封筒の山が今日も机を占拠している朝の絶望

封筒の山が今日も机を占拠している朝の絶望

朝イチで机に広がる封筒の山を見るだけで疲弊する

朝、事務所に入ってまず目に入るのが、机の上に無造作に積まれた封筒の山。寝ぼけた頭が一気に覚める…というより、冷や水を浴びたような気分になる。郵便物、それもほとんどが「仕事」の塊だ。登記完了通知、税務署からのお知らせ、クライアントからの追加資料。中には厄介なクレームや再提出依頼も混ざっているかもしれない。「まだ開けてもないのに、もうしんどい」。この感覚、わかってくれる人がどれだけいるだろう。

ひとつひとつが「未処理」という名のプレッシャー

封筒一つ一つが、いわば「未処理」の札をぶら下げた仕事の塊。中を開けて確認して、必要ならば対応して、ファイルして…この一連の流れが、なぜか異常に重たく感じる日がある。いや、正直なところ、毎日重たい。元野球部だった自分、体力だけは自信があった。でも、机の上の封筒は体力勝負じゃどうにもならない。視界に入るだけで心がどんよりしてくるのだ。

手をつけないまま日にちだけが過ぎていく

「後でまとめてやろう」と思っていた封筒が、気づけば3日、いや1週間そのままだった、なんてことも珍しくない。溜まれば溜まるほど怖くなって、ますます手をつけにくくなる。そんな時、「開封する」という行為そのものが、まるで巨大な壁に見えてくる。こんな自分はダメだと思いながら、それでも動けない自分がいる。

封筒=請求書 or クレームという条件反射

封筒を見ると、真っ先に「請求書か?」「クレームか?」と悪い方に想像してしまう。実際、役所関係や金融機関からの封筒は、ほぼ9割が「対応必須」のものだ。中には、本当に嫌な内容もある。だからこそ、体が勝手に拒絶反応を示す。開ける前から、胃のあたりがムカムカする。事務員に任せればいいんだろうが、全部は任せきれないのがまたつらい。

「見なかったことにしたい」の葛藤と罪悪感

正直に言う。「このまま気づかなかったことにしてしまおうか」と思うこともある。でもそれをやってしまったら、自分の仕事が回らなくなるし、依頼者にも迷惑がかかる。わかってる、わかってるけど、それでも手が止まる。そんな自分が嫌になる。誰にも迷惑をかけてないようで、実はたくさんの人に迷惑をかけている。その自覚が、さらに気持ちを重たくする。

仕事の山に慣れないまま歳だけ取った気がする

20代のころは、「大変でも慣れればどうにかなる」と思っていた。でも現実は違った。どれだけ年を重ねても、慣れないものは慣れない。封筒の山を見るたびに、むしろ昔より弱くなっているようにさえ感じる。これが経験を積んだ結果なのかと思うと、情けなくなる。気づけば45歳。自分のキャパはとっくに超えている。

事務員に頼むべきか自分で片付けるべきか

事務員がいるだけで、昔よりは楽になった。でも、結局のところ、判断が必要な書類は自分がやらねばならない。「お願いしてもいいのかな」と悩んでいるうちに、自分で開けて処理してしまう。頼り下手な性格もあるし、変に気を遣ってしまうのだ。結果、自分の首を自分で絞める形になっている。

封筒だけでなく気力も削られていく

朝から封筒に囲まれると、その日一日の気力の半分くらいがすでに失われている気がする。ただでさえ電話や来客、登記の締め切りで神経を使っているのに、封筒一つがその上にのしかかる。問題は、これが毎日続くということ。疲れがじわじわと蓄積され、やがて無気力になる。そして気づいたら「なんでこんな仕事してるんだっけ」と自問している。

午前中の集中力を持っていかれる現実

朝は本来、頭が冴えていて集中しやすい時間帯。でもその貴重な時間を、封筒の仕分けや処理に消費してしまう。気がつけば昼が近づいていて、肝心の書類作成や申請準備に手がついていないことも多い。非効率だとわかっていても、片付けないと落ち着かない。集中力を奪うものが日常になっているのが、司法書士という仕事のつらさの一つだ。

一つの封筒に30分以上かかるのは自分だけか

「開ける→読む→調べる→対応方針を考える→連絡」。この流れを1件やるだけで30分以上かかることがある。そうなると、3通さばくだけで午前が終わる。でも、世間の他の事務所ではもっとスピーディーに回しているのだろうか。自分だけが遅いんじゃないか、要領が悪いんじゃないかという不安に苛まれる。

結局、山はまた明日積まれる

今日処理し終わっても、明日また新しい封筒が届く。終わりがない。仕事があるのはありがたい。でも、消化しきれないと、「感謝」よりも「プレッシャー」が勝ってしまう。どれだけ頑張っても、またリセットされる毎日。ゴールの見えないマラソンを走っているようで、だんだんと気力も希望も削られていく。

誰も悪くない けどやるせない

郵便物を送ってくるのは依頼者であり、役所であり、世の中の仕組みだ。誰が悪いわけでもない。でも、こちらも人間だ。日々の積み重ねで、少しずつ心がすり減っていく。怒りでもない、悲しみでもない、ただ「やるせない」。そんな感情が、朝の封筒の山に押しつぶされそうになる。

クライアントにも役所にも文句は言えない

たまに、「これは明らかにこっちの負担が大きすぎる」と思う依頼もある。でも、それを言ってしまえば関係が壊れてしまう。役所の理不尽な要求にも、納得できなくても従うしかない。結局、自分の中で処理するしかないのだ。だからこそ、ストレスが蓄積していく。誰にもぶつけられない怒りが、無言のまま心に残る。

郵便が届くのは仕事がある証 なのにうれしくない

封筒が届くのは、司法書士という仕事が必要とされている証拠なのかもしれない。でも、それを素直に喜べない自分がいる。手元に届いた時点で、「これはいつ終わるんだ」「今日はもうムリだ」と思ってしまう。感謝の気持ちが薄れている自分を責めつつ、それでも正直、笑顔にはなれないのが現実だ。

独り身の気楽さと孤独のはざまで

独身でいることの気楽さはある。誰かの生活に合わせる必要もないし、文句を言われることもない。でも、そのぶん「分かち合う相手がいない」という孤独も深い。今日、誰とも会話しなかったな、なんて日もある。封筒の山を前にして、「この苦労を分かち合える相手がいたら…」とぼんやり考えることもある。

仕事を分かち合える相手がいない日々

封筒を一緒に開けて、「あーこれ面倒そうだね」と笑い合えるような相手がいたら、少しは気が紛れるのかもしれない。でも現実は、静まり返った事務所で一人、黙々と封筒を開ける毎日。元野球部だったころの、声を掛け合いながら泥まみれでプレーした日々が懐かしい。今は、声を掛け合う仲間もいない。

じゃあどうすればいいのか

「じゃあ、どうすればこの封筒地獄から抜け出せるのか」。それを考えるのが、最近の自分のテーマだ。答えはまだ見つかっていないけど、少しずつ試していることがある。例えば封筒を「山」ではなく「仕分けの集まり」と見なす工夫や、処理をルール化して感情と切り離す方法。ほんの少しだけ、気が楽になる気がしている。

封筒を処理する仕組み化と感情の分離

「開封」「仕分け」「即対応」「後日対応」というステップに分けて処理するようにしてから、少しは精神的な負担が減った。目の前の封筒を「全部自分で背負うもの」ではなく、「流れの中で処理されるタスク」と捉えるようにしたのだ。感情と切り離すだけでも、ずいぶん違う。封筒=敵 という見方から脱却できるかもしれない。

仕分けをルール化するだけでも違った

例えば赤いペンで「要即日対応」、青いペンで「後回し可」と書くだけで、なんとなく見通しが立つようになる。対応順序が明確になることで、頭の中も整理される。そして、優先順位がわかれば、処理のストレスも少しだけ減る。ルールを作るのは苦手だったが、やってみたら案外効果があった。

封筒の山と戦わない自分を許す勇気

最後に、一番大切なことは「全部を処理しきれない自分を許す」ことかもしれない。昔は、「完璧にやらなきゃダメだ」「全部こなして一人前だ」と思っていた。でも、45歳になって、そうじゃないと気づいた。多少抜けがあっても、少し遅れても、誰かがフォローしてくれることもある。それでいいのだ。

全部自分でやらないとダメという思い込みの罠

司法書士という職業柄、「責任感」はとても大事だ。でも、その責任感に縛られすぎて、自分を追い詰めてはいけない。任せられることは任せていい。休んでもいい。そう思えるようになったのは、事務員さんの何気ない一言がきっかけだった。「先生も人間ですから」。その言葉に、涙が出そうになった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。