もう一人の自分がほしい日

もう一人の自分がほしい日

なぜ「もう一人の自分」がほしくなるのか

日々、司法書士として地方の片隅で仕事をしていると、「もう一人、自分がいたら」と本気で願うことがある。やるべき業務は山ほどあり、電話は鳴りやまず、書類の山は減るどころか増えていくばかり。優秀な事務員が一人いるとはいえ、細かい法的判断や調整は結局すべて自分の肩にのしかかる。そんなとき、自分の分身がいれば少しはマシになるんじゃないかと、夢を見てしまうのだ。

業務量の限界と物理的な手不足

朝から晩まで登記申請や書類チェック、打ち合わせ、時には飛び込みの相談まで対応していると、体ひとつでは到底足りないと実感する。特に月末や年度末などの繁忙期は地獄。間違いが許されない業務なのに、注意力がすり減っていく。そんな日は「もう一人の自分」がパソコンの隣に座っていて、半分を肩代わりしてくれたらどれだけ楽か、なんて妄想してしまう。

感情の整理が追いつかない瞬間

ただでさえ業務が多い中で、依頼者からの理不尽なクレームや、書類に不備があった際の法務局からのきつい指摘など、精神的にも疲弊する場面は多い。誰にも愚痴れず、誰にも相談できず、自分の中で飲み込むしかない時、「感情担当の自分」と「業務担当の自分」に分けられたらいいのにと思う。精神が限界を迎えても、休めない自分を支える“もう一人の自分”が切実にほしくなる。

事務員ひとりと乗り切る日常

現在、事務所には事務員がひとり。それでも十分助けられてはいるし、ありがたい存在ではある。だが、すべてを任せられるわけではない。結局、責任は自分にあり、間違いがあれば信用を失うのは自分。たとえ過労でフラフラでも、登記は正確に完了させなければならない。そんな重圧の中、ふと「自分が二人いればなぁ」と独り言を漏らしてしまう。

雑務に追われる司法書士の現実

世間からは「先生」と呼ばれ、なんだか立派な仕事をしているように見えるかもしれない。でも実際には、掃除もコピーも備品の買い出しも、自分でやっていることが多い。それも仕事のうちではあるけれど、そうした雑務のせいで集中すべき登記の確認が後回しになるのは本末転倒だ。誰か自分の代わりに細かい作業をやってくれたら…と思う日々だ。

「先生」と呼ばれながら掃除とコピー

ある朝、依頼者との面談を控えたタイミングで、玄関マットに泥がついているのを発見。事務員は外出中。しょうがなくスーツのまま雑巾で掃除した。ついでにコピー機の紙が切れていたので補充。そうこうしているうちに面談時間ギリギリ。これが「先生」の現実だ。もう一人の自分がいれば、どちらかが準備に集中できるのにと思わずにはいられなかった。

登記申請のミスチェックも孤独な作業

登記申請の最終チェック。小さなミスが後で大きな問題になるため、何度も見直す。けれど、疲労が重なるとどうしても見落としが出る。チェックしてくれる存在がもう一人いたら…。夜中に蛍光灯の下で、一人パソコンに向かうとき、「自分B」にダブルチェックをお願いできたらなと思うのだ。

誰にも頼れないことの重さ

ひとり事務所をやっていると、すべての責任が自分にあることを改めて実感する。自分で選んだ道だ。でも、ふとした瞬間、無力さや孤独を痛感する。電話一本、メール一通の判断ミスで信用が揺らぐ。そんなプレッシャーのなか、誰にも泣き言を言えないのがつらい。

間違えても自分でリカバリー

ある日、登記申請の添付書類を一部間違えて提出してしまった。すぐに気づいて法務局に連絡し、なんとか補正で対応。だが、その日の予定はすべて崩れ、依頼者への謝罪、再作成、再提出と大騒ぎ。誰のせいでもない。自分のせいだ。だからこそ、もう一人の自分がいて「ここで止めてくれてたら」と思わずにいられない。

自分を責める声が止まらない

帰宅後、風呂にも入らず、ソファに崩れ落ちて動けなくなることがある。脳内では「なんであんなミスをしたんだ」「もうダメだ」「向いてないんじゃないか」と自責の言葉が渦巻く。誰かに慰めてほしいわけじゃない。ただ、もう一人の自分が横にいて「今日は疲れてただけ。明日やり直そう」と言ってくれたら、どれだけ救われるか。

「自分A」と「自分B」がいれば

架空の話だが、もし「自分A」と「自分B」が存在したら…。この夢想は、冗談のようでいて、切実でもある。どちらかが現実の泥臭い業務をこなし、もう一方が思考や戦略を練る。そんな分担ができたら、今よりずっと質の高い仕事ができるのではないかと、空想することがある。

自分Bに登記申請を任せたい

例えば、登記内容の確認と入力作業を「自分B」に一任できたらどうだろう。自分Aはその間に依頼者対応や営業活動に集中できる。しかも、お互いに法的判断のすり合わせができるなら、ミスの可能性も減る。こういう妄想をしている時点で、きっと相当疲れてるんだろうけど。

自分Aはカフェで息抜きしていたい

夢のような話だが、疲れた日はカフェでぼーっとしたり、本屋で時間をつぶしたりしたい。でも現実は、そんな余裕はない。だからこそ「自分A」はリフレッシュを担当、「自分B」はひたすら事務所にこもって作業。そんな世界が実現したら、バランスよく自分を保てるのかもしれない。

現実はひとりきり。さて、どうする?

残念ながら、現実には分身は存在しない。だからこそ、工夫や小さな発想の転換が必要だ。ひとりでやるしかないからこそ、ひとりでもやれるように、自分をだましだまし使っていく。ちょっとした気持ちの切り替えが、案外うまく機能することもある。

気持ちを切り替える小さな工夫

たとえば、午前と午後で「人格」を切り替えるつもりで動く。午前は超真面目モードで処理能力重視、午後は雑務中心で気を抜く。そうやって自分を「もう一人」に見立ててやるだけでも、心理的に少し楽になるのだ。演じることで、なんとか乗り切る日もある。

午前と午後で人格を切り替える

午前中は「プロ司法書士モード」。無駄な雑談はせず、淡々と登記に集中する。午後になると「ゆるキャラモード」。ちょっとした世間話もOKにし、ミスが起きても落ち込まずに笑って済ませる。たったこれだけでも、同じ自分なのに、少しだけ「もう一人の自分」がいる感覚になれる。

他人のふりして自分を励ます

ふとした瞬間、鏡の中の自分に「今日もがんばったじゃん」と声をかけることがある。恥ずかしいけれど、案外効く。誰もいない事務所で、自分にやさしくする術は、自分しか持っていない。だからこそ、「もう一人の自分」になって、今の自分を支える。

「もう一人の自分」を育てるという考え方

結局、いちばん現実的なのは、外に「もう一人の自分」を作るのではなく、自分の中に育てていくことなのかもしれない。ツールや人に頼ることも、精神的な分業につながる。完璧じゃなくてもいい、自分を守る「仕組み」を少しずつ作っていこう。

AIやツールに頼る勇気

最近ではAIによる文章チェックやスケジュール管理などもかなり精度が上がっている。最初は抵抗があったが、試しに導入してみたら、意外と助けられることが多い。もう一人の自分を外注する感覚で、積極的に取り入れてみてもいいのかもしれない。

事務員に少しずつ仕事を託す覚悟

完璧を求めて、全部自分で抱え込んでしまっていた。でも、事務員に少しずつでも任せてみると、「もう一人の自分」を信じて任せる練習になる。育てるには時間がかかるが、その分、精神的にも体力的にも余裕ができる。そうしてようやく、「もう一人の自分」が少しずつ現実になっていく。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。