大変ですねと言われても説明しきれない大変さ

大変ですねと言われても説明しきれない大変さ

「大変ですね」のひと言で済まされる日々の重み

「司法書士って大変ですね」と言われることがある。もちろんその通りだ。でもその「大変」の意味が、どうも軽く聞こえてしまう。たとえば、終電を逃して事務所で仮眠しながら書類を仕上げた夜や、法務局の対応で胃がキリキリした日々のことをどう説明したらいいのだろう。頭を下げ、気を遣い、責任を背負い続けるこの仕事。大変と言えば大変だが、その重さは日によって形を変える。誰にも説明しきれないその「大変さ」が、胸の中でどんどん溜まっていく。

想像と現実のギャップは深い

知り合いから「机で書類を書く仕事でしょ?楽そう」と言われたことがある。その時、思わず苦笑いしてしまった。実際には役所とやり取りし、依頼者と電話で調整し、移動して立ち会いをし、事務員さんに指示を出しながら並行して自分の仕事を進める。事務所にじっと座ってる時間なんてほとんどない。午前中に2件外回り、昼に銀行、午後に法務局、夕方から面談、夜にようやく事務作業。そんな毎日だ。想像される司法書士像とのギャップに、心の中で「楽じゃないんだよ」とつぶやくしかない。

デスクに座っている時間は意外と短い

誰かが抱く「書類仕事」というイメージは、椅子に座って黙々と作業している姿かもしれない。けれど実際は、机に向かって座れる時間の少なさに驚くと思う。あれこれ電話が鳴り、来客があり、急ぎの登記案件が舞い込めばすぐに飛び出す。午前中ずっと出先、午後も打ち合わせ、ようやく夕方に戻ってきても机の上にはメモと封筒の山。結局、書類と向き合えるのは夜しかない。「机仕事」どころか「すき間時間仕事」だと感じることも多い。

一日が終わっても、頭は回り続けている

事務所を閉めて帰宅しても、頭の中では「明日の件は大丈夫か」「あの書類の確認したか」がグルグルしている。とくに相続や売買の案件は一つミスがあるだけで、大きなトラブルに繋がる。だからこそ、布団に入っても安心して眠れない夜がある。元野球部で体力には自信があったけれど、精神的な疲労がこんなに長引くとは思わなかった。頭を休めることの難しさも、司法書士という仕事の一部だと思っている。

大変とわかっていても選んでしまった仕事

司法書士になるにはそれなりの覚悟が必要だ。自分で選んだ道なのだから、大変さも承知の上だと思われがちだ。でも、知識や資格ではカバーできない「現場の空気」や「対人のしんどさ」は、やってみないとわからない。依頼者との関係、書類の精度、時間との闘い。そのすべてを背負って立つ仕事だからこそ、覚悟を超えた「続ける力」が試されている。

開業当初の「やる気」と今の「疲弊」

開業したばかりの頃は、目の前の仕事がありがたくて仕方なかった。とにかく一つひとつ丁寧に、ミスなく、全力で。けれど年数を重ねてくると、量も責任も増え、気力だけではどうにもならなくなる。毎月の支払い、事務員さんの雇用、依頼者の期待。やる気だけじゃ維持できない現実が、どんどん肩にのしかかってくる。「やりがい」は今もあるが、「しんどさ」も同じだけ育っている。

それでも辞められない理由

辞めたいと思ったことは何度もある。でも結局、辞められなかった。それはきっと、自分が関わった案件が誰かの人生にちゃんと意味を持つからだ。登記が無事終わった時の依頼者の安堵の顔や、「助かりました」と言われた瞬間。その一つひとつが、自分の存在を肯定してくれるような気がしてならない。司法書士は、無味乾燥な書類の仕事ではなく、人の人生に関わる大切な職業だと、心のどこかで信じている。

誰にも話せないプレッシャーが積もる

この仕事は、一つのミスが大問題になる。だからこそ常に緊張感をもって作業しているけれど、そのストレスは人に話せる種類のものではない。たとえば、依頼者の前では冷静を装っていても、実は帰りの車の中で泣きそうになっていることもある。プレッシャーの正体は「誰も代わってくれない」という孤独だ。

ミスは許されないという無言の圧力

一度、相続登記で記載ミスをしてしまい、依頼者に平謝りしたことがある。大きなトラブルには至らなかったが、その夜は自己嫌悪で眠れなかった。たった一字のミスでも、信頼は揺らぐ。どんなに注意していても、人間だからミスは起こる。その当たり前が、この仕事では通用しない。常に完璧であることが求められる。その無言の圧力に、押し潰されそうになる瞬間がある。

遺産分割協議書の一文に怯える夜

夜遅く、事務所で遺産分割協議書を読み返していた時、ふと不安がよぎった。「この文言で、きちんと法的に通るか?」急いで作り直したが、確認と見直しに2時間以上かかった。その間、胃の奥がずっと痛かった。誰かの人生の分岐点に立ち会う書類だからこそ、ほんの一文でも誤りは許されない。その怖さと、向き合い続ける日々だ。

誰かの人生を背負う書類たち

司法書士が扱う書類は、ただの紙ではない。離婚、相続、売買、贈与…。どれもその人の人生がかかった瞬間だ。だからこそ、責任の重さが違う。印鑑ひとつ押してもらうまでの緊張、誤解が生まれないように言葉を選ぶ配慮。その積み重ねに、疲れ果てることもある。でもその書類を通じて、「この人の役に立てた」と思える時だけが、報われる瞬間だ。

事務員さんに助けられて、やっと成り立つ

私は一人の事務員さんに助けられている。彼女がいなければ、事務所はまわらない。スケジュール調整、電話応対、提出書類のチェック…細かくて地味で、でも絶対に必要な作業を、淡々とこなしてくれる。私がイライラしている時にも、落ち着いて支えてくれる。その存在の大きさに、感謝と申し訳なさがいつも心に同居している。

ありがたさと申し訳なさの間で揺れる

忙しくなればなるほど、事務員さんにお願いする仕事が増える。終業時間を過ぎても残ってくれている姿を見ると、「このままでいいのか」と自問自答する。待遇だって、十分とは言えないかもしれない。でも現実には売上にも限界がある。「助けられている」と分かっていても、それに応えきれない歯がゆさがある。

誰かと働くって、難しくてありがたい

司法書士は孤独な仕事だが、誰かと一緒に仕事をすることで救われることがある。愚痴をこぼせる相手がいる、雑談できる時間がある。それだけで、ずいぶん違う。人と働くというのは簡単ではない。でも一緒にいてくれる人がいるから、今日もなんとかやれている。そんな日々が続くことを、ただ願っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。