スーパーに癒しを求めた夜に気づくこと

スーパーに癒しを求めた夜に気づくこと

スーパーに立ち寄る理由は疲れを紛らわせるためだった

今日もまた、仕事帰りにスーパーへ向かう。自宅の冷蔵庫に食材がないわけじゃない。むしろ、インスタント味噌汁とレトルトカレーのストックは潤沢だ。でも、あのまま家に直帰する気にはどうしてもなれなかった。なんとなく、もう少しだけ誰かの気配を感じていたい。誰かと会話する気力はないくせに、完全な孤独もつらい。そんな矛盾した気持ちを抱えながら、気づけば毎日のようにスーパーの自動ドアをくぐっている自分がいる。

誰かと話す元気はないけれど誰かを感じたくなる

事務所ではほぼ一日中、電話と書類に追われている。依頼者の話をじっくり聞くこともあれば、裁判所や法務局とのやりとりもある。仕事柄、人との関わりは避けられない。でも、不思議と「誰かとつながっている」という実感は薄い。だからか、仕事終わりには無性に“ゆるい人の気配”が恋しくなる。スーパーの中では、親子連れの笑い声や、夫婦のちょっとした言い合いが耳に入る。それだけでなぜか心がふっと軽くなるのだ。

値引きシールの光が心に優しかった

疲れた体で歩く惣菜コーナー。そこに貼られた「20%引き」「半額」のシールは、まるでご褒美のように感じる。ただでさえ世知辛い日常、せめて今夜くらいはお得に済ませたいというささやかな希望。値引きされた唐揚げやエビチリを手に取る瞬間、妙な満足感に包まれる。ふと「自分も今日という一日を乗り切った」と実感できる、そんな瞬間があるのだ。

惣菜コーナーに並ぶ人影にホッとする矛盾

別に知り合いでもないし、話しかけることもない。でも、同じようにネクタイを緩めたサラリーマンがカゴ片手に歩いている姿を見かけると、なぜか安心する。「ああ、自分だけじゃないんだな」と思える。彼らもきっと、家に帰ってレンジでチンして、一人で夕飯を食べるのだろう。どこかでつながっているような、錯覚でもいい、そう思いたい夜がある。

つい手に取るのは決まって甘いもの

健康のことを考えれば、チョコレートなんて控えた方がいいに決まってる。それでも、つい手が伸びる。疲れた日ほど、甘いものがやたらと恋しい。プリン、どら焼き、チョコレートアイス。どれも冷蔵ケースの中で、何事もなかったかのように並んでいる。「頑張ったご褒美だ」と言い訳をしながらカゴに入れる。自分で自分を褒めてやることが、いつの間にか習慣になってしまった。

事務所を出るころにはもう話す気力も残っていない

書類の山と電話対応に疲れきって、事務所のドアを閉めるころにはもう何も話したくなくなっている。事務員さんには「お先に」とだけ言って、あとは無言でカバンを持って駐車場へ。車のエンジン音だけが頼りのような夜もある。家路につく前に、どこかでひと息つきたくなる。コーヒーでもなく、居酒屋でもなく、スーパー。それが今の自分にとってちょうどよい距離感なのだと思う。

クライアント対応の余韻が心に残る夜

依頼者の悩みや不安は重い。それを受け止めるこちらの心も、正直へとへとになる。登記ミスの恐怖や、裁判所との連絡の不確実さ。すべてを背負いきれずに、どこかで誰かに「お疲れ」と言ってもらいたくなる。でも、その誰かがいない現実。せめてスーパーで、無言で並んでいる他人の存在が、自分を癒してくれる。

誰にも迷惑をかけない場所がスーパーだった

バーに行けば会話が生まれるし、喫茶店では閉店時間がある。でもスーパーは、無言でもいられて、気ままに長居できる。レジに並ぶまで誰とも関わらなくてよくて、終わったらさっさと帰れる。人に迷惑もかけず、距離を取りたい気分にも応えてくれる。そんな場所って、意外と少ないのだ。誰かと一緒じゃなくても、居場所として成立してしまうスーパーの器の広さに、ちょっと感謝している自分がいる。

電話が鳴らない静けさが嬉しい場所

スマホの通知も少しだけ音量を落として、買い物中は見るふりをして見ない。法務局からの折り返しが怖いわけじゃない。でも、今だけは何にも追われたくない。スーパーでは「あとで折り返します」の言い訳が許される。レジの音や店内BGMが、心を静かにしてくれる。電話の鳴らない静けさが、どれだけ贅沢か身にしみる夜だ。

スーパーの蛍光灯とBGMに包まれる安堵

事務所の蛍光灯はどこか冷たくて、目が疲れる。スーパーのそれは妙に柔らかく感じる。たぶん気分の問題だろう。BGMはどこか懐メロだったり、ちょっと明るすぎたり。でも、それすらも嫌じゃない。「ここでは深刻にならなくていい」と思わせてくれる空気が、スーパーにはある。大げさかもしれないけど、生きてることを肯定されたような気分になる。

ふと我に返るレジ前の孤独

カゴの中に入っているのは、見切り品のサラダ、惣菜のコロッケ、プリン、そして発泡酒。レジに並ぶと、ふと「なんでこんなことで癒されてるんだろう」と自問してしまう。でも、答えは出ない。店員が無表情でバーコードを通していく音が、やけにリアルで、どこかで胸がチクッとする。そんな夜もある。

店員のマニュアル笑顔が沁みるとき

「ポイントカードはお持ちですか?」と聞かれて、つい「ないです」と答える。それだけのやりとりに、なぜか妙な温かさを感じてしまう自分がいる。マニュアル通りの対応だってわかってる。でも、誰かが自分に話しかけてくれてるという事実が、今日は沁みる。こんな自分が少し情けない。でも、それもまた人間だと思いたい。

サッカー台で詰めるのは惣菜と孤独とため息

レジ袋を広げて、そっと惣菜を詰める時間。誰に急かされるわけでもなく、ただ黙々とカゴから取り出していく。あの瞬間、たぶん自分の表情はかなり疲れてる。でも、それでもいい。誰も見てないし、誰にも気を使わない。その自由さと引き換えに、どこかで寂しさが込み上げてくる。だからまた、明日もここに来るのかもしれない。

レジ袋が小さくてちょうどいい人生

大きな袋はいらない。詰めすぎると破れるし、そもそもそんなに入れるものもない。小さめの袋に、ほどよく入った食材。それで十分満たされる夜がある。人生もたぶん、そんなもんでいいのかもしれない。満たされすぎると怖いし、空っぽもつらい。ちょうどいいサイズの袋と人生を、今日も片手に帰る。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓