もう少しだけ誰かに頼れたらと思う夜

もう少しだけ誰かに頼れたらと思う夜

一人で抱えるには少し重たいものがある

司法書士として独立して10年以上経つが、いまだに「これで良かったのか」と思う夜がある。事務員はひとりきり。相談できる相手も限られる。自分で決めて自分で動く。それが気楽だと思ったのはいつまでだっただろう。今では、誰かに「どう思う?」と軽く聞けるだけで救われる気がしている。

相談できない性分が邪魔をする

これはもう性格なんだろう。昔から、困っても口に出せない。元野球部の性なのか、精神論で乗り切ってしまう悪い癖だ。事務所でも、「どうしたらいいかな」と思いながら、結局一人で抱え込んでしまう。話せば楽になるのに、それができない。

「先生なら大丈夫ですよね」のプレッシャー

依頼者からかけられる言葉に、いつも少しだけ震えてしまう。「先生にお任せします」「やっぱり頼りになりますね」そう言われれば言われるほど、「本当に俺で大丈夫か?」という疑念が胸をよぎる。責任感と不安が交錯する瞬間だ。

弱音を吐くと壊れてしまいそうで

たまに、「もう無理です」と言いたくなることがある。でもそれを口に出した瞬間に、自分の中で何かが崩れ落ちる気がして、踏みとどまってしまう。結局、愚痴のような独り言をつぶやいて終わる夜が多い。

誰かがいてくれたらと思う瞬間

一日の業務を終えて事務所の灯りを消した後、ふと「誰かがいてくれたら」と思うことがある。ただ黙って隣にいてくれるだけでいい。別に何かしてほしいわけじゃない。そんな存在に飢えている。

元事務員との雑談が恋しい

以前、少しだけ賑やかだった時期があった。事務員が2人いた頃の話だ。昼休みに「今日のお弁当、微妙だった」なんて話すのが、こんなにも救いだったとは。当時は気づけなかった。人の存在って、ほんの些細な一言で救われるものなんだ。

仕事の愚痴をこぼせる相手

経費の処理に追われ、登記の急ぎに追われ、それでも電話は鳴る。そんなとき、「今日しんどかったな」と一言ぼやける相手がいるだけで、人間らしさを保てる気がする。でも今は、その相手がいない。

お酒の席では笑えるのに

たまに誘われて出る同業者との飲み会では、つい強がって笑ってしまう。「最近どう?」と聞かれて「いや〜地獄だよ」なんて笑ってみせるけれど、内心では「聞いてくれてありがとう」と思っている。寂しいものだ。

優しさは時に孤独を招く

やさしいと言われる。そう言われて悪い気はしない。でも、やさしさが自分を追い込むこともある。無理してでも応えてしまう。断れずに引き受けて、後で苦しくなる。自分の首を絞めているのは、たぶん自分自身だ。

断ることへの罪悪感

「先生にだけはお願いしたくて」と言われると、無下にはできない。断れば他で困るだろうなと思ってしまう。結果、スケジュールが真っ黒になってしまうのはいつものこと。やさしさを理由に、自分を後回しにしてしまっている。

頼られたことが嬉しくて無理をする

本音を言えば、頼られることは嬉しい。特に女性依頼者に「本当に助かりました」なんて言われると、妙に心が動いてしまう。でも、それで何かが始まるわけでもない。分かっているけど、つい頑張ってしまうのだ。

モテないことの現実と向き合う

45歳、独身、元野球部、司法書士。これだけ並べれば「それなりに魅力あるんじゃ?」と思われるかもしれない。でも、現実はそんな甘くない。モテない。ほんとうにモテない。寂しい話だ。

仕事に逃げてしまう自分

恋愛は後回し。そう言いながら、仕事に逃げているだけのような気もする。言い訳のように「今は忙しい」と繰り返し、気づけばまた年をとっている。誰かと生きたいと思う夜もあるけれど、動けずにいる。

年齢を言い訳にしないようにしたい

45歳なんてまだ若いじゃないか。そう言ってくれる人もいるけれど、自分の中ではもう、いろんなことを諦める理由になりつつある。でも、本当は年齢を言い訳にしたくない。ただ、勇気が出ないだけだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓