恋愛より先に祝われる登記完了の現実
45歳、独身、地方の司法書士。そんな私が最近もっとも多く「おめでとうございます」と言われる瞬間は、恋人ができた時でも、誕生日でもなく、「登記が無事完了しましたね」と言われる瞬間である。クライアントが感謝の電話をかけてくれたり、法務局から通知が届いたりするたびに、「ああ、また恋より先に仕事が完了した」としみじみ感じる。恋愛の「こ」の字もない日々において、せめてもの社会的承認が登記完了なのだ。いや、登記完了に人生の節目を感じているようじゃ、だいぶ末期かもしれない。
法務局からのお知らせが一番に届く人生
普通の人なら、LINEで好きな人からのメッセージに心躍らせるのかもしれない。だが私のスマホに最も頻繁に届くのは「登記完了のお知らせ」である。メール受信音が鳴れば、それは恋の予感ではなく、登記完了通知である。ある日、久々にスマホが震えて、胸が高鳴った。だが開いてみると、「不動産登記完了のお知らせ(法務局)」だった。がっかりしつつも、「これはこれで喜ばしいことか…」と自分に言い聞かせる。誰よりも先に私を気遣ってくれるのは、結局のところ国家機関なのだ。
おめでとうございますの相手はいつもAIか役所
「おめでとうございます」という言葉が嫌いになりそうだ。なぜなら、その言葉を発してくれるのは、人間ではなくメールの自動送信システムか、無機質な封筒に書かれた文字だから。恋人からの「おめでとう」や「よく頑張ったね」はもはや幻のセリフ。代わりに私を祝福してくれるのは、登記情報提供サービスや、謎の審査完了通知。AIが先に「喜び」を教えてくれて、人間がその後に続く世界。それが司法書士の孤独な日常である。
誕生日には誰も気づかないのに登記は通知が早い
去年の誕生日、事務所でいつも通り作業をしていたら、法務局から登記完了通知が届いた。誕生日と同じ日に通知が届くなんて、奇跡だと思った。でも、その日「おめでとう」と言ってくれたのは、その通知だけだった。家族も、友人も、事務員すら気づかなかった。せめて法務局だけは私の働きをちゃんと見てくれている。けれど、こんな人生を想像していただろうか。誕生日に祝われるよりも、登記に感謝される人生なんて。
日々書類に囲まれて気づけば45歳
一日中書類に囲まれ、黙々と処理を続ける生活。気がつけば45歳。周囲の同級生は子どもを抱いて運動会、家族で旅行、そんな話題をSNSに投稿している。私はといえば、法務局とメールでやり取りをしながら、今日も補正の期限を気にしている。人生を登記簿のように整然と整理できればいいが、現実はページが破れかけたノートのように、くたびれている。
恋の代わりに増えていく登記完了通知
恋をしていた頃もあった。仕事に慣れてきた30代前半、「そろそろ結婚も」と思っていた。だが、忙しさにかまけて会う時間も取れず、自然消滅した恋がいくつかある。代わりに、ポストには次々と登記完了の通知が届くようになった。恋のメッセージが消え、登記通知のファイルが増える。きっと今、私の人生で一番多い「完了通知」は、恋愛じゃなくて業務なのだ。
書類の山を越えても誰も待っていない帰り道
一日かけて難しい登記案件を片付けた帰り道。ヘッドライトに照らされながら車を走らせると、どこかの家から漏れる夕飯の香りが車内に届く。誰かが待っている、そんな当たり前の風景が自分にはない。仕事を終え、帰っても誰も「おかえり」とは言ってくれない。代わりに、ポストにあるのは「登記完了のお知らせ」か、税理士からの請求書。司法書士は人の人生の節目に関わる職業なのに、自分の人生には節目がない。
事務員との会話が一日で最も人間らしい時間
この事務所にいて、唯一ほっとする時間は、朝の「おはようございます」と、帰り際の「お疲れさまでした」だけだ。それすらも、事務員がいなければ存在しない。彼女が休みの日には、私は一言も声を発さず一日が終わる。人間関係が業務のなかだけになり、雑談も「登記申請」や「添付書類」の話題に収束していく。そんな日常の中、彼女の「コーヒー淹れますね?」のひと言が、どれほど人間らしいかに気づく。
司法書士という仕事に誇りはあるけれど
この仕事には確かに誇りがある。依頼者の人生の節目に立ち会える、大切な役割だと理解している。だが、それは同時に「自分のことは後回し」の生活でもある。恋愛、趣味、家族、そういったものがどんどん遠ざかるなかで、「自分の登記は完了していない」とふと感じる夜がある。恋人ができても、きっと「業務が優先」と思ってしまいそうな自分が、少しだけ怖い。
祝われるのは仕事だけでいいのかという問い
仕事をこなせば感謝される、登記が完了すれば報酬が発生する。それは社会的には立派なことだが、果たしてそれだけで人は満たされるのだろうか。私は一度、自分の誕生日に誰も何も言ってこないことに本気で落ち込んだことがある。そんなとき「会社設立の登記が完了しました!」という通知が届き、思わず笑ってしまった。祝われるのが書類の達成だけで、本当に良いのか――その問いに、まだ答えは出ていない。
法的に完璧な処理よりも感情の整理が難しい
登記はミスが許されない。日付、添付書類、印鑑、すべてが整っていなければ補正になる。私はそれを丁寧に、完璧に仕上げることに慣れている。でも、心の中の感情はそううまくいかない。孤独、不安、焦り、寂しさ。どれも法務局では受け取ってくれない。書類の不備は直せるけれど、心の不備はどこに提出すればいいのだろう。完璧に処理された登記の隣で、私は未だ整理されない感情を抱え続けている。
たまには好きですと言われてみたい
たとえそれが書類のやり取りではなく、心からの一言だったとしても。いや、むしろそうであってほしい。恋愛相談を受けたことは何度もあるのに、自分が恋愛対象にされることはほとんどない。最近では「先生って本当に真面目ですよね」と言われるだけで、ちょっと嬉しくなってしまう自分がいる。でも、本当は一度でいい。「好きです」と、誰かに言われてみたい。登記の完了よりも、心の契約が欲しいのかもしれない。
それでも今日も誰かの人生の一歩を支えている
こんなふうに愚痴ばかりこぼしても、私は明日も登記をする。誰かが新しい生活を始めるために、土地を買い、会社を設立し、家族を築いていく。その一歩に関われることは、やっぱり誇らしい。恋は遠いかもしれないが、人の人生には深く関わっている。それだけは、誰にも奪えない。今日もまた、「おめでとうございます、登記が完了しました」と伝える。その言葉の裏には、小さな羨望と、静かな祝福が混ざっている。
恋よりも登記を優先した理由とその後悔
若い頃、「今は仕事が大事」と思っていた。それが悪いとは思わない。でも気づいたら、恋をする時間も余裕もなくなっていた。今になって「誰かと食事をしたい」と思っても、勇気が出ない。登記は期限があるけれど、恋には締切がない。だから、後回しにしてしまったのかもしれない。気づけば独身。けれど、それでもいいじゃないか。私は登記を優先した。そしてその道を、今さら後悔するのも違う気がする。