寂しさは書類の山に紛れたまま

寂しさは書類の山に紛れたまま

朝のルーティンに潜む静けさ

毎朝、決まった時間に目覚ましが鳴る。機械的に起きて、歯を磨いて、顔を洗う。それからコンビニでパンと缶コーヒーを買って、誰もいない事務所に向かう。これが私のルーティンだ。地方の司法書士なんてものは、東京のように人の出入りが絶えないわけでもなく、朝のうちは特に静かだ。この静けさが、時に心に妙な重さをもたらす。「今日も誰とも話さずに終わるかもしれないな」とふと思ってしまうのだ。

机の上に積まれた書類とコンビニのパン

事務所に着いて、まず目に入るのは机の上に無造作に積まれた書類の山。登記関係、相続手続き、会社設立、定款の確認。やるべきことは山ほどある。それらを前に、まずは朝食代わりのコンビニのパンをかじる。手を動かしながらも、頭の中はずっと空虚だ。誰にも言われないからやっているだけで、誰かに褒められることも、ねぎらわれることもない。そんなことは当たり前だと思っていても、どこかでその「当たり前」に疲れている。

テレビもつけず 静かすぎる朝

以前はテレビをつけながら仕事を始めていた。音があると少しは気が紛れるからだ。でも最近はその音すら煩わしく感じてしまう。そうなると、事務所には本当に無音だけが残る。自分のタイピングの音とプリンターの作動音。それ以外はない。朝なのに、夕方のような気持ちになるのはなぜだろう。きっと、自分の中に「もう一人の自分」が静かに居座っているからかもしれない。

事務所に着くと少し安心する理由

それでも、事務所に着くとどこかホッとするのは不思議だ。誰もいないけれど、自分の居場所があることには間違いない。この机、この椅子、この空気。人の温もりはなくても、「ここにいていい」と思える空間があるというのは救いだ。けれどそれは、救いと同時に、孤独を正当化する言い訳にもなっているような気がしてしまう。

話し相手は書類だけの日もある

この仕事は、思っている以上に“人と話さない”時間が長い。もちろん依頼者と会話をすることもある。でも、それはほんの一瞬で、あとは一人で書類と向き合う時間の方が圧倒的に長い。特に地方では、訪問者も限られる。誰かと目を合わせて、くだらない話をするという当たり前の時間すら、とても貴重なものに感じられてしまう。

誰とも話さずに終わる平日

事務員が休みの日などは、朝から夕方まで、誰とも口を利かずに終わる日もある。電話も鳴らない、来客もない、ただただ自分の指と目と脳だけが働いている。こんな日が続くと、ふと「自分は社会に存在しているのか」と錯覚しそうになる。書類は進む。でも、それは“生きている実感”とはまた別物なのだ。

電話のベルが鳴っただけでうれしい

こんな日々だからこそ、たった一回の電話の音ですらうれしくなる。たとえ営業電話でも、「人と話せる」ということ自体がありがたいのだ。電話の内容に困っても、心のどこかでは「ありがとう、かけてきてくれて」と思っている自分がいる。これはきっと、都会の同業者にはあまり分からない感覚だと思う。

たまに来る飛び込み営業に感謝すらする

正直、飛び込み営業はあまり歓迎されない存在だ。でも私にとっては、無言の空間を割って入ってくる彼らの声が、救いになることもある。表面では面倒くさそうに対応しているかもしれないが、心の中では「ありがとう、来てくれて」と思っている。こんな自分に気づいたとき、少しだけ切なくなる。

誰にも言えない弱音がある

司法書士という仕事は、“きちんと”している印象を持たれがちだ。でも実際には、不安や焦り、寂しさがついて回る。依頼者にも同業者にも、そんな感情はなかなか言えない。だからこそ、心の中にたまっていく。そして、どこにも行き場がなくなる。

友達に愚痴を言うほどの距離感もない

同世代の友人たちは家庭を持ち、職場での地位も固まりつつある。彼らと会う機会も減り、たまに会っても「お前はいいな、自由で」なんて言われる。こっちはこっちで、毎日が孤独との戦いだ。愚痴をこぼせる関係性がどんどん遠くなっていく感覚がある。

飲みに誘う人がもういない

若い頃は、誰かしらに声をかければ飲みに行けた。でも今は違う。誘う相手がいないし、誘われることもない。たまに一人で居酒屋に行っても、空席だらけのカウンターで、黙って酒を飲むだけだ。気がつけば、飲む理由すら見失っている。

SNSでつぶやくことすらためらう夜

SNSを開いても、愚痴や寂しさを吐き出す勇気が出ない。誰かに見られている気がして、ついきれいごとばかりを並べてしまう。「今日も頑張った」なんて自分で書いて、自分で虚しさを感じる。そんな夜が増えた。

寂しさと向き合う時間も必要なのかもしれない

結局のところ、寂しさは誰かに癒してもらうものではなく、自分で付き合っていくものなのかもしれない。書類のように分類も整理もできない感情だからこそ、ちゃんと見つめないといけない。逃げずに、否定せずに、そばに置いておく。そんな覚悟も、この仕事には必要だ。

処理できない感情は書類じゃない

どれだけ仕事をこなしても、心の中にぽっかりと空いた空白は埋まらない。それは“寂しさ”という名前の感情かもしれない。申請書のように提出して、誰かに判断してもらうこともできない。誰にも知られないように、こっそりと抱えて生きていくしかないのだ。

誰かと過ごす日常への憧れ

結婚して子どもがいて、週末に家族と出かける。そんな普通の光景に、昔は憧れすらしなかった。でも今は違う。スーパーで買い物する夫婦を見かけるたびに、自分の空虚さが際立つ。そう思ってしまう自分が、またちょっと嫌になる。

この仕事を選んだ理由をもう一度

それでも、司法書士という仕事を選んだのは自分だ。誰に強制されたわけでもない。信頼を預かり、手続きを支えるこの仕事に、誇りがないわけじゃない。ただ、その裏側には、誰にも見せない寂しさがあるというだけ。今日もまた書類をめくりながら、私はそのことを忘れないようにしている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓