人と食べるごはんが救いになる日もある

人と食べるごはんが救いになる日もある

一人ごはんの味気なさに気づいた日

仕事が山積みの日々の中で、夕方になると空腹を思い出す。でも、誰かと食事に行く気力も時間もなくて、結局コンビニのおにぎりで済ませることが多くなる。机に向かいながら片手で口に運ぶ食事は、ただの「栄養補給」にすぎず、「ごはんを食べた」という実感が薄れていく。ある夜、ふと立ち止まって、湯気の立たないその食事に「味がしないな」と感じた。そんな瞬間に、自分の生活の乾きにようやく気づいたのだと思う。

忙しいだけの毎日が続いたある夜

その日は朝から役所と依頼人とのやり取りでバタバタしていた。電話を切った瞬間に次の書類を準備しなきゃならない。気づけば夕方で、空腹も感じてないのに体が重かった。冷蔵庫には何もないし、スーパーに寄る気力もない。帰り道に立ち寄ったコンビニで買った弁当を温めるのも面倒で、そのまま事務所の机で食べた。食べ終えたときに、妙にむなしくなって、何かを失ってるような気分になったのを覚えている。

コンビニ弁当と書類に囲まれた夕食

電子レンジの音と、プリンターの紙送りの音が混ざる中で、温かい食事をするという感覚はなかった。プラスチックの箸が口元に運ばれるたび、無意識に次のスケジュールや締切を頭の中で繰り返していた。どんな味だったかすら記憶に残らない。横には決済待ちの書類が積まれ、片手でメールをチェックしながら口に放り込む。これは「ごはん」じゃなくて、ただの「作業」だったと、あとで思い知った。

「これって俺の人生なのか」とふと思った

一人で食べるごはんに、もう何年も慣れすぎていた。誰かと並んで食べる、あの感覚を忘れかけていた。でもその夜、冷えた弁当と静まり返った事務所の中で、急に孤独の塊がどっと押し寄せた。昔はもっと誰かと笑って食べてた気がする。あの時間は、ちゃんと心を満たしてくれてたんだろうな。そんな記憶がぼんやり浮かんで、胸の奥がざわついた。

誰かと食べるって特別なことなのか

人と一緒に食べるというだけで、心が落ち着くことがある。話さなくても、向かいに誰かがいて、同じものを食べているという状況が、なぜか安心感をくれる。食べることって、本来は誰かと分かち合うものだったのかもしれない。無意識に忘れてしまっていたその感覚を、ある日ふいに思い出すきっかけがあった。

たまたま誘われた定食屋の夜

事務員さんに「今日は外に食べに行きませんか?」と声をかけられた。面倒くさいなと思いつつ、断るのも悪いかと思って近所の定食屋へ。古びたカウンターに並んで座り、それぞれに日替わり定食を注文。特別な会話があったわけじゃないけど、ただ箸を動かしているうちに、ふっと肩の力が抜けた気がした。

言葉は少なくても心が軽くなった

お互いに仕事の話やちょっとした愚痴をポツリポツリと話しながら、味噌汁をすする。それだけのことなのに、帰る頃には少し元気になっていた。栄養だけじゃない、何か人と共有する「空気」のようなものが、体の中に入り込んでくる感覚があった。こんな小さなことが、明日を少しだけマシにしてくれるなんて思ってなかった。

ただ向かいに人がいるだけで安心できた

別に恋愛でも友情でもなく、ただそこに誰かがいて、自分と同じように疲れてごはんを食べている。そんなささやかな時間に、どれだけ救われていたのかをそのとき思い知らされた。人と食べるって、きっと原始的な癒しなんだろう。何も語らなくても、「一人じゃない」と思える瞬間があれば、それで十分だった。

食卓の向こうにある人間関係

仕事ではどうしても「役割」で動いてしまうけれど、食事の時間には人と人が向き合える。食べるという行為を通じて、肩書きも距離も少しずつほどけていく。そんな経験が、自分の仕事観や人づきあいにも少しずつ変化をもたらしてくれた。

職場の事務員さんとランチに行くようになって

週に一度、事務員さんとお昼を外で食べる習慣ができた。別に深い話をするわけじゃないけど、事務所の外で顔を合わせて食事をするだけで、なんとなく互いに理解し合える感じがある。ふだんは無口な彼女が「これ美味しいですね」と笑うだけで、こっちまでほっとする。

仕事の愚痴を言えるだけで違う

外食の席では、自然と少し砕けた話もできる。依頼人との対応で感じた違和感や、役所の理不尽さなんかも、笑いながらこぼせる。「あるあるですね」と笑ってもらえるだけで、ずいぶん気が楽になるものだ。そういう時間を持つことが、仕事を続けるうえでの小さな潤滑油になっていると、最近になって気づいた。

食事は仕事のストレスを和らげてくれるのか

人間関係の悩み、期日のプレッシャー、書類の山――司法書士の仕事は見た目以上に心をすり減らす。その中で、食事の時間だけは少しだけ「自分に戻れる」。たとえ短い昼休みでも、そこに「誰か」がいて「一緒に食べる」というだけで、不思議と心が軽くなる瞬間がある。

どうにもならない日でも「食べる」はできる

最悪な日でも、胃は動いてくれる。いや、動かさないと本当にやられてしまう。どんなに書類が積まれていても、どれだけ電話が鳴り止まなくても、「一口食べる」ことだけは、強引にでも自分を立て直す入口になる。ごはんは、ある意味で唯一、裏切らない時間なのかもしれない。

無理してでも口に入れる大切さ

ストレスが限界になると、逆に何も食べたくなくなる。でも、そんなときこそ、無理にでも箸を持つ。冷たいそばでも、缶詰のスープでも、とにかく食べる。「これだけはやった」と思えることが一つあるだけで、夜の眠りが少し穏やかになる。身体と心の両方を騙し騙し、明日につなげていく手段なのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓