がんばったはずなのに報われない夜
朝から晩まで走り回って、案件も無事に終わらせた。依頼者にも感謝されて、今日はよくやったと自分でも思える一日だったはず。でも、ふと一息ついて時計を見たとき、押し寄せてきたのは達成感じゃなくて、どこか空虚な気持ちだった。こんな日、ありませんか?全力を出した日の夜ほど、ぽっかりと心に穴が開いたような気持ちになる。がんばれば満たされると信じていたのに、なぜか逆にさみしさが増していく。これは一体どういうことなんだろう。
一日中走り回ったのに達成感がない
今日は朝イチで相続登記の打ち合わせ、そのまま法務局へ移動して書類提出。昼ごはんはコンビニのおにぎりを片手に車の中。午後は役所との調整でヘトヘト、夕方からは依頼者の相談対応。家に帰ったのは21時を過ぎていた。体は疲れているのに、心はどこか宙ぶらりんで落ち着かない。たしかに仕事は片付いた。だけど「やったぞ」という気持ちはどこにもない。ただやることをこなしただけの一日。これって、何なんだろう。
成果は出ているのに誰にも気づかれない
そもそもこの仕事って、ちゃんとやって当たり前。何か成果を出しても、誰かに褒められることなんて滅多にない。むしろ「ありがとう」のひと言さえ、もらえないことがある。自分の中では小さな達成でも、他人から見れば「それで?」って感じなのかもしれない。だからこそ、がんばった日の夜に一人でいると、自分の努力が本当に意味のあるものだったのか疑ってしまう。認めてほしいわけじゃない。でも…たまには誰かに気づいてほしい。
「おつかれさま」がこんなに欲しくなるなんて
事務員さんがまだ残っている時間なら「おつかれさまでした」と言い合える。でも自分一人で事務所を閉める夜は、そのひと言すらない。部屋に帰ってテレビをつけても、そこには自分のがんばりを知っている人なんていない。SNSを見れば楽しそうな投稿が流れてくるだけ。こんな夜、「おつかれさま」って一言、誰かに言ってもらえるだけで、救われる気がする。思っていたよりも、ずっと自分は孤独だったんだなと気づかされる瞬間だ。
事務所に戻った瞬間のしんとした空気
日中の慌ただしさとは裏腹に、夜の事務所は妙に静かだ。ファイルの山、未処理の書類、消し忘れた電気。がんばった自分への報酬はこの沈黙だけかと思うと、ちょっと切なくなる。達成感や充実感が湧き上がるどころか、むしろ「誰のためにこんなに頑張ってるんだっけ?」という疑問が湧いてくる。この空気に耐えられなくて、あえて帰宅を遅らせたり、意味もなく掃除を始めたりしてしまう。
疲れてるのに電気を消す気にもならない
くたくたに疲れて帰ってきても、ベッドに倒れ込む気にもならず、ただ電気をつけたままぼーっとする。テレビも見ない、スマホも触らない。体は動かないけど、気持ちだけが落ち着かない。照明の下で一人佇む時間が、がんばりの余韻を噛みしめるにはあまりに味気ない。静かすぎて、いろんな思いが浮かんできてしまう。なんでここまでやってるんだろう、って。
雑音のない静寂が心にしみる夜
昔は「静かな夜は癒し」だと思ってた。だけど今は違う。何の音もしない時間は、自分と向き合わされる時間でもある。「孤独」とか「虚しさ」とか、普段は無視してる感情がじわじわと押し寄せてくる。だから無意識にテレビをつけたり、YouTubeで野球の試合を流してみたりする。でも結局、心の奥には何も響いてこない。音があるだけじゃ、さみしさは消えない。
誰かと分かち合いたいだけだった
がんばったことを誰かと一緒に喜びたかった。それだけなのに、それができない現実に心が追いつかない。特別なことを望んでるわけじゃない。ただ「今日、俺、結構がんばったんだよ」って笑って言える相手がいたら、それで十分だったのに。
承認欲求とかじゃないんだよな
よく「承認欲求」って言葉で片付けられるけど、それとはちょっと違う気がする。別にSNSで「いいね」が欲しいわけでも、誰かに褒められたいわけでもない。ただ、がんばったことを「知ってくれている」存在が欲しい。それだけで、がんばる理由って持続すると思う。孤独の中では、自分の努力さえ霞んで見えてくる。誰かの目があるって、やっぱり大事なんだ。
モテない男のさみしさは合理的じゃない
女の人にモテたかった時期もあった。でもいつの間にか、恋愛云々じゃなくて、人と心を通わせることそのものが難しくなってた。仕事をしていると、どこか鎧を着たままの自分がいる。弱音も本音も出せず、ただ結果だけが求められる。だからこそ、日が暮れてその鎧を脱いだとき、一気に寒くなる。がんばった日ほど、そのギャップで余計さみしくなるのかもしれない。
がんばり続ける理由を見失うとき
気づくと、自分が何のためにがんばっているのか分からなくなることがある。依頼者のため?自分の生活のため?事務所を守るため?全部そうなんだけど、どこか納得できない。モチベーションって目に見えないから、なくして初めて「あれ、俺、何を原動力にしてたんだっけ」と戸惑う。だからこそ、時々でも誰かに「よくやってるよ」って言ってもらえるだけで、また前を向けるのかもしれない。
それでもまた明日もがんばる自分へ
そんな夜を過ごしたあとでも、結局また朝が来て、いつも通り仕事に向かう。文句を言いながら、愚痴をこぼしながら、やるべきことをやっている。自分でも不思議だけど、それが自分の生き方になっているんだろうなと思う。がんばった日の夜がさみしいのは、それだけ本気で向き合った証かもしれない。
感情の波とうまく付き合うしかない
どうしても心が不安定になる夜ってある。でも、無理にポジティブになろうとしなくてもいい。さみしさも、虚しさも、人間らしい感情だと思うから。その波を受け入れつつ、自分のペースでまた前を向けばいい。完璧じゃなくていい。途中で休んでもいい。そうやって続けていくしかないのかもしれない。
小さなごほうびが心を保ってくれる
最近、がんばった日の帰りにコンビニでちょっと高めのスイーツを買うのがマイルールになってる。誰かに褒められなくても、自分で自分を労う。たったそれだけでも、心が少し柔らかくなる気がする。がんばり続けるには、自分なりのごほうびが必要なんだと思う。たとえそれが些細なことであっても。
共感してくれる人が一人でもいれば
この文章を読んで、「ああ、わかるよ」って思ってくれる人がいれば、それだけで救われた気がする。自分だけじゃなかったんだと思えるだけで、もう少しがんばれる。司法書士として、男として、人として、不器用に日々を生きてるけど、たまにはこうして気持ちを吐き出すのも悪くない。明日もたぶんさみしい夜が来る。でもそれでも、自分は自分の仕事をしていく。