信頼されることの重みと寂しさ
司法書士という仕事をしていると、日常的に「信頼しています」「任せます」といった言葉をいただく。確かにありがたい。でも、ふとした瞬間に、その言葉が胸に刺さることがある。「好き」と言われた記憶より、「信頼してます」と言われた数の方が多いことに気づいたとき、なんとも言えない虚しさに包まれた。信頼は誇るべき評価だ。それでも心のどこかで「人として好かれたい」という感情がくすぶっているのだ。
好かれるよりも信頼される人生
学生時代、特別目立つ存在ではなかったが、周囲からは「真面目だね」とか「頼りになる」とはよく言われた。恋愛とは縁遠く、「好き」と言われたことはあまりない。でも、相談事はよく持ちかけられたし、グループ作業ではまとめ役になることが多かった。大人になってからもその傾向は変わらず、信頼は得られるが、感情的な距離感は近づかない。司法書士という職業は、まさにそんな性質の延長にあるように思う。
仕事では信頼されている自覚がある
登記や相続、成年後見といった業務を日々こなす中で、お客様からは「他の人に聞いたら分からなかったけど、あなたは話を聞いてくれる」と言っていただける。信頼されているという実感は確かにある。それは嬉しい。しかし、どこかで“それだけ”で終わってしまっている感覚があるのだ。まるで自分自身の人格は脇に置かれ、役割としてだけ見られているような、そんな錯覚にとらわれる瞬間がある。
でもそれは人としての評価ではない気がする
「先生だから頼れる」「専門家として信じてる」と言われるたびに、これは果たして“自分自身”を見てもらっているのか?と考えてしまう。私は元々、器用な人間ではない。相談に乗るのも、時間をかけて言葉を選ぶのも、結局は自分の性格がそうさせている。でも「好き」とか「一緒にいたい」といった、人としての魅力に紐づいた言葉は、あまり記憶にない。それは、どこか寂しいことだと思う。
信頼されることは悪いことじゃない
信頼を得られるというのはありがたいことだ。とくにこの仕事では、法律や財産に関わることを任せてもらえることが、すべての基盤になる。適当に扱われたら立場が成り立たない。だから信頼されるように努力しているし、それがないと食べていけない。ただ、日常の会話のなかで「好き」という言葉に触れたとき、なぜか胸の奥にぽっかり穴が開く感覚がある。得たものの重さと、失ったものの寂しさ。その両方を抱えているような感覚だ。
むしろ誇らしいはずなのに胸がモヤつく理由
信頼されるって、言ってしまえば「欠点を含めて許容されている」ことではない。どちらかというと、「この人なら失敗しないだろう」「この人に任せておけば安心」という意味合いだ。つまり、“感情”よりも“実績”の評価だ。好きか嫌いかという曖昧なものより、安心できる存在であることの方が、他人からするとありがたい。けれども、私は機械じゃない。人として見られたい、感情を向けられたい、そう思うことに、何も間違いはないと思うのだ。
感情を求める自分がまだ残っている証拠かもしれない
昔はそんなこと気にしなかった。信頼されるのはありがたいし、信用が商売の要だと割り切っていた。でも、年を重ねるにつれ、ふとした時に「好きって言われたかったな」と思うようになった。きっとそれは、まだどこかに“感情を交わしたい”という欲求が残っている証だ。信頼だけで満たされるなら、こんなことは考えない。自分でも気づかないうちに、人ともっと深く繋がりたいと思っていたのかもしれない。
好かれる経験が少なかった
振り返ってみても、「好き」とは縁遠い人生だった。恋愛に積極的だったわけでもなく、告白したことは数えるほどしかない。いずれも、うまくはいかなかった。野球部の仲間とも、打ち上げや引退の時にそれなりに仲良くはしていたが、その後連絡を取り合うような関係にはなれなかった。誰かと深くつながるのが怖かったのか、あるいは自分に自信がなかったのか。今となってはもう分からない。
高校時代の部活仲間は今も連絡してこない
野球部ではキャプテンではなかったけれど、誰よりも練習には真面目だった。監督にはよく信頼されていたし、後輩からも「頼れる先輩」と言われた。でも、卒業後に連絡がきたことはほとんどない。信頼と親しみは別物なのだと思い知らされた。たとえば、卒業式のあと、好きだったマネージャーに「○○くんは真面目だよね」と言われたとき、「それって好きって意味じゃないんだよな」と妙に冷めた気持ちになったのを覚えている。
恋愛はいつも片思いか空振り
20代、30代と、何人かに想いを寄せたことはあった。でも、こちらが踏み込む前に相手に恋人ができたり、なんとなく自分から引いてしまったり、決定打のないまま終わっていった。仕事が忙しいというのも言い訳だったかもしれない。たまに食事に行っても、「真面目そうだね」「優しいね」で終わる会話に、いつしかこちらも期待しなくなった。心を寄せることをやめることで、自分を守っていたのかもしれない。
信頼は得たけど心は近づけなかった記憶
たとえば昔、同業者の集まりで仲良くなった女性がいた。話も合うし、仕事に対する考え方も似ていた。何度か連絡を取り合い、飲みに行ったこともある。でも、彼女から最後に言われたのは「○○さんって、安心感あるよね。ほんと、兄みたいな存在」だった。その言葉を聞いた瞬間、すっと距離を感じてしまった。信頼はされていた。でも、好きになってもらえる人間ではなかった。あのときの空気の冷たさは今も記憶に残っている。