仕事が生きがいになりきれない日々に思うこと
朝の目覚ましが憂鬱になる理由
朝、目覚ましの音が鳴ると、つい「あと5分…」と布団にしがみついてしまう。学生時代は野球部だったから、朝練で目覚ましが鳴るたびにすぐに飛び起きていたのに、今は違う。司法書士として事務所を構えて十数年、朝がくるたびに少しずつ心が重くなっているような気がする。仕事が嫌いなわけではない。むしろ真面目に取り組んでいるつもりだ。それでも「今日もまたか」と思ってしまうのは、どこかに期待していた“生きがい”がまだ見つからないからなのかもしれない。
生きがいどころか義務感だけで動いている
気づけば、仕事がただのルーティンになっていた。依頼があれば対応し、書類を作り、登記を済ませる。とにかくミスがないように神経を張り詰めながら処理していく。依頼者の「ありがとう」に救われることもある。でも、どこかで“やらなきゃ”という義務感に追われていて、自分の気持ちが置き去りになっていた。昔は、司法書士になったら人の役に立てると信じていた。けれど今は、自分が何のために頑張っているのか、自問自答することが増えた。
この仕事が好きだったはずなのに
試験に合格したときは嬉しかった。親にも恩返しできると思ったし、自分の道を歩み始めたという実感もあった。だが、年月が経つにつれ、当時の気持ちはどこか遠くへ行ってしまった。毎日同じような手続き、同じような相談、同じような悩み。それでも、「誰かの助けになれている」と思っていたはずなのに、今では「またこのパターンか」と感じることも増えてしまった。好きだった気持ちは嘘じゃない、でもそれが“生きがい”に変わることはなかった。
寝ても疲れが取れないのはなぜか
肉体的な疲労よりも、精神的な重さのほうが厄介だ。ぐっすり寝たはずなのに朝からどんよりしているのは、心が休めていないからだろう。気づかないうちに、仕事のことがずっと頭の片隅にある。誰かからの電話を待っていたり、登記の進行を気にしていたり、完璧を求めて自分を締めつけていたり。野球部の合宿のほうがまだ気が楽だったと、冗談めかして思う。あの頃はただ走って、汗をかいて、笑っていた。それが今は…。
仕事に打ち込んでもどこか空虚な感覚
書類を仕上げて、業務が終わったはずなのに、「今日もちゃんと仕事した」という達成感が湧いてこない。むしろ、時間だけが流れていくような感覚。数字を追いかける営業でもないし、明確なゴールがあるわけでもない。地味な作業の積み重ねの中で、自分の存在意義が霞んでいくような気がしてくる。頑張っても報われないというわけじゃないけれど、じゃあ何に報われてるのかと言われると、言葉に詰まってしまう。
誰のために働いているのか分からなくなる瞬間
依頼人のため、地域のため、家族のため。色々あるが、ふと一人で弁当を食べているとき、そういう“目的”がどこか他人事のように思えてくる。特に、自分が独身で誰かを養っているわけでもないと、余計に虚しさが募る。誰のためでもなく、ただ“やるべきこと”をしているだけの自分。これが本当に人生なんだろうかと、自分に問いかけたくなる。だけど、問いかけたところで答えは返ってこない。
感謝されても満たされない気持ち
たしかに「助かりました」とか「先生に頼んでよかったです」と言ってもらえることもある。それはありがたい。けれど、それで心が満たされるかというと、正直そうでもない。感謝の言葉は表面的に受け止められても、深いところまで届かない。これは贅沢なのかもしれない。でも、なぜか心のどこかで「もっと違う何か」を求めている自分がいる。それが何か分からないから、余計に苦しい。
やりがいってなんだったっけと考える
やりがい、という言葉がどこか空虚に聞こえるようになったのはいつからだろう。昔は、その言葉を信じて頑張っていたのに。今は、その“やりがい”が見えなくなっている。同じ作業を繰り返す毎日、トラブル対応、精神的な負荷。それでも辞めずに続けているのは、きっとどこかに“意地”があるのだろう。だが、意地と生きがいは別物だと感じるようになった。
司法書士という肩書きが重たく感じる時
司法書士という肩書きは、信頼や責任といった言葉とセットでついてくる。ありがたいことに、地域の方々から「先生」と呼ばれる。でもその「先生」という言葉が、時に重くのしかかる。立場が人をつくると言うけれど、その立場に押し潰されそうになることもある。自分が自分じゃなくなるような、そんな息苦しさを感じる瞬間がある。
責任の重さと心のバランス
一つの書類、一つの登記が人生を左右することもある。だからこそ、ミスは許されない。そのプレッシャーを毎日抱えて仕事をしていると、いつの間にか笑う余裕がなくなる。元々お調子者だった自分が、こんなに神経質になるとは思わなかった。笑顔で接していても、心の中では「これで本当に大丈夫か」と自問している。責任感と自己疑念の間で揺れる日々は、想像以上に消耗する。
失敗できないというプレッシャー
昔、野球の試合でエラーをしても、「次がある」と思えた。でも今の仕事は、そうはいかない。登記で一つミスをすれば、依頼人に損害が出る。裁判所への提出書類を間違えれば、信頼が失われる。そう思えば思うほど、手が震える日もある。慎重になるのはいいことだが、恐怖に支配されるのは違う。だけど、そんなこと言ってられないのが現実だ。
誤字ひとつで眠れなくなる夜
一度、相続登記の申請書で名前の漢字を一文字間違えて提出してしまったことがある。すぐに訂正したが、その日は眠れなかった。たった一文字、でもその一文字が信頼を揺るがす。事務員に任せられればいいのだが、結局自分で何度も確認してしまう性分だ。気が休まることがなくなり、夜中に目が覚めては書類を見直す…そんな夜が続くと、心がすり減っていく。