そのままでいいんですよって言われたい夜

そのままでいいんですよって言われたい夜

言われたことがない言葉ほど欲しくなる

「そのままでいいんですよ」。この言葉、人生で誰かから面と向かって言われた記憶がありません。逆に「もっと頑張れ」「もっと気を利かせろ」「もっと効率的に」みたいな指摘は山ほど受けてきました。司法書士という職業柄、正確さや迅速さが求められるのは当然。でもそのプレッシャーの中で、自分を認めてくれる人がいないと、心が擦り切れてしまうものです。誰かに一度でも「今のあなたでいい」と言ってもらえたら、どんなに救われるか。そんな夜、ふと事務所のデスクで天井を見上げるのです。

がんばっているのに誰も見ていない気がする

日々の業務で、登記のミスを避けるために神経をすり減らして、期限が迫る書類を抱えながらもなんとか終わらせる。それなのに誰からも「よくやったね」の一言もない。これは誰にでもある話だと思います。でも小さな成功を積み重ねている自分を、誰かが見てくれている、そんな感覚が欲しい。子どものころ、野球部でヒットを打ったらベンチが湧いた。今は…?完璧にこなしても、反応はゼロ。それが一番しんどい。

登記が終わっても拍手はない

数ヶ月かけて関係者と調整した相続登記。やっと完了して法務局からの戻りが来たとき、内心ではガッツポーズ。でも、誰にも見せることはないし、誰にも伝えない。書類を所定のファイルに戻して、それで終わり。クライアントからの「ありがとう」もメール一行だけだったりする。もちろん感謝はあるのでしょう。でも、あの努力がたった一行で済まされると、心が少しむなしくなります。

「ありがとう」より「当然」の空気に疲れる

こちらとしては全力で対応しても、「それがあなたの仕事でしょ」という無言の空気があると感じます。もちろんプロとして期待されることは理解しています。でも人間ですから、やはりどこかで「報われたい」と思ってしまう。誰かに「あなたのやってること、すごいよ」と言ってほしい。それが無理でも、せめて「いつもありがとう」と、たまには口にしてくれたら、もう少し心に余裕が持てるのに。

「そのままでいい」という言葉の重さ

「そのままでいい」と言われることは、相手に全肯定されること。これは思っている以上に重く、深い意味を持つ言葉です。特に、自分に対して厳しくなりがちな人にとっては、この言葉がまるで救命具のように響きます。僕自身、自分に甘えることが苦手で、いつも反省ばかりしてしまいます。そんな自分に、誰かが「そのままで十分だよ」と言ってくれたら、それだけで救われる気がするのです。

変わらなきゃと思い続けて疲れていた

「もっと社交的にならなきゃ」「もっと要領よく」「もっと効率的に」――司法書士として仕事をこなしていくうちに、いつの間にか“変わらなきゃ病”にかかっていました。自分に満足したら終わり、と思い込んでいたのです。でも変わろう、変わろうとすることに疲れて、ふと「このままじゃダメなのかな」と思い直すようになりました。たぶん、今の自分を許すことが、これからの変化を引き寄せるのかもしれません。

比較と焦燥のループから抜け出せない

周囲の司法書士がテレビに出ていたり、本を出版したり、SNSで人気だったりすると、自分は何もできていない気がしてしまう。比べなければいいのに、なぜか比べてしまう。すると自分の仕事の地味さや遅さが、劣って見える。でもよく考えれば、自分は自分のペースで依頼者と向き合い、ちゃんと役目を果たしている。そんな当たり前を、自分で否定してはいけないんだと、少しずつ思えるようになってきました。

野球部だったあの頃と今の自分

高校時代、僕は野球部でした。ポジションはセカンド。俊敏さと判断力が求められるポジションでしたが、何よりも「声出し」や「チームを盛り上げる力」が重要でした。ミスしても「ドンマイ!」、ヒット打てば全員で大喜び。あの頃は、仲間の中で自分が生きていた感覚があったんです。それが、今の司法書士という個人業務の中では希薄で、どうしても孤独になりがちです。

あの頃は声を出して怒れた

試合でエラーした後、「ふざけんなよ!切り替えろ!」と先輩に怒鳴られても、不思議と納得できました。そこには期待と愛があった。でも今、怒られることも褒められることもほとんどない。評価は無言のまま、自己判断で動く。声を出す必要がない世界に身を置いて、僕はだんだん感情の出し方を忘れてきた気がします。

静かに我慢する大人の自分が寂しい

今の僕は、何か言われても「まあ、しょうがないか」と心に収めてしまう癖がついています。声を荒げるのは恥ずかしい、感情を出すのは子どもっぽい――そんな思い込みで、自分の素直な気持ちを押し殺してきた結果、たまに「自分って、いないほうがいいのかな」なんて思ってしまう。もっと誰かに、心の内をぶつけてもよかったんじゃないか、って。

試合が終わっても続く「ひとり練習」

昔は試合が終われば解放感があったけど、今は案件が終わっても「次」がすぐに来る。自分だけの練習、答えのない努力がずっと続いているような気がします。何かのために頑張っているはずなのに、その「何か」がどんどん見えなくなっていく。そんなときに、「あなたはあなたのままでいいよ」と、誰かが言ってくれたら。僕のこのひとり練習にも、少しは意味が生まれる気がするのです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓