静かなオフィスで静かに年を取っていく気がした

静かなオフィスで静かに年を取っていく気がした

静かなオフィスで静かに年を取っていく気がした

気づけば静寂だけが歳月を刻んでいた

ふと時計を見ると、もう午後3時を過ぎていた。朝からほとんど声を発していない。電話も鳴らず、来客もなく、ただ淡々と登記の書類を整えているうちに、一日が静かに過ぎていく。そんな日が、気づけば当たり前になっていた。若い頃、こんなふうに静かな時間を好む日が来るとは思っていなかった。むしろ、音がないと落ち着かないタイプだった。でも今は、音のない空間にすっかり慣れてしまった。慣れすぎて、何かを失っていることにも気づかなくなっていたのかもしれない。

朝の始業音が聞こえない日常

かつての職場では、始業と同時に「おはようございます!」の声が飛び交い、コピー機や電話の音で空気が動いていた。今の事務所では、朝は静かにパソコンの電源を入れる音から始まる。事務員さんも静かな方で、最低限の会話だけで仕事は進んでいく。効率は良いが、感情のやりとりは少ない。静かさは嫌いではない。けれど、静かすぎると自分の存在まで薄れていくような感覚に襲われることがある。今日一日、誰にも名前を呼ばれなかったな…と気づくと、なんとも言えない寂しさが胸を突く。

事務員さんのタイピングだけが頼りのBGM

事務員さんのキーボードを打つ音が、今やこの事務所で唯一の「生活音」だ。リズムよくカタカタと響くその音に、私は妙に安心してしまう。耳をすませて、その音が聞こえてくると「今日も一緒に仕事をしているな」と実感できるからだ。逆に音が止まると、何かトラブルでもあったのかと不安になる自分がいる。人の気配に飢えている証拠だろう。小さな音にすら敏感になるくらい、この空間は静まり返っている。

ラジオもテレビもない職場の空気

事務所にテレビもラジオも置いていない。意識して「静けさ」を選んだわけではないが、気づけばそうなっていた。何かをつければ、少しは賑やかになるだろう。でも、その一歩が踏み出せない。習慣のようなものだ。そういえば以前、試しにFMラジオを流したことがあった。しかし、妙に騒がしく感じてすぐに消してしまった。静寂に慣れすぎた結果、音に耐性がなくなっているのかもしれない。

老けていく自分に気づかないふりをしていた

鏡を見る時間が減った。出勤前も、昼休みにも、鏡を避けている自分がいる。ふとしたときに映った自分の顔に、愕然とする。ああ、また老けたなと感じる瞬間。仕事に追われていると、自分のことを後回しにしがちだが、それでも年齢は容赦なく刻まれていく。昔は冗談で「疲れが顔に出るようになったら終わりだ」と笑っていたが、今はその冗談が笑えない。心のどこかで、「今のままでいいのか」と問いかけている。

人と話さないと表情筋も衰える

ここ最近、口角が下がってきたと感じる。笑顔をつくるのが面倒になったわけではない。ただ単に、笑う機会が減っただけだ。顔の筋肉は使わなければ衰えるというが、それは本当だと思う。電話越しの会話すら、段々と短くなってきた。用件を伝えれば済むから、愛想笑いも不要になってきた。無駄を省くのは悪くないが、心まで省エネモードになっていないか、自問自答する。

ふとした瞬間のため息に年齢を感じる

書類に目を通しながら、気づけばため息が漏れている。意識していないが、一日に何度もしていることに気づくと、少し恥ずかしくなる。若い頃は、ため息なんて滅多につかなかった。今は「息を吐かないと持たない」ような気すらする。重い気分を口から追い出すような、そんな感覚だ。きっと、身体も心も知らないうちに疲れているのだろう。

野球部だったあの頃の自分と比べてしまう

高校時代、野球部で泥まみれになりながら声を張り上げていた頃の自分と、今の自分を比べてしまう。あの頃は、体を動かしているのが楽しかったし、声を出すことが生きている証みたいに思っていた。今はどうだろう。毎日座って、声も出さず、身体も心も固まっていく。あの頃の「熱」はどこに行ってしまったのかと、つい過去を懐かしむ。

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しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓