司法書士だけど気持ちの整理がとにかく下手

司法書士だけど気持ちの整理がとにかく下手

自分の感情が行き場をなくす日々

司法書士という仕事は、冷静沈着な判断が求められる。登記にしても相続にしても、感情ではなく「手続き」で動く仕事だ。だからこそ、感情を表に出すことが恥ずかしいように感じてしまう。でも、そんな肩書きとは裏腹に、私はどうにも気持ちの整理がうまくいかない。朝は不機嫌、昼は不安、夕方には疲労と自己嫌悪。仕事の合間にふと襲ってくる焦りや孤独感に、正直どう対処していいか分からない。書類は正確に仕上げられても、自分の心はどこかずっと迷子のままだ。

登記は片付いても心が片付かない

「完了通知を送信して、はい終わり」──登記業務ならそれで済む。でも、気持ちってそうはいかない。嫌なことがあったら忘れればいい、そう思っても、ずっと頭のどこかに残り続ける。特に、クレームや理不尽な依頼があったときなんかは最悪だ。言い返せなかった自分にイライラしながら、夜になってもモヤモヤが消えない。机の上の書類は一枚も乱れていないのに、自分の内側はぐちゃぐちゃで収拾がつかない。いつか心もフォルダ分けできたらいいのにと思う。

書類棚は整理整頓できても感情の棚卸しはできない

開業して10年、事務所の書類棚には膨大な案件の記録がきちんと分類されて並んでいる。でも自分の気持ちとなると、どこに何をしまったかも分からない。怒りなのか、悲しみなのか、それすら分類不能で、もはや山積みの段ボール状態だ。片付けようにも何から手をつけていいのか分からず、気づけばまた書類仕事に逃げ込む。感情の棚卸しができないまま、気づけば週末が終わり、また月曜が始まる。

ため息ばかりが増えていく午後三時の事務所

午後三時になると、ふと事務所の空気が重たく感じる。仕事もひと段落して、事務員も出かけていて、自分ひとり。カップ麺の残り香とコピー機の機械音だけが響く部屋の中で、「このままでいいのか」と自問自答してしまう。誰にも相談できない、誰にも頼れない、そんな孤独が静かに忍び寄る。仕事はしているのに、どこかで「自分の感情は放置されたままじゃないか」と気づいてしまって、またため息がひとつ増える。

感情を飲み込んで爆発する悪循環

自分の気持ちを抑えることが正しいと思っていた。依頼者の前では常に穏やかで冷静に、ミスもなく、感情を乱さず。でも、それが積もり積もって、ある日突然限界を迎える。些細な出来事で急に声を荒らげたり、涙が出たり。感情を無視し続けることが、逆に自分を壊していく。それに気づいているのに、また飲み込んでしまう。気持ちを外に出すことがどうにも怖いのだ。

些細な一言が引き金になる

「あれ、これ間違ってません?」と軽く言われたひと言に、内心で大きく揺れてしまう。事実なら謝る。でも問題は、そこに込められた無関心や軽視の雰囲気だ。言葉より、その「空気」に過剰に反応してしまう。自分でも「そこまで気にすることか?」と思う。でも気になるものは気になる。放っておけば忘れられるならどんなに楽か。実際は、夜になっても繰り返し脳内で再生されてしまう。

なぜ言い返せないのかと後で責める自分

その場ではヘラヘラと笑ってスルーしてしまう。でも事務所に戻ってから、「なんであんな言い方されたんだろう」と考え続ける。そして「なぜ自分は何も言えなかったのか」と自分を責める。口下手なわけじゃない。むしろ説明は得意だ。でも「感情を込めた反論」が苦手なのだ。争いごとを避けるあまり、全部我慢して、結果的に自分だけが傷を抱えている。

我慢は美徳じゃなかったと今さら知る

昔は「耐えることが大人だ」と思っていた。親にも、部活の顧問にも、そう教わってきた。でも、社会に出てから分かった。感情を抑えるだけでは、どこかで自分が壊れてしまう。我慢を続けたせいで、大切な人に素直になれなかったこともあるし、自分を責めて寝込んだ日もある。今さらだけど、我慢だけが正解じゃないことに気づいた。けれど、それを実行に移すのがまた難しい。

感情の処理能力ゼロで困る現場

仕事柄、感情に流されてはいけないという意識が強い。でも、感情を無視し続けると、業務にも支障が出る。依頼者の些細な態度に過剰反応したり、事務員に八つ当たりしてしまったり。感情のコントロールではなく、そもそもの「扱い方」を学んできていない気がする。書類の処理方法は研修で学んだ。でも、心の処理はどこにもマニュアルがない。

依頼者の不満をまともに受け止めすぎる

依頼者に「もっと早くできませんか」と言われるたび、「自分は遅いんだ」と深く落ち込んでしまう。もちろん業務には限界があるし、法的な制約もある。でも、相手はそんな事情を知らない。感情だけでぶつけてくる。それを「そうですよね」と真正面から受け止めてしまう自分がいて、仕事が終わってもどっと疲れてしまう。もっと流せればいいのに、心に刺さった言葉が簡単には抜けてくれない。

本音を隠して愛想笑いが限界

つい「大丈夫ですよ」「お気持ちわかります」と言ってしまう。でも本当は分かってないし、大丈夫でもない。そうやって自分を偽り続けるうちに、心がすり減っていく。事務員には「先生、また疲れてますね」と言われるが、本音をさらけ出すわけにもいかず、また曖昧に笑ってごまかす。愛想笑いは盾になるけれど、長く使えば使うほど、心の裏側がボロボロになっていく。

帰宅しても脳内会議が終わらない

事務所を閉めて帰っても、頭の中ではまだ仕事が続いている。あの言い方はまずかったか、あの書類の表現は誤解を生まないか、ぐるぐる考えて眠れない。布団に入っても脳内で会議が始まる。登記のことで悩んでるのかと思いきや、意外と「自分の感情処理」のほうが根深い。もう一人の自分が自分を責め続けていて、逃げ場がない。いつになったら心も退勤できるんだろう。

昔はもっと鈍感だったのに

若いころはこんなに感情に敏感じゃなかった。もっと鈍感で、思ったこともすぐ口に出していた。でも司法書士になり、人と接する機会が増えるにつれて、自分の言葉や態度に神経を使うようになった。結果として、自分の感情にも過敏になってしまったのかもしれない。社会で求められる「大人のふるまい」と、自分の内側のズレが、日々の疲れを積み上げている気がする。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓