忙しいねが挨拶になった司法書士の朝
朝、玄関の鍵を開けると同時に「忙しいね」とサトウさんの声が飛んできた。まるでサザエさんのオープニングのように、同じ展開が毎朝繰り返される。私の名前はシンドウ。地方で司法書士事務所を営んでいる。仕事は多い。収入は…まあ、聞かないでほしい。
サトウさんとのいつものやりとり
「先生、今日の相続登記、追加で2件です」「…やれやれ、、、」とつぶやくのが、私の日課になって久しい。彼女の目は鋭く、そして有能。私がうっかりするとすかさずフォローが入る。完全に名探偵と助手が逆だ。誰が探偵で誰がワトソンなんだか。
書類の山に埋もれる午前九時
PCの起動音すら聞こえないほど、FAXと電話が鳴りっぱなし。机には登記簿、委任状、印鑑証明が折り重なり、まるで迷宮のよう。「先生、あの件の法定相続情報一覧図、出し忘れてませんか?」「あ、うん…やってるとこ…(やってない)。」
会話の最初が忙しいねになる違和感
「ところで、サトウさん、最近何か面白いことあった?」「忙しいですね」と返される。話題を変えようにも、入り口が全部“忙しいね”で塞がれている感じだ。日常が、何かを見失っているような気がする。
電話越しにも伝わる焦燥感
「もしもし、あのー登記まだですか?」「…ええ、順番にやっております、はい…」電話の向こうでも「私も忙しいので」と言われてしまう。気が付けば、誰もが“忙しさ”という仮面をかぶって会話を遮っている。
依頼人の第一声もやっぱり忙しいね
面談に来た依頼人の第一声が「いやー忙しいね」。まるで合言葉だ。私が「本当ですね」と返せば、安心したように書類を差し出してくる。これって、もしかして手品か? “忙しい”って言葉に気を取られて、依頼の中身を見落とすマジック。
忙しさアピール合戦の裏で進まない話
「でもまあ私の方が忙しいですよ?」そんな謎の張り合いが始まると、仕事の本筋がかすむ。まるでルパン三世の銭形警部みたいに、追っているつもりが空回りしている。
昼休みの静けさと孤独な食事
コンビニ弁当のふたを開ける。箸で唐揚げをつつきながら、ふと周囲を見ると、誰もいない。サトウさんは書庫で作業中。ラジオの音も止まり、空気が重く感じる。
事務所に響く電子レンジの音だけ
“チーン”という音が昼休みのチャイム代わり。人と話すのが面倒になってくると、電子音ですら慰めに思えてくるのが不思議だ。
サトウさんの沈黙が語るもの
「…先生、最近元気ないですね」唐突に彼女がつぶやく。「そうかな…忙しいだけだよ」そう言いながらも、心のどこかがチクリと痛む。昔は忙しいって言葉、便利だと思ってたのに。
忙しいねが口癖になった自分に気づく
それって、相手の話を聞く余裕がないだけじゃないか? いや、話したくないのをごまかしてるだけかもしれない。気づくと、口から出てる「忙しいね」。反射神経で使ってる気がして、怖くなる。
午後のトラブルは突然に
「え? 印鑑証明の期限が切れてる?」またか…何度目だ、この展開。「やれやれ、、、」と思わずつぶやいた声に、サトウさんがクスリと笑った。
書類の不備と法務局からの電話
「至急再提出してください」その声は、警察アニメの本部長みたいに無表情で、心をザクザクと刺してくる。いや、これはもうトラウマレベルだ。
サトウさんの冷静さと自分の空回り
「先生、私、今すぐ車で行ってきます」そう言って書類を抱えて出ていくサトウさん。…頼もしすぎる助手。やっぱりこっちが助手なのか。
結局何が忙しかったのか分からなくなる
1日の中で何を成し遂げたのか、振り返っても記憶に残ってるのは「忙しいね」だけ。依頼人の顔も、書いた書類も、全部曖昧になっていた。
一日の終わりに残る言葉はまたもや忙しいね
「お疲れさまでした、先生」サトウさんがコートを羽織りながら言う。「今日も忙しかったですね」私も笑って返す。「明日も…忙しいね」
帰り際のあいさつがそれでいいのか
本当は「ありがとう」と言いたかったのに、「忙しいね」で締めくくってしまう。その一言で、全部まとめたつもりになる自分が情けない。
何も話せなかったことへの後悔
彼女が扉の向こうへ消える直前、なぜか胸がつまる。「今日、何か話せばよかったな」と思っても、すでに遅い。
忙しいねと言えば済んだことになる怖さ
この言葉が日常の免罪符になっていないか? 便利な盾に隠れて、人のぬくもりから逃げてないか? 静まり返った事務所で、私はようやく少しだけ、自分の声を聞いた。