差し入れのパンが心にしみた日

差し入れのパンが心にしみた日

忙しさの中で忘れていた人の優しさ

司法書士という仕事は、細かい書類の山に囲まれて、ミスをすればすぐに信頼を失うシビアな世界だ。地方で一人事務員とともに事務所を切り盛りしていると、忙しさに追われて「人との関わり」なんてものを忘れてしまう日もある。特に月初や月末は地獄だ。登記の締切、法務局への書類提出、クライアントからの問い合わせ対応。そんな中、「優しさ」に触れる機会なんて、まるで存在しないように思えていた。けれど、そんなある日に、不意に心が救われた出来事があった。

朝からバタバタ 机に向かう余裕もない

その日は朝から地元の不動産会社との打ち合わせがあり、8時半には事務所を出ていた。車で移動中も、次々とスマホに着信が入る。戻ってくると事務員が申し訳なさそうに「〇〇さんから電話ありました」「□□さんが午後来所するそうです」と、メモを渡してくれる。ありがたいけれど、こっちは返す時間も気力もない。机の上は資料と押印待ちの契約書で埋まり、コーヒーすら飲めていなかった。座る間もなく、また外出の予定が入る。頭はフル回転、身体は限界寸前。

「この案件 どこまで進んだっけ」と独り言が増える

あまりの忙しさに、独り言がやたら増えてくる。「あれ、この委任状、返ってきてたっけ?」「この決済の登記識別情報、どこまで入力したっけ?」……自分でつぶやきながら手を動かす。事務員はそっと距離をとってくれるのだが、それすらも「気を使わせてるな」と自己嫌悪につながる。効率が悪くなるのがわかっていても、焦れば焦るほど手間が増える悪循環。疲れてるときほど、そういうミスが続く。

電話も来客も一気に押し寄せる魔の月曜日

極めつけは午後3時ごろ。電話が連続で鳴り、事務員が一人で対応してくれている隙に、急な来客が重なった。「今お時間大丈夫ですか?」と急に訪ねてきた依頼人に、笑顔で対応できた自信はない。書類を片付けるふりをして、心の中では「もう今日は帰ってくれ」と叫んでいた。でも、そんなことはおくびにも出せない。司法書士としての仮面は、どんなに疲れていても外せないのだ。

ふと差し入れの袋が視界に入った瞬間

そんなバタバタが続いた夕方、やっと一息つけそうだと椅子に深く腰かけたときだった。ふと、机の端に置かれた小さなコンビニ袋が目に入った。「これ、さっき〇〇さんが持ってきてくれましたよ」と事務員がぽつり。何気ない一言だったが、何かが心に引っかかった。見ると、そこにはおにぎりとパンと、ペットボトルのお茶が入っていた。そして、小さな紙切れが添えられていた。

コンビニの袋に見えた小さな気遣い

差し入れの中身は、コンビニのパンとおにぎりという、ごく普通のものだった。でも、あの慌ただしい時間のなかで、それを「わざわざ持ってきてくれた」ことが心に刺さった。依頼人は決して裕福な方ではなく、むしろこちらが何とか手続きを間に合わせようと奔走していた案件だった。それなのに、こうして気を遣ってくれる。なぜか、その袋を開ける手が少し震えた。パンの温度ではなく、気持ちの温度に手が反応したのだと思う。

中身はパンとお茶と手書きのメモ

手書きのメモにはこう書かれていた。「いつもありがとうございます。お身体に気をつけてください。」ただそれだけの言葉なのに、涙が出そうになった。最近は感謝されることが減っていた。トラブルが起きれば、まず責任を問われるのがこちら。褒められることはなく、当たり前に処理され、評価はゼロ。そんな中で、このメモは何倍にも心に響いた。感情の防御壁を、不意に壊されたような感覚だった。

「お身体に気をつけて」の一言が効いた

「お身体に気をつけて」という言葉、これほど染みたのはいつ以来だろうか。独身で、帰っても誰もいない部屋。食事はコンビニか冷凍食品。誰かが自分の健康を気にしてくれることなんて、正直ほとんどない。この一言が、まるで母親に言われたような温かさで、胸に残った。司法書士としての肩書きでも、専門性でもない、「人として」の自分が少しだけ救われた瞬間だった。

人とのつながりに救われる仕事だと改めて思う

司法書士という職業は、法律や書類を扱う冷たいイメージを持たれがちだが、実は人とのつながりが非常に重要だ。信頼関係がなければ、どんなに正しい手続きをしても意味がない。そして、その信頼は、時にこういった小さな優しさから生まれているのだと実感した。仕事の本質を忘れかけていた自分に、依頼人の差し入れが「初心」を思い出させてくれた。

どれだけ報酬をもらっても埋まらないものがある

我々の仕事は報酬を得て成り立っている。しかし、金額に見合わない手間や責任を負う場面も多く、「損したな」と感じることは珍しくない。でも、報酬だけでは埋まらない「気持ち」の部分があって、それを満たしてくれるのが、こういった人間的なやりとりなのだ。今回の差し入れは、いわば「無形の報酬」だった。これがあるから、この仕事はやめられない。

感謝されたときだけ ほんの少し報われる

やるべきことを淡々とこなしているだけでは、日々はどんどんすり減っていく。疲れて、愚痴ばかりこぼして、それでも続けているのは「たまに感謝される」からにほかならない。人からの「ありがとう」は、思っている以上に力になる。それを思い出させてくれた、あの日のパン。差し入れひとつで、1週間はがんばれた。自分にとっては、それほどの価値があった。

事務所を支えるのは信頼とちょっとした優しさ

事務所を運営していくうえで、もちろん実務能力も重要だが、最後に残るのは「人の信頼」だと感じる。依頼人、事務員、そして自分自身。信頼は、小さな優しさの積み重ねでしか築けない。電話口での一言、帰り際の笑顔、そして何より、忘れたころに届く差し入れ。それらが積もって、「また頼みたい」と思ってもらえる。事務所という看板より、そこにある温かさが本質なのだ。

また頑張ろうと思える瞬間は意外なところにある

この仕事、しんどいときは本当にしんどい。でも、心が折れかけたときに、思いがけない形で誰かが手を差し伸べてくれる。差し入れのパン、ありがとうの言葉、そんなささいなことが、次の日を生きる糧になる。もう無理かも、と思っていた自分に、「まだやれる」とささやいてくれるような出来事だった。

独り身の僕にも届いたぬくもり

独り身で、家に帰っても電気のついていない部屋。誰とも言葉を交わさず終わる夜もある。そんな生活に慣れていたつもりだったけれど、やっぱり人のぬくもりは必要なんだと痛感した。誰かの心遣いが、どれだけ孤独を和らげてくれるか。司法書士である前に、人として、そういう感情を忘れてはいけないと思わされた一日だった。

差し入れはパンだけど気持ちはフルコース

物として見れば、たかがパン。でも、そのパンに込められた気持ちは、まるで心を満たすフルコースのようだった。ひとつひとつのやり取りに感謝できる心がなければ、司法書士の仕事は続けられないのかもしれない。冷静さや正確さ以上に、「人と向き合う力」が求められる職業なのだと思う。

誰かに優しくされると まだやれると思えてくる

あの日のパンのように、誰かが自分を気にかけてくれるだけで、「もう少しだけやってみよう」と思える。特別なことじゃなくてもいい。小さな優しさが、意外と人を救っている。そんなことを忘れずに、自分もまた、誰かにとっての「差し入れ」になれたらいい。そう思えるようになった、それがこの仕事を続ける理由のひとつかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。