書類の山と心の整理はどちらが難しいか考えてみた

書類の山と心の整理はどちらが難しいか考えてみた

書類の山に埋もれて思ったこと

ある日の夕方、ふと気づくと机の上が書類でいっぱいだった。目の前のタスクに追われて積み上げたつもりはなかったのに、知らぬ間に書類の山ができていた。まるで心の中を映し出すように、雑然としたデスクは、自分の余裕のなさや混乱をそのまま物語っている気がした。司法書士という仕事柄、書類とは切っても切れない縁だが、そんな相棒にさえ追い詰められるような感覚になる日がある。

気づけば机が見えなくなっていた

毎日、依頼者の案件に追われ、登記や相続、企業法務の対応に明け暮れるうちに、気づけば自分の机は「一時置き」の書類で埋め尽くされていた。今日は整理するぞと朝に誓っても、夕方には「まあ、明日でいいか」となってしまう。積み上がった書類たちは、まるで「お前、また今日も片づけなかったな」と無言で責めてくるようだ。心のどこかでわかっている。物理的に散らかっていることが、自分の内面のモヤモヤを助長しているということを。

忙しさにかまけて積み上がるファイル

この業界では「忙しいこと」がある種の勲章のように語られる節がある。でも本音を言えば、忙しすぎて身動きが取れなくなるのはただの自滅だ。郵便で届いた登記関係書類、依頼者からのメールを印刷したもの、裁判所からの通知書…。すべてが「あとで読む」「後で処理する」対象となって、目の前に積まれていく。事務員が帰った後、その山を見るたびに、ため息しか出ない自分がいる。

一枚の書類が心を乱すこともある

先日、ふと手に取った一枚の相続関係書類に、過去のつらい思い出がよみがえった。依頼者の事情が、自分の家庭と重なったのだ。書類はただの紙切れかもしれないが、その背景にある「人の物語」は重い。その一枚の存在が、何か胸の奥に引っかかっていた感情をつついてくる。整理されていないのは、単にデスクだけではなく、自分の気持ちそのものだったのだと気づかされる瞬間だった。

物理的な散らかりは心の反映か

「部屋が汚れているときは、心も乱れている」という言葉をどこかで聞いたことがある。あまりに月並みな表現だけど、妙に納得してしまった。私のデスクの状態を見れば、そのときの精神状態が手に取るようにわかる。忙しさで自分を見失っていたり、余裕がなくなっていたりするときは、たいてい物が散らかっている。誰かが見たら「片づけろよ」と言うだろう。でも、そう簡単に割り切れないのが人間なのだ。

余裕がないと整理も後回しになる

心に余白がないと、どうしても片づけは後回しになる。ついさっきも、不要になった紙を捨てようと手に取ったものの、「いや、もしかしたらまた使うかも」と思って戻してしまった。そんなことを何十回と繰り返してきた。余裕がないというのは、判断力の鈍りでもある。やるべきことが多すぎて、何から手をつけていいか分からなくなる。書類整理という単純な作業が、途端に難題に変わってしまう。

「見て見ぬふり」が積もっていく日々

書類を積んで見なかったことにする、タスクを後回しにして忘れたふりをする、それが日常になると、心の中も同じように淀んでくる。見て見ぬふりは、最初は自分を守るためだったはずなのに、いつの間にか自分を苦しめる存在になっていた。そんなこと、きっと誰でも経験があると思う。私の場合は、机の上の紙の山が、それを毎日突きつけてくる鏡のようだった。

整理したくなる瞬間

いつもバタバタしているのに、なぜか急に片づけたくなる瞬間がある。たとえば、電話が鳴らない夕方。事務員も帰って、静まり返った事務所。そんなとき、ふと積まれた書類に目がいって、「今しかないか」と腰を上げる。あるいは、依頼人とのやりとりで感情が揺さぶられた後、自分の中の整理が必要だと直感的に思うこともある。書類を片づけるという行為には、実は心の調律機能があるのかもしれない。

ふと我に返る夕方の静けさ

毎日同じように過ごしているつもりでも、「今日は何か違うな」と感じる瞬間がある。夕方、事務所に一人になって聞こえるのは、古いエアコンの音と外を通る車の音だけ。そんな中で、無言の書類たちと目が合うと、まるで「今、やるのか?」と問いかけられているような気分になる。気がつくと、無意識に書類をまとめはじめていたりする。誰かに言われたわけでもなく、自分の中のどこかが動く瞬間だ。

誰もいない事務所で感じる息苦しさ

静寂が好きなはずなのに、その日の静けさは少しだけ苦しかった。何かが重くのしかかってくるようで、呼吸が浅くなっていることに気づいた。多分それは、ずっと放っておいたことへの罪悪感。忙しさを理由に後回しにしていた自分への、ちょっとした叱責なのかもしれない。書類に囲まれているというより、書類に閉じ込められているような感覚。そう感じたとき、ようやく「片づけなきゃ」と素直に思えた。

自分だけが取り残されているような感覚

事務員は帰り、世の中の多くの人は家族と夕飯を囲んでいる時間だろう。そんな中、誰もいない事務所で一人きりという状況に、どうしようもない孤独感が襲ってくる。SNSを開いても、誰かの幸せそうな投稿が刺さるだけ。自分だけが取り残されている気がして、心の隅に蓋をしていた不安がじわじわとにじみ出してくる。だからこそ、せめて目の前のものだけでも片づけて、自分の中の乱れた風景を整えたくなるのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓