資格を取ったのは誰かにすごいって言われたかっただけかもしれない

資格を取ったのは誰かにすごいって言われたかっただけかもしれない

あの時なぜ資格を取ろうと思ったのか

司法書士の資格を取ろうと本気で考え始めたのは、確か二十代の終わり頃だった。大学を出て数年、正社員にはなったものの、毎日がただの作業の繰り返し。周囲は結婚や出産などで「人生の次のステージ」へ進んでいるように見えて、焦りばかりが募っていた。何か一発逆転できるものはないか、自分に肩書きを与えられるものはないか——そう考えたとき、「資格」が浮かんだ。動機は立派なものではなかった。誰かに「すごいね」と言ってもらいたい。ただそれだけだったのかもしれない。

始まりは焦りとコンプレックスだった

今思えば、資格取得を目指したのは、「誰かに追いつきたい」「置いていかれたくない」という感情の裏返しだったように思う。学生時代から、器用なタイプではなかった。野球部では補欠止まり、恋愛もからっきし。就職してもパッとしない営業職で、成果も出せず自信がどんどん削れていった。そんな自分に「司法書士」という肩書きがつけば、少しは胸を張れるんじゃないか。そんな期待を胸に、独学での勉強が始まった。

同級生の結婚報告が刺さる夜

資格の勉強を始めた年、同級生たちから立て続けに結婚報告が届いた。SNSには幸せそうな写真が並び、コメント欄には「おめでとう!」の嵐。スマホを片手に、布団の中で何度も画面をスクロールしては、心のどこかがズシンと痛んだ。結婚どころか恋人もいない自分。せめて「司法書士です」と名乗れるようになれば、少しは見直されるんじゃないか、そんな気持ちがますます勉強に拍車をかけたのを覚えている。

すごいと言われたい気持ちは悪いことか

正直な話、「誰かに認められたい」と思う気持ちは、長らく自分の中で恥ずかしい感情だと思っていた。でも、それが努力のきっかけになったのなら、別に悪いことじゃないんじゃないかと、最近は少しずつ思えるようになってきた。誰だって、自分の存在を認めてほしいし、何かで証明したいと思う瞬間はあるはずだ。たとえそれが資格という外付けの称号でも、そのために努力した事実だけは、揺るがない。

承認欲求が原動力だったとしても

「承認欲求なんてカッコ悪い」と言う人もいる。でも、自分を突き動かしてくれたのがその気持ちだったなら、もう少し大切にしてあげてもいい気がする。誰かに褒められたいという気持ちがなければ、あの膨大な六法の文字列を前にして、何百時間も机に向かうなんてできなかったと思う。結局、人間って誰かとのつながりの中で生きていて、その中で自分の価値を確認したいだけなんだよな。

資格で埋めようとした自信のなさ

今振り返ると、当時の自分はとにかく自信がなかった。仕事も人間関係もうまくいかず、「自分には何もない」と思い込んでいた。だからこそ、「司法書士」という資格にすがったのだと思う。その肩書きがあれば、自分の中の空洞が埋まるんじゃないか、誰かに一目置かれるんじゃないかって。でも実際は、取ったところで世界が劇的に変わるわけじゃなかった。

現実の仕事はすごいなんて言われない

資格を取ったら「すごいね」と言われる未来が待ってると思っていた。でも現実は甘くなかった。開業すれば仕事があるわけでもなく、営業も実務も全部一人でやらなければならない。最初の1年なんて、電話もほとんど鳴らず、通帳の残高ばかりが減っていった。資格を取った瞬間だけは少しだけ褒められた。でも、その後の生活に「すごい」は一切なかった。

登記が終わっても拍手はない

登記の手続きが無事完了しても、お客様から拍手喝采が起こるわけではない。むしろ、「それだけ?」という顔をされることもある。地味で目立たない仕事だということはわかっていたけれど、想像以上に報われない。だけど、その「報われなさ」の中に、自分しか気づかない達成感がある日もある。誰にも言わないけど、「今回の処理、完璧だったな」と一人でニヤッとする瞬間が、今は少しだけ誇らしい。

地味で正確で当たり前な毎日

司法書士の仕事は、誰かの人生の大事な節目に関わることも多い。でもその大半は、「正確に処理されて当たり前」の世界だ。ミスがあれば責められ、ミスがなければ何も言われない。だからこそ、自分自身の中で「納得できる仕事をしたか」を問うようになった。他人に認められることより、自分の中で誇れるかどうか。それが少しずつ大事になってきた。

感謝より先にクレームが来る

丁寧に説明して、期日どおりに処理しても、「書類の漢字が違ってないか?」とか「この書類、本当に必要だったの?」といった疑念の声が飛んでくることもある。信頼されてるクライアントもいるけど、実感としては「ありがとう」より「どうなってますか?」の方が多い。それでも、この仕事を選んだ自分を、どこかで納得させる日々を続けている。

それでも資格を取ってよかった理由

何だかんだ言っても、資格を取ったことで人生が変わったのは確かだ。自信がなかった自分が、人の役に立てる場に立ち、誰かの手助けをすることができている。派手さはないけど、日々の仕事の中に「この書類で助かったよ」と言ってもらえる瞬間があると、「取ってよかったな」と心から思える。誰かにすごいって言われるより、自分で「がんばった」と言える今が、一番すごいと思える。

逃げずに努力した自分への証明

合格通知が届いた日、ポストの前でしばらく動けなかった。努力が報われた瞬間って、たぶん人生で数えるほどしかない。そのひとつがあの日だったと思う。勉強中は、何度も諦めかけた。周りは遊んでいたし、恋人もできなかったし、孤独との戦いだった。でも、逃げずにやりきった。それだけで、あの時の自分は少しだけ誇っていいと思っている。

誰にも褒められなくても支えになっている

今も別に誰かに「すごいね」と言われるわけじゃない。むしろ、孤独に作業する日々の方が多い。それでも、資格があるから食べていけるし、事務員さんと笑い合える日もある。自分の人生を、自分で選んで、自分で責任を持って続けていけている。誰かに認められなくても、この仕事が自分の支えになっているという事実は、変わらない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓