若さに勝てない気がして自分にがっかりした日

若さに勝てない気がして自分にがっかりした日

若さに押されてしまう瞬間

司法書士としてそこそこ年季が入ってきたとはいえ、ある日の法務局で出会った若い先生の姿に、思わず心がザワついた。スーツ姿に無駄がなく、書類の扱いもスムーズで、自信に満ちた受け答え。自分にもそんな時代があったはずなのに、ふと彼の背中を見て「もう勝てないかもな」と思ってしまった。年齢を重ねることが不利に思える瞬間があるなんて、かつては考えもしなかった。

法務局の待合でふと目にした若い先生

たまたま登記の補正で訪れた法務局。待合室で隣に座ったのは、明らかに20代と思われる若手の司法書士だった。電話対応も、職員とのやり取りも、どこか余裕がある。スケジュール管理アプリをサッと開いてスケジューリングしている姿なんて、まさに現代っ子という感じだ。隣の私はといえば、紙の手帳にメモを取りながら内心ドギマギしている。比べても仕方がないとは思いつつ、やっぱり比較してしまう自分が情けなく感じた。

スーツも姿勢もピシッとしているその姿

姿勢の良さや立ち居振る舞いひとつとっても、若さがにじみ出ている。あれはもう体力の問題もあるのだろう。自分が座っていると、つい猫背になるし、朝一番に法務局へ行くのもしんどい。昔は無理してでも夜中まで仕事をして、そのまま朝の法務局に駆け込んでいたけれど、今は無理がきかない。スーツだって、もう何年も同じものを着回しているが、彼のはきっと今風のブランドで、着こなしも違う。些細なことが、積もって心をざわつかせる。

「負けたな」とつぶやいた自分がいた

法務局を出た後、エレベーターの中でぽつりと「負けたな」と口に出していた。誰に言うでもなく、ただの独り言。事務所に戻る道すがら、情けない気持ちと、どうにもならない焦燥感がじわじわと湧いてきた。若さって、それだけで武器だな、と。年を重ねて得たものもあるけれど、その価値を今さら自分で信じきれずにいるのもまた事実。そう思うと、どこかで自分にがっかりしてしまっていた。

昔は自分も若かったはずなのに

あの若手の司法書士を見たとき、自分も昔はそうだったはずだ、という思いが頭をよぎった。でも、記憶の中の自分はもっと不器用で、頼りなくて、よく失敗していた。いま思えば、それが「若さ」だったのだろう。失敗を恐れず、がむしゃらに前に進んでいたあの頃の自分に、少しだけ懐かしさと羨ましさが入り混じる。

開業当初のギラギラしていた頃を思い出す

開業してすぐの頃は、何でも自分でやらなきゃという気負いが強かった。登記の書類づくりも、顧客対応も、事務作業も全部一人でこなしていた。事務員を雇う余裕もなく、夜遅くまで事務所にこもって、電気がついている時間が誇りだった。今思えば、効率なんて二の次で、ただ勢いだけで乗り切っていたような気もする。でもその時は、その「ギラつき」が自分の自信につながっていた。

目の前のことにがむしゃらだった時代

その頃の私は、未来のことなんてほとんど考えていなかった。とにかく依頼をもらえることが嬉しくて、信頼を得るために全力を尽くしていた。「まだまだ認められていない」という焦りが、逆にエネルギーになっていたのだろう。徹夜してでも仕事を終わらせることに、ある種の快感すらあった。若さって、失うと取り戻せないものだな、と今は実感する。

あの情熱を今も持てているかと問われれば

正直なところ、今の自分にあの頃の情熱が残っているかと問われると、自信がない。責任感や経験は増したかもしれないが、勢いは明らかに落ちた。慎重になった分、守りに入っているのかもしれない。だけど、それが悪いとも言い切れない。お客様にとっては、落ち着いた対応をしてくれる方が安心するという面もある。だからこそ、若さに嫉妬する気持ちと、自分の良さを見失わないようにしたいという想いの間で揺れている。

焦りと情けなさが入り混じる

年を取るということは、何かを失うことでもある。もちろん経験は積めるけど、それが常に武器になるとは限らない。特に、若い人がどんどん出てきているこの業界では、焦る気持ちと、自分の立ち位置に対する不安が常につきまとう。自分なりに積み上げてきたキャリアが、誰かの登場で一気に霞むような気がして、なんとも言えない情けなさに襲われる。

数字では勝っていても、内心はザワつく

売上や件数では、もしかするとまだ勝っているかもしれない。けれど、心の中ではすでにその若手に負けているような感覚がある。自分の中の「こうありたい姿」と、現実の自分とのギャップ。その違和感が、静かに心を侵食してくる。年齢や経験だけでは埋められないものがあることを、改めて突きつけられるのがつらい。

年齢と経験が自信になるとは限らない

昔は「経験があれば自信につながる」と思っていた。でも実際は、年齢を重ねるほど、自分に求める基準も上がっていく。昔なら誇れたことも、今となっては「当然」だと感じてしまう。そのせいか、自信がつくどころか、むしろ不安ばかりが増していく。いつか「もうダメかも」と思う日が来るのではないかという、漠然とした恐れがいつも心の奥にある。

事務所に戻って一人の静けさに飲まれる

法務局から戻って事務所のドアを開けると、そこには事務員のいない静けさが広がっていた。彼女は外回り中だった。誰もいない事務所の空気は妙に重く、さっきまでの気持ちのざわつきが一気に押し寄せてくる。電話も鳴らず、書類の山だけが目の前にある。その光景に、なぜか急に孤独感を覚えた。

忙しいのに、心はぽっかり空いている

タスクは山ほどある。次の登記申請の準備、依頼者への連絡、報告書のチェック…。けれど、そのどれもに身が入らない。やることはあるのに、心がついてこない。ふと机の上に置いたままの書類に目をやると、「本当にこれを続けていけるのか?」という思いが湧いてくる。身体は動いても、心が空っぽになったような感覚。それが一番つらい。

「あの子もいずれはこうなるのか」と思うと

さっき法務局で見かけた若手の先生も、十年後、二十年後には同じような気持ちになるのだろうか。今は元気で勢いがあっても、いずれは壁にぶつかる日が来るのだろう。そう思うと、自分だけが取り残されているわけではないという気もしてくる。だけど、今まさにその渦中にいる身としては、なかなか前向きになれないのもまた現実だ。

それでもまだここで踏ん張っている自分へ

こうやっていろいろ愚痴りながらも、私はまだこの事務所で司法書士を続けている。辞めることも逃げることもできたはずなのに、ここで踏ん張っている。誰に褒められるでもなく、ただ淡々と続けている。でも、それって実はすごいことじゃないかと、少しだけ思いたくなるときがある。

派手さはなくても、地味に積み上げてきたこと

毎日の業務に、華やかさはない。けれど、誰かの人生の節目を支えるこの仕事は、確かに意味のあることだと信じている。たとえ目立たなくても、派手な若手に押されても、自分のやってきたことには価値がある。それを自分自身が信じてあげないと、誰が信じてくれるのだろう。

誰かが見ているわけじゃないけれど

この業界で、表立って評価されることは少ない。営業成績が貼り出されるわけでもないし、表彰されることもほとんどない。それでも、「あの先生にお願いしてよかった」と言ってくれる依頼者の言葉が、たった一言でも、自分を支えてくれる。誰かが見ているわけじゃないけれど、自分だけは、自分を見捨てないでいたい。

それでもやっぱり自分の道を歩くしかない

焦る気持ちがあっても、がっかりすることがあっても、結局自分の人生は自分で歩くしかない。若い人に負けたっていい。でも、自分なりのやり方で、誰かの役に立てるなら、それで十分だ。今日もまた一歩ずつ、地味にやっていこう。そんなふうに思い直しながら、コーヒーを一口飲んで、パソコンに向き直る。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓