どうしてこんなに疲れてしまうのか
最近、仕事のミスが増えている。理由はわかっている。「疲れている」この一言に尽きる。依頼が重なれば、朝から晩まで書類と電話とメールに追われる。気づけば日付が変わっていることもある。45歳、独身、地方の司法書士。気力体力も若い頃とは違ってきた。昔は夜中まで仕事しても平気だったのに、今は少しの無理が翌日に響く。疲れているのに休めない。この繰り返しが、心のどこかをすり減らしていく。
朝起きるのがすでにしんどい
目覚ましが鳴っても、身体がまったく動かない。夢の中でも書類を作っている。そんな自分に気づいて、余計にしんどくなる。ベッドから起き上がるだけで気力を使い果たしたような気分になる。朝のルーティンなんてほとんど崩壊していて、コーヒーも冷めたまま口に運ぶ。昔は朝ランしていた元野球部の自分が嘘のようだ。「今日も一日、なんとか乗り切ろう」そうつぶやくことが、最近の朝の決まり文句だ。
気が重い一日はメールチェックから
事務所に着いてまずするのは、パソコンの電源を入れてメールを開くこと。未読メールが20件を超えていたら、その時点で気持ちは沈む。ひとつひとつ開いて対応していくけれど、途中で電話が鳴り、来客があり、登記の確認が入り……と、気がつけば午前中が吹き飛んでいる。たった一通の大事なメールを見落とすなんて、ありえないと昔の自分なら思っていた。けれど、今はその「ありえない」が、平気で起こる。
「未読」が溜まるだけで動悸がする
スマホの通知も、メールも、LINEも、常に「未読」が溜まっていく。まるで「読めてないお前が悪い」と責め立ててくるようで、胸がざわつく。事務員さんにも「これはお返事どうしましょう」と言われるたび、正直めまいがする。何かを落としてしまっている気がして、ずっと焦っている。けれど、それが何かすらわからない。ただ、何かを見落としている予感だけが、毎日じわじわと自分を蝕んでいく。
昼休みなんてあってないようなもの
一応12時から13時が昼休み、ということになってはいる。けれどその時間に電話がかかってきたら出るし、メールが来れば対応する。事務員さんには「先に休んでて」と言うものの、こちらはコンビニのおにぎり片手に書類を確認しているのが当たり前になっている。気づけば午後の約束の準備もままならず、結局、昼休みどころか「休憩」自体が形だけになっている。
コンビニのおにぎりをかじりながら登記確認
狭い事務所のデスクに座り、おにぎりの包装を片手で剥きながら、登記識別情報を確認する。噛むのか考えるのかどちらかにしてくれ、という自分へのツッコミすらもう出てこない。ただ目の前の書類を処理しないと、今日が終わらない。何のために働いているんだろう、と思う余裕もないほど、とにかく目の前のタスクで頭がいっぱいだ。
事務員さんにも休憩を優先してほしいのに
ありがたいことに、事務員さんはよく動いてくれる。でも、その分、疲れていないかと気になる。できればちゃんと休んでほしい。けれど、忙しさにかまけて、つい「あれお願い」「これも見といて」と言ってしまう自分がいる。理想と現実のギャップが、自己嫌悪を生む。気遣いたいのに、できない。そんな自分にもどかしさを感じる。
補正通知を見落とした瞬間
「そんなバカな」と、自分でも信じられなかった。補正通知なんて、司法書士にとっては最重要書類だ。見落とすなんて、あってはならない。でも、実際にやってしまった。何かがおかしいと感じたときには、すでに期限を過ぎていた。封筒の山を掘り起こすようにして探し当てたとき、震える手でそれを開ける自分がいた。
封筒の山に埋もれた一枚の紙
デスクの端に積み上げられた郵便物の山。その中に、見慣れた法務局の封筒があった。封は切ってあった。でも、中身は見ていなかったようだった。自分で開けておいて、完全に処理した気になっていたのだ。内容を見た瞬間、血の気が引いた。補正期限、明日まで。いや、今日だった。頭の中で時が止まった。
一度見たはずの通知が記憶から消えていた
確かに開封はした。中身も見たはず。でも「あとでやろう」と思った。それがいけなかった。次から次へと届く案件に追われ、あっという間に忘れてしまったのだ。机の上の「見たけど処理してない」書類が増えすぎて、自分でも何がなんだかわからなくなっていた。そんな自分を責めても、もう遅い。
人間って本当に疲れていると文字が見えない
字を「読んだ」はずなのに、内容が頭に入っていなかった。そんなことがあるのか、と思われるかもしれない。でも、本当に疲れていると、目に入ったはずの文字が脳に届いていないのだ。重要な単語も、ただのノイズになってしまう。心ここにあらず、とはまさにこのことだ。
そもそもなぜ見落としたのか
忙しさがピークに達していた。依頼は増え続け、書類の山も減る気配がなかった。事務所にいる時間のすべてを使っても追いつかない。そんな中で、どこか「処理できない自分はダメだ」と感じ始めていた。焦りと疲労が重なると、注意力なんて簡単に吹き飛ぶ。補正通知を見落としたのは、そういう限界が表面化した結果だった。
チェック体制なんて整える余裕もない
大きな事務所なら、チェック体制が整っていて、複数人で確認できるのかもしれない。でも、うちは事務員さんと自分だけ。二人三脚で、時には一人で全部を抱える。どれだけチェック体制を整えたくても、現実的には難しい。「システムを導入しようか」なんて考える余裕もない。目の前の業務を終わらせることだけで手一杯だ。
ルールを作っても自分が守れない
一度、「未処理書類は専用ファイルに」「重要な通知はすぐにスケジュールに入力」など、自分なりのルールを作った。でも、それすら守れないことがある。疲れているとき、時間がないとき、つい「後でいいか」となってしまう。人間の意思なんて、疲労の前では簡単に崩れる。だからこそ、本当は仕組みが必要なのに。
事務員さんに任せきりにもできず板挟み
本当は事務員さんにもっと任せたい。でも、最終確認は自分の責任だと思うと、任せきるのが怖い。「あの書類、ちゃんと見た?」と聞くときの自分の声が、きっと相手を委縮させているだろうな、と思う。でも、任せて何かあったら…と思うと、結局自分で抱え込む。責任感と不安の間で、板挟みになっている。
それでもやめられない理由
補正通知を見落としたとき、本当に「もう限界かもしれない」と思った。けれど、不思議なもので、依頼人から「助かりました」「ありがとうございます」と言われると、その一言で少し持ち直す自分がいる。こんな状態で続けていいのかという葛藤は消えない。それでも、この仕事をやってきた自分の人生を、いま簡単には手放せない。
頼ってくれる依頼人の存在
「こんな小さな事務所でも頼ってくれる人がいる」それだけで、踏ん張れることがある。都市部の大きな事務所にはない「顔の見える関係性」がここにはある。電話一本、訪問一回に、こちらの誠実さが伝わる瞬間がある。それがある限り、まだ自分にはできることがあると信じたい。
小さな「ありがとう」が支えになる
何気ない「ありがとう」や「助かりました」が、どれだけ心を支えてくれているか。派手な成果や評価よりも、その一言の方がよほど重たい。補正通知を見落とした日も、別の依頼人から「無事登記終わりました」とお礼の電話をもらった。ダメだったことと、うまくいったこと。その両方に向き合いながら、なんとか続けている。
元野球部の意地と根性だけが残っている
部活で培ったのは、我慢強さと反省癖。失敗したら次に活かす、という考え方は、いまの仕事にも通じる。体力はもうない。でも、心のどこかで「もう一回ちゃんとやろう」と思えるのは、野球で何度も悔しい思いをしたからかもしれない。だから、自分にはまだ伸びしろがある…と、信じてやっている。