトルのお茶を一本買って出てくる。ただ、その短い時間が唯一「誰かといるような」気分になれる瞬間だったりする。レジの人とのやり取りすら、妙にあたたかく感じるのが、少し寂しい。

すれ違う人がうらやましく見えることも

カップルや友人同士が楽しそうに話しながら歩いている姿を見ると、別に羨ましいと思いたくないのに、なぜか胸がチクリとする。そんな自分に気づいて余計に自己嫌悪が増す。自分がこんな感情を持つなんて思っていなかった。でも、正直に言えば、誰かと何気ない話をしながら歩く帰り道が、たまにでもあれば救われる気がしている。

帰宅という行為が重たく感じる理由

「家に帰る」という動作ひとつが、これほど重たく感じるようになったのはいつからだろう。以前は、早く家に帰ってゆっくりしよう、と思っていたはずなのに、今では玄関の前で一拍置かないとドアを開ける気力が湧かない。静まり返った部屋に電気をつける瞬間、ほんの少しだけ息を呑む。それが今の現実だ。

一人暮らしの部屋に戻るということ

玄関の鍵を開け、薄暗い室内に入ると、少しカビ臭さの残る空気が迎えてくれる。無音の空間が広がり、テレビをつけるのも面倒で、そのままソファに沈む。今日一日を誰とも共有せず、ただひたすらに終わっていく。別に寂しさを否定するわけではないが、これが毎日だと、じわじわと精神を削っていく。

ただ静かなだけの部屋の現実

誰にも邪魔されず、誰の目も気にしなくていい空間。理想的なように思えるが、それがずっと続くと、逆に落ち着かなくなる。食卓に座っても誰もいない、風呂に入っても声は返ってこない。静かであることが安心ではなく、孤独の証のように感じる日もある。そういう日は、テレビの音すら耳障りになる。

「おかえり」がない毎日の習慣

学生時代、野球部の合宿で他人と寝食を共にしていた頃、正直「一人になりたい」と思うこともあった。だが今は、「おかえり」と言ってくれる誰かの存在が恋しい。それがたとえ事務的な言葉でも、人の気配があるだけで違う。そう感じている時点で、私はだいぶ疲れているのだろうと思う。

それでも明日も帰り道は来る

どれだけしんどくても、時間は勝手に進んでいくし、夜はまた来る。そして、帰り道を歩くことは避けられない。だからこそ、その時間に自分を責めすぎない工夫が必要だと、最近ようやく思えるようになってきた。しんどさを完全に消すことはできないが、少し和らげることはできるかもしれない。

今日より少しだけましにできるかもしれない

たとえば、ほんの少し遠回りをしてみるとか、帰りに好きなパンを買ってみるとか、意識して「自分をいたわる」行動を取るようにしている。最初は虚しく思えたが、何度か続けていくと、それが少しずつ心に効いてくる。完璧な解決ではないが、「今日も無事に終えた」という感覚だけでも、明日を迎える力になる。

同じ道でも気持ちは変えられるかもしれない

道そのものは変わらないが、自分の感じ方は少しずつ変えられる。夜道に咲く花を見つけたり、月を見上げたり、そんな些細な変化に気づけるだけでも、心は軽くなる気がする。だから今は、しんどい帰り道にも、少しだけ希望を持ってみようと思う。

しんどさの先にいる誰かのために

結局のところ、自分がしんどさを抱えながらも続けているのは、誰かの役に立ちたいという思いがあるからだ。依頼人の不安を取り除いたり、手続きを通して人生の転機に寄り添ったり。そんな仕事だからこそ、しんどくても歩き続けているのかもしれない。いつかこの道が、誰かと一緒に歩ける道になったらいいなと、そんなふうに思いながら。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。