司法書士事務所に鳴った最初の電話
午前九時 名乗らない女性からの着信
朝一番、コーヒーを入れ終わるかどうかというタイミングで、事務所の電話が鳴った。
相手は女性だったが、声はひどくかすれており、「あの、ひとつだけ…」と言ったまま、沈黙が続いた。
シンドウが名乗る間もなく、電話は唐突に切れた。
会話は一方的に切られた
シンドウは受話器を持ったまま、しばしその場に立ち尽くしていた。
こういう唐突な連絡はたまにある。遺産相続や家庭の事情などで、依頼に踏み切れないことも多い。
しかし、何か胸にひっかかるような違和感が残った。
二度目の電話とサトウさんの違和感
声の主は同じ だが内容が違う
昼を少し回った頃、二度目の電話が鳴った。今度は少しだけ長く話した。
「登記の記録を見てほしいんです。昔の家のことを…」と女性は言った。
だが、最初の電話の声と微妙に違うような、同じような、不確かな感覚だけが残った。
「過去の登記記録を確認してほしい」
依頼内容としては珍しくない。古い土地建物の名義や所有者の確認など、日常茶飯事だ。
しかし、女性が言った地番は、どこかで聞いたことがあるような気がした。
「やれやれ、、、」と呟きながら、シンドウは書棚から厚い台帳を引き抜いた。
やれやれ、、、と書類の山を掘り返す
旧い所有権移転登記に残る違和感
棚の奥にしまわれていた昭和の記録帳。そこに問題の地番があった。
だが、その所有権移転には委任状の写しがなく、処理も特例扱いになっていた。
「昭和58年に亡くなった所有者が、平成で名義変更されてる…?」とサトウさんが眉をひそめる。
手書きの備考欄に書かれた謎の地番
その備考欄には、小さな文字で「地番整理前:乙区134」と走り書きされていた。
そこに気づいたサトウさんが「これ、今は別の場所の地番に変わってますね」と言いながら地図を広げた。
新しい地番を調べると、それは市外の、誰も住まなくなった旧集落だった。
三度目の電話がかかってきたとき
電話口でかすかに聞こえた「助けて」
午後五時すぎ。最後の一本が鳴った。電話の向こうから、今度ははっきりと「助けて」と聞こえた。
だがそれだけで、またもや通話は切れた。
サトウさんは「さっきの地番の場所、明日行ってみませんか」と言った。
住所も名も告げずに切れる通話
依頼者の名前も、具体的な依頼もわからない。
しかし「助けて」という声は明らかに何かを伝えたがっていた。
コナンのように劇的ではないが、地味な謎ほど根が深い。シンドウは立ち上がった。
サトウさんの推理が始まる
過去の登記に記された地番から場所を特定
「乙区134は現在の『清水野1105』ですね」
サトウさんは一人で調査用タブレットを操作し、旧地図と照らし合わせて位置を特定した。
その場所には、戦後に建てられた旧家があるらしい。
あの依頼人は本当に存在するのか
そもそも、三度の電話をかけてきた人物は実在するのか?
録音もなければ、発信元も不明。だが、確かに「声」はあった。
まるで怪盗キッドが残すトリックのように、証拠を最小限にとどめた謎だった。
現地調査で判明した真実
空き家に残された受話器
次の日、現地に向かうと、古びた空き家の玄関脇に設置された黒電話が目に入った。
受話器は外れ、床に落ちていた。ホコリをかぶっていたが、昨日の夜に誰かが使った形跡がある。
「発信はできないタイプですね。外線回線が切られてます」とサトウさん。
電話は固定回線 外部から発信不可能
つまり、あの電話はかかってきたふりをして、実はどこにもつながっていなかったのではないか。
じゃあ、あの「助けて」は誰が? 誰に向けて?
空き家の隅に、埃をかぶった写真立てが倒れていた。
シンドウの回想と決断
元野球部の勘が告げる「これは罠だ」
写真立ての裏に貼られていた紙に、小さく「委任状は渡した」と書かれていた。
これが昔の登記に関係していた委任状なのか? だが、それは写しすら残っていなかったはず。
「やれやれ、、、俺の仕事、意外とホラー寄りだったかもな」とシンドウは呟いた。
封印された委任状ファイルの意味
事務所に戻ったあと、古いファイルを再確認したところ、例の登記のページに別紙が追加されていた。
登録日が昨日になっている。不自然すぎる。誰が触れた? なぜ今になって?
その別紙には、登記を依頼した者の名が記されていたが、それは30年前に死亡している人物だった。
事件の幕引きとサトウさんのひと言
「だから最初から言いましたよね」
サトウさんは冷静だった。「だから、これは調べるだけムダかもしれないって言いましたよ」
だがシンドウはうなずいた。「でもな、依頼があったら断れないのが司法書士なんだよ」
彼は机の上の受話器を見つめながら、深いため息をついた。
シンドウのため息と珈琲の湯気
「ま、明日もきっと変な電話が鳴るだろうな」
珈琲の香りが静かに広がる事務所。受話器は今は静かだが、再び鳴る気配だけが確かにある。
誰かが、まだ助けを求めているのかもしれない。
三回の電話が教えてくれたこと
司法書士に届くのは依頼だけじゃない
時に、司法書士には「声」だけが届くことがある。
書類も報酬もない、ただの叫び。それでも、応えるべき義務があると信じている。
それが、シンドウの仕事なのだ。
忘れられた声が呼ぶ、もうひとつの真実
三度の電話が教えてくれたのは、誰かがまだ過去に囚われているということ。
登記簿の中で眠る、声なき依頼。
そして、今日もシンドウはまた、新しいファイルを開くのだった。