折れそうな心で回す日常

折れそうな心で回す日常

朝起きた瞬間からもうしんどい

目が覚めた瞬間、ため息が出る。たとえ前日に早く寝たとしても、頭は重く、身体が鉛のように動かない。今日もまた、誰かの登記のために、一人で書類と向き合う日が始まるのかと思うと、正直布団から出たくない。けれど、依頼者は待ってくれないし、事務員さんだって先に事務所に出てくるわけにもいかない。自分が回さなきゃ、すべてが止まってしまう。そんな責任感だけが、布団から体を引きはがしている。

布団の中で仕事の段取りを考えている自分がいる

起きたくないと思いながらも、頭の中ではすでに仕事のことを考えてしまっている。どの登記が今日の期限だったか、どの依頼者に確認の電話を入れないといけないか、あの書類は法務局から返ってきたか――そんなことを考えてしまう。目は覚めてないのに、脳だけが先にスイッチを入れてしまう。これが「職業病」ってやつなんだろうか。休みたくても、思考から業務が抜けない。自分の時間があるようで、実はどこにもない気がしてくる。

寝ても疲れが取れないという慢性疲労との付き合い方

昔は、寝たらある程度リセットできた。けれど40を過ぎたあたりからだろうか、どれだけ休んでも疲労感が抜けない。それが蓄積して、心のバッテリーがどんどん減っていく。寝ることすら「明日に備える作業」になってしまって、もはや回復ではなく「維持」が目的になってしまった。寝てもスッキリしない朝が続くと、身体だけじゃなくて精神も磨耗していく。

休みの日の前夜だけが少し気が楽になる

それでも週に一度くらい、休みを取ることがある。前夜だけは少し気が楽になる。夜のコンビニで好きなアイスを買って、録画していた野球中継を見る。ほんの数時間だけど、「誰のためでもない時間」に触れることができる。けれどその喜びも一瞬で、次の日の午後にはもう「月曜のこと」を考えてしまう自分がいる。休みも完全には心を休めてくれない。

スマホを見るだけで現実に引き戻される

朝イチでスマホを見るのが、正直怖い。未読LINEがあると「何かトラブルか?」と身構えてしまうし、Googleカレンダーのリマインダーを見るだけで憂鬱になる。昔はスマホが楽しいツールだったはずなのに、今は不安と義務を詰め込んだ通知の箱になってしまった。1件のメールで1日の気分が左右される、そんな綱渡りのような毎日だ。

未読LINEと未処理のタスクに心が折れる前兆

LINEの通知が鳴るたび、どこか胸がズキンとする。急ぎの案件か、イレギュラーか、クレームか――たいてい悪い方に想像してしまうのは、自分に余裕がない証拠だろう。未処理のToDoリストが積み上がると、それを眺めるだけで体力が削られていく感覚になる。誰かが代わってくれるわけでもないから、処理するしかない。その繰り返しに、心がすり減っていく。

その日を乗り切るためにしている小さな工夫

そんな中でも、何とか一日を乗り切るために小さな工夫はしている。例えば、朝のコーヒーを少しだけ高級な豆にしてみたり、昼ごはんをお気に入りの弁当にしたり。ほんのわずかでも「自分のため」の時間や物を取り入れるだけで、ギリギリ持ちこたえられる気がする。それがなければ、たぶんどこかでプツンと切れていたと思う。

事務所に入ると自分にスイッチが入る

事務所のドアを開けた瞬間、半ば自動的に「スイッチ」が入る。誰かの権利を守るために、誰かの生活を支えるために、今日も書類と法律の間を泳ぎ切る覚悟をする。だけど、ただ淡々と処理していくうちに、ふと「俺、何のためにやってるんだろう」と虚しくなることがある。司法書士という仕事に誇りはある。けれど、それが今の自分を救ってくれるわけじゃない。

他人の権利を守る前に自分が潰れそうになる

相続、登記、抵当権の抹消――誰かの大事な問題を処理するたびに、「俺がやらなきゃ」という気持ちは強くなる。けれど同時に、自分自身が削られていくのも感じる。他人の人生の一部を預かっているから、責任は重い。でもそのぶん、自分のケアは後回しになる。気がつけば、疲労と不安だけが積もっている。法律で守るべきは依頼者だけじゃなく、自分自身もなんじゃないかと、たまに思う。

淡々と進む登記処理の裏で湧き上がる空虚感

業務は正確に、効率的に、滞りなく進めるのが当然とされる。だけど一件終わるごとに「ふぅ」と息をついても、その達成感が心の奥には届かない。ただひたすらに「作業」をこなしている感じがして、気づけばどこかで感情が置き去りになっている。誰かの「ありがとう」だけが、わずかな救いだ。

昔はもっと正義感に燃えていたはずなのに

この仕事を始めたばかりの頃は、「困ってる人を助けたい」と思っていた。けれど、何年も業務に追われるうちに、正義感は疲労に飲み込まれた。今はもう、目の前のタスクを処理することだけで精一杯。あの頃の自分が今の自分を見たら、少し悲しむかもしれない。でも、そう思いながらも、手は止められない。情熱じゃなくて、義務感で支えている現実がある。

事務員さんの存在が救いすぎて泣きそうになる

たった一人の事務員さん。彼女がいてくれるだけで、事務所の空気が少し和らぐ。言葉数は少なくても、忙しいタイミングを察して手を貸してくれる。自分が疲れているときほど、彼女の「お先に失礼します」が、どこかで救いになっている。感謝してもしきれない存在なのに、それをうまく伝えられない自分が歯がゆい。

ありがとうって言いたいけど言えない自分

「ありがとう」「助かったよ」――本当は毎日でも言いたいけれど、照れくさくて、つい黙ってしまう。感謝の気持ちはあるのに、口に出すのが苦手なまま歳を重ねてしまった。だからせめて、少しでも働きやすいように、彼女がしんどくならないようにと気を遣っているつもりだ。でもそれが届いているのかは、正直わからない。

孤独の中にいるからこそ感じる「誰か」の重み

独身で、帰っても誰もいない部屋。そんな生活の中で、唯一「一緒に働く誰か」がいることが、どれだけ支えになっているかを思い知る。自分一人ではどうにもならないことが、この仕事にはたくさんある。たった一人でも、横に誰かがいてくれることで、今日も心が完全に折れるのを踏みとどまっている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓