一見うまくいっているように見える日々
毎月、案件は順調に片付いている。登記もミスなく通るし、依頼者からの評価も悪くない。事務員の彼女も要領がよく、ほとんど揉めることはない。数字で見れば、個人事業としては悪くない状況だ。でも、その「順調さ」がかえって重くのしかかる時がある。淡々と日々をこなしているだけで、自分の感情がどこかに置き忘れられているような感覚。何か達成しても、心が動かない。拍子抜けするような、置いてけぼりをくらったような気持ちになる。
案件は順調でも心が動かない
この前、急ぎの相続登記をなんとか期限内に収めた。先方は感謝の言葉をくれたし、報酬も悪くなかった。でも、心の中には「やった!」という感情がわいてこない。ただ「終わった、次」と自動的に思考が進んでいく。たぶん、自分の中の“喜びセンサー”が摩耗してしまったのだろう。昔はもっと一件一件に達成感があった気がする。何が変わったのか、自分でもはっきりしないけれど。
誰にも話せない「満たされなさ」
こういう話を友人にしても、「うまくいってるんだからいいじゃん」で終わってしまう。実際そうだ、何も問題は起きていない。ただ、心の底では満たされなさがじわじわと広がっている。贅沢な悩みだとは思う。でも、人間って、目に見える成果だけで生きていけるわけじゃない。心の奥の何かが干からびていくような、そんな感覚が抜けない。
それでも「順調ですね」と言われる違和感
この前、地元の商工会の集まりで「順調そうですね、安心しましたよ」と言われた。笑顔で「おかげさまで」と返したけれど、内心は少しざらっとした。順調という言葉に自分が当てはまっていることに、なぜかモヤモヤする。見えているものと感じているものがズレていると、どんどん自分の本音が口にできなくなる。だから、ますます誰にも話せなくなっていく。
忙しさに紛れて見えなくなる本音
朝から晩まで、書類とにらめっこ。電話対応に来客対応、銀行にも行かなきゃならない。気づけばあっという間に夕方だ。忙しさに流されていると、感情を感じる余裕がなくなる。本当は立ち止まって考える時間も必要なのに、それすら贅沢に思えてしまう。こうして本音は後回しになり、気づけばどこにしまったのかもわからなくなる。
事務員との会話が唯一の息抜き
正直、最近は人と話すのが億劫になってきた。でも、事務員の彼女が「お昼どうします?」と聞いてくれるそのひと言に、救われることもある。大した会話じゃないけれど、誰かと笑いながら話すだけで心が少し戻ってくる。人と関わるってやっぱり大事なんだなと、そんな当たり前のことを40代半ばで再認識している。
黙々と作業する自分にふと気づく
ある日ふと、自分が無表情で登記情報を入力している姿がガラス越しに映った。その顔があまりにも無感情で、自分でも驚いた。いつの間にこんな顔になってしまったんだろう。忙しさに追われるうちに、感情を閉じ込めてしまったのかもしれない。誰にも見せない顔だけど、自分が一番驚いていた。
元野球部の頃はもっと熱くなれた
高校時代、野球部で汗を流していたあの頃。泥だらけでも、仲間と一緒にバカみたいに真剣だった。勝ったときは叫ぶほど嬉しかったし、負けたときは悔しくて眠れなかった。あの時の感情の揺れ幅が、今では信じられない。今は仕事の勝ち負けすら、感情が動かない。大人になるって、こういうことなのか?と寂しくなる瞬間がある。
泥だらけでも一体感があったあの時代
グラウンドで転んでユニフォームが真っ黒になっても、それを笑い飛ばせる仲間がいた。試合前の緊張や、ミスした後の悔しさも全部ひっくるめて、そこには「一体感」があった。今の仕事は一人で完結することが多い。うまくいっても誰とも共有できない。その孤独が、心の空洞を広げている気がする。
勝ち負け以上に大切だった仲間の声
試合の後、ベンチでかけられた「ナイスプレー」の一言。その何気ない声にどれだけ救われたか。今の自分に、そんな言葉をかけてくれる人はいない。それが仕事というものかもしれない。でも、たまにふと、誰かの一言がほしくなる。「今日もお疲れさま」と言ってくれる人が、ただ一人でもいてくれたら。
独り身だからこそ感じる「空っぽの夜」
仕事が終わって事務所を出たあと、急に静けさが押し寄せる。買ってきたコンビニ弁当を一人で食べる夜。テレビの音がむなしく響く。疲れてるはずなのに眠れない日もある。誰かが待っているわけでもないから、時間を持て余す。でも、その時間に何をすればいいのかもわからなくて、結局スマホを眺めて終わってしまう。
仕事が終わってからの沈黙がしんどい
日中は電話も人の声も飛び交っているから気づかない。でも、夜の静けさに包まれると、急に胸が苦しくなる。自分だけが取り残されているような気持ちになる。結婚しなかったことを後悔しているわけじゃない。でも、誰かと話したり笑ったりする時間が、こんなにも貴重だったとは思っていなかった。
他人に見せない孤独との付き合い方
この歳になると、「寂しい」と素直に言える相手もいない。独身だと気楽だと思われがちだけど、実際はそんなに自由でもない。自由すぎて、心がどこかへ漂ってしまうような感覚になることもある。そんな時は、湯船に浸かって深呼吸する。小さなことでも、自分の心と向き合う時間を作らなきゃ、どこかで壊れてしまう気がする。
それでも前を向こうとする理由
愚痴ばかりこぼしてしまったけれど、それでもこの仕事を辞めたいとは思わない。誰かの大切な登記を任されている以上、ちゃんと応えたい。その思いだけは、まだ心の奥に残っている。うまくいかないことがあっても、少しずつでも自分のペースで進んでいけばいい。心が置いてきぼりにならないように、自分の声に耳を澄ませながら。
誰かの役に立っている実感が支え
この前、ある高齢の依頼者から「あなたがいて助かった」と言われた。涙が出そうだった。誰かの人生に少しでも貢献できたという実感。それがあるから、また明日も頑張れる。派手な成果じゃなくていい。小さな感謝の積み重ねが、いつか自分の心を満たしてくれる日が来ると信じている。
小さな「ありがとう」に救われた日
登記完了のお知らせを郵送した後、わざわざお礼の電話をかけてくれた依頼者がいた。その声を聞いた瞬間、久しぶりに心があたたかくなった。大きなことじゃない。たった一言の「ありがとう」で、数日分の疲れがふっと抜けた。そんな日があるから、今日もまた書類に向き合っている。