気づけば自分を責めていた日々

気づけば自分を責めていた日々

無意識に自分を責める癖はどこから来たのか

誰かに「自分を責めすぎじゃない?」と言われても、ピンとこなかった。責めてるつもりなんてなかった。でも、気づけば一人反省会をしていたり、夜に布団の中で今日のミスを思い出しては「俺って何やってんだ」とつぶやいていたり。たぶん、無意識に自分を責めているんだと思う。いつの間にか、それが“普通”になってしまった。心のどこかで「責めることで自分を律している」と思っていたのかもしれない。でもそれは、本当に意味があることだったのだろうか。

完璧主義という名の重荷

司法書士という仕事柄、ミスが許されない現場に身を置いていると、自然と「完璧でいなければ」と自分にプレッシャーをかけてしまう。正確性が命だから、細かいところまでチェックして、何度も見直して、それでも心配になって眠れなくなる。昔から几帳面な性格だったとはいえ、最近はその性格が自分を苦しめている。まるで“完璧主義”という見えない重しを背負って、毎日試合に出ているような感覚だ。

司法書士としての「ミスできない」日常

登記申請の添付書類が一枚足りなかったことがあった。気づいたのは提出後で、急いで対応して事なきを得たものの、心臓がバクバクしていた。その夜、自分を責める声が頭の中で鳴り響いた。「なんで気づかなかった?」「あの確認の時、なぜ見落とした?」と。誰にも怒られていないのに、自分の中の“監督”が厳しく叱ってくる。まるで、学生時代の野球部でエラーした時のように。

些細な確認漏れにすら眠れなくなる夜

夜中、目が覚める。気になった書類のことが頭から離れない。もう一度確認したいけど、事務所は閉まっている。朝になってすぐ見直せばいいと分かっていても、不安で眠れない。そんな夜が何度もあった。朝を迎える頃には疲れ切っていて、「こんな働き方、続けられるのか?」と自問する。でも、誰にも頼れない、背負うしかないと思ってしまう。だからまた、自分を責めてしまう。

「真面目すぎる」は褒め言葉なのか

「真面目だよね」と言われるたび、素直に受け取れない。昔は褒め言葉として受け止めていたけれど、今では皮肉に聞こえることもある。「もっと気楽にやればいいのに」と続けられると、ぐさりと刺さる。気楽にやれるなら、とっくにやってる。真面目であることが、いつからこんなにも生きづらさにつながってしまったのだろうか。

期待されることがプレッシャーになる

周囲からの信頼はありがたい。でも、その信頼に応えようとするあまり、失敗できないという恐怖に変わる。期待されるから頑張る、でも頑張れば頑張るほど、次はもっと完璧を求められる。そんな悪循環にハマってしまっていた。実際、周りはそこまで完璧を求めていないのに、自分で勝手にハードルを上げていたのかもしれない。

仕事ができる人ほど壊れやすい矛盾

仕事を丁寧にこなしていたら「頼りになるね」と言われた。でもその“丁寧さ”が自分の心を削っていた。妥協できない性格が裏目に出て、どんな小さなことも気になってしまう。事務員がしてくれた書類のチェックにも、思わず目を通してしまう。信用していないわけじゃない。ただ、自分が責任を取らなきゃという意識が強すぎるだけだ。

他人の評価を気にしすぎると自分が見えなくなる

人の目を気にするようになったのは、いつからだろう。ミスを指摘されるのが怖くて、完璧に仕上げないと落ち着かない。だけど、それが積もると、自分の軸が分からなくなる。やりたいことより、どう思われるかを優先してしまう。それでどんどん疲れて、余裕がなくなって、また自分を責める。負のループから抜け出せなくなる。

事務員のミスは許せても自分のミスは許せない

事務員が書類の入力をミスしても、「次気をつけよう」で終わらせられる。でも、自分のミスはそうはいかない。責任の重さもあるけど、根っこには「自分だけは失敗しちゃダメだ」という強い思い込みがある。実際には人間だからミスもあるし、完璧なんて無理なのに、自分にだけ厳しくなってしまう。

優しさの矛先が外にばかり向いている

人には優しくあろうとする。怒鳴ったり責めたりしたくない。だから、何かトラブルがあっても「大丈夫ですよ」と声をかける。だけど、自分に対してはその優しさを向けられない。むしろ逆で、誰よりも厳しい言葉を自分に投げかけてしまう。優しさを外にだけ向け続けると、自分の中が空っぽになってしまう。

「大丈夫だよ」の言葉を自分にかけられない

本当は自分に一番かけるべき言葉。それが「大丈夫だよ」なのに、それがどうしても言えない。どこかで「甘えるな」「これくらいで弱音吐くな」と、自分を叱りつける声がある。だからつい、疲れているのに無理をしてしまう。休むのが怖い。だけど最近、ふと思うことがある。「そんなに無理して、何を守ろうとしてるのか」と。

責める代わりにできることを考える

責めたって状況は良くならない。むしろ、悪化することの方が多い。じゃあ代わりに何ができるのか。自分を責める習慣を少しずつ減らすこと、それが今の課題だと思っている。完璧じゃなくても、自分に「まあまあだな」くらい言える日を増やしていきたい。

自分を許す小さな習慣

一日の終わりに、自分に「今日もよくやった」と言ってみる。それだけでも少し心が軽くなる気がする。失敗しても、「でも、全体としてはちゃんと進んでる」と言えるように。いきなり自分を好きになるのは無理でも、嫌いにならずに済む方法なら、見つけられるかもしれない。

独り言で「よくやった」と言ってみる

書類整理のあと、思わず「よし」と小さく声に出した。その瞬間、なんだか救われた気がした。誰もいない事務所で、自分で自分を認めてあげる。そんな小さな独り言が、自己否定を緩めてくれる気がする。やってみると、意外といいものだ。

失敗に意味があると信じてみる練習

昔、先輩に「失敗にも価値があるよ」と言われた時は、正直ピンとこなかった。でも今なら、少しだけ分かる。失敗して、悩んで、それでも前に進んでいる自分がいる。もしそれに意味があるとしたら、自分を責める必要なんて、本当はないのかもしれない。そう思える瞬間を、少しずつ増やしていきたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。