登記が終わったその後に届いた一通の手紙
登記が完了したあと、まさか手紙をもらうなんて思ってもみませんでした。司法書士という仕事は、手続きが終わればそこで完結するもの。基本的には、感謝も称賛もない。むしろ「ちゃんとやって当然」という目線が常にあります。そんな中で届いた一通の手紙。その出来事は、僕の長く乾いた心に、不意にしみる雨のようでした。
忙しさに追われて心がすり減る日々
地方の小さな事務所で、事務員一人となんとかやっている。朝から晩まで電話と書類に追われ、トイレに行く時間すら惜しいこともあります。登記だけでなく、相続や後見、時には不動産の調査も。周りから見れば「机で座って書類書いてるだけでしょ?」なんて思われがちですが、精神的にはボクシングを3ラウンドくらいやってるような疲労感です。
毎日こなすだけのルーチンワーク
何も考えず、ただスケジュールに沿って登記の流れを処理する。感情をはさむ余地はなく、まるで工場のライン作業みたいになってくる。これはこれで慣れれば気楽なところもあるのですが、「何のためにやってるんだっけ?」という疑問が頭をもたげてくる瞬間が増えていくのです。
感謝の言葉なんて滅多にない
正直に言って、依頼人から「ありがとうございました」と言われること自体、稀です。むしろ、こちらが何かミスしていないか探るような目で見られることが多い。登記という仕事が“当たり前の義務”と化している現実に、時折心が折れそうになります。
ポストに見慣れない封筒があった
ある日、いつもどおりの朝、郵便受けを開けると、手書きの封筒が一通。差出人を見ると、なんとなく見覚えのある名前。登記が終わってすでに数週間が経っていたから、「何か文句でもあったか?」と、少し身構えてしまいました。
手紙なんてもう何年も受け取っていない
この仕事をしていて、手紙をもらうことなんてまずない。そもそも友人も少ないし、親戚とも疎遠。年賀状もいつしか送らなくなり、スマホとLINEがあれば事足りる時代。だからこそ、その一通の手紙が、なんだか妙に重く感じたのかもしれません。
一瞬間違いかと思った
開封するまで「まさか別の人宛じゃないよな」と何度も封筒を眺めました。中から出てきた便箋には、丁寧な字でびっしりと何かが書かれていました。思わず手が止まりました。
中身を読んで思わず固まった
手紙の内容は、先日登記を終えた依頼人のおばあちゃんからでした。代筆ではなく、ご本人の直筆。その字に、時間をかけて書いたことがにじみ出ていました。
手紙の差出人は依頼人のおばあちゃん
件の依頼は、生前贈与に絡んだ不動産登記。高齢のご婦人で、打ち合わせの時もゆっくりと話されていたのを覚えています。僕としては、手続きを淡々と終えただけ。特別な対応をした記憶もないのですが、手紙を読むと、どうやらそうではなかったようです。
そこに書かれていたのは
「先生の落ち着いた説明で、不安な気持ちが和らぎました」「何もわからない私にも、優しく接してくださって、ありがとうございました」…そんな言葉が並んでいました。普段言われないからこそ、ずしんと来ました。
先生ありがとうの五文字が胸に刺さる
その手紙の中で、一番最後に書かれていたのが「先生、ありがとう」という一文でした。文章の締めに、その五文字だけがぽつんとあり、読んだ瞬間、目頭が熱くなりました。
正直泣きそうになった
40代半ば、地方の片隅でひたすら登記と格闘してきた日々。誰かに「ありがとう」と言われたくてこの仕事を選んだわけじゃないけど、やっぱり心の奥底では求めていたんだと、自分でも気づかされました。
司法書士って意味あるのかもと一瞬だけ思った
普段は「誰でもできる作業だろ」とか「機械に取って代わられる仕事」とか自分を卑下しているけど、その一通の手紙で「いや、そうでもないかもな」と思えたんです。一瞬だけ、ですけど。
こんな気持ち久しぶりだった
感謝されることで、自分の存在が認められたような気がしたのは、本当に久しぶりでした。仕事としてこなすだけじゃない、人との接点の中に意味があるんだと感じました。
自分の仕事が誰かの力になれたのかもしれない
直接顔を合わせて「ありがとう」と言われることはなくても、こうして手紙という形で想いが届くことがある。それがたった一人でも、自分の仕事が誰かの心を支えることができたのだとしたら、それは充分意味のあることだと感じました。
でも現実はまた次の登記が待っている
感傷にひたる間もなく、また次の案件が積まれています。事務員が「この書類、締切近いですよ」と声をかけてきて、いつもの日常が戻ってくる。でも、ふと机の端に置いた手紙を見て、少しだけ肩の力が抜けた気がしました。