人と会うのが億劫になってきたと感じる日のこと

人と会うのが億劫になってきたと感じる日のこと

人と会うのが億劫だと感じる瞬間

最近、とにかく人と会うのが億劫になってきました。以前なら誰かと話す予定が入るだけで少しワクワクしたのに、今ではその連絡が来ると肩がずんと重くなるんです。予定が入った瞬間から「どうやって断ろうか」「面倒だな」「当日雨なら助かるのに」と、消極的な気持ちが頭をぐるぐるします。相手が嫌なわけじゃない。むしろ好きな人も多い。でも、今の自分には人と向き合うエネルギーがないのかもしれません。

誰かと話す前に心が疲れてしまう

電話が鳴るだけで、なぜか心がざわつくことがあります。昔はおしゃべりが大好きだったのに、最近はその“会話の前の準備”に消耗してしまう。何を話そう、どう思われるだろう、元気に振る舞えるだろうか、そういったことを考え出すと、もう疲れてしまって。たとえば、友人から「久しぶりにご飯でも」と誘われても、なぜか返信に一日かかってしまうんです。断る理由が見つからなくて困る。でも本当の理由はただひとつ、「今は人に会う余裕がない」だけなんですよね。

会う理由を探してしまう自分

「何のために会うのか」なんて、本当はそんなこと考えなくても良いはずなのに、なぜか目的を求めてしまいます。単なる雑談のための時間すら、「意味があるのか?」と無意識に自問してしまっている。これは司法書士という職業病なのか、常に“目的”や“結論”を求めがちなんです。だからこそ、ただのんびり会話するのが難しい。こんな風に、自分で自分を縛っているのかもしれません。

気を遣うよりも静けさを選びたくなる

会話って、想像以上にエネルギーを使います。相手の表情を読み、気遣いの言葉を選び、適度に笑い、失礼のないように配慮する。それらが全部セットで“会う”ことなんですよね。そう思うと、気づかぬうちに「今日は一人でいた方が楽だな」と選択してしまいます。静かな事務所で書類整理している方が、心が穏やかだったりするんです。

予定があること自体にプレッシャーを感じる

最近は予定を入れること自体に抵抗があります。カレンダーに「○○さんと会う」と書くだけで、なんだか一日が重くなる。気乗りしない予定ほど、前日からソワソワして眠れなくなったりもします。しかも、それがたった1時間の雑談でも、まるで登山のような気持ちになるんです。

断ることに罪悪感を覚える日々

誰かの誘いを断るたび、胸がチクっと痛みます。「また誘ってもらえるだろうか」とか「嫌な思いさせたかな」なんて考えて、結局後悔する。でも、無理して行ってもしんどくなるのは自分だとわかっている。それでも、「申し訳なさ」を抱えてしまう自分がいます。人付き合いって、ただの行動じゃなくて、感情のやりとりでもあるんですよね。

相手を嫌いなわけじゃないのに

誰かに会いたくないからといって、その人が嫌いなわけじゃない。むしろ好きな人が多いんです。でも、自分の“会いたいスイッチ”が入っていないと、どんなに良い人でもエネルギーが湧いてこない。この矛盾を理解してもらえないと、関係がぎくしゃくすることもあって、そこにまた疲れてしまいます。

スケジュール帳に余白がない苦しさ

私は今、事務員さんと二人だけの小さな司法書士事務所を運営しています。正直、業務量は常にギリギリで、予定をひとつ増やすとすぐに崩れてしまうんです。スケジュール帳に余白があるだけで、呼吸が楽になる。そんな日がもっと増えてほしいと思いながらも、予定はいつもぎっしり。だから人との時間を後回しにしてしまうのかもしれません。

昔はもっと社交的だった気がする

自分でも思うんです。「俺って、こんなに人付き合いが苦手だったっけ?」って。高校時代の野球部では、仲間と毎日汗を流し、笑い合っていた。大学のときも、司法書士の勉強仲間と夜遅くまで語り合っていたのに。社会に出て、忙しさや責任が重なるにつれて、少しずつ人との距離が遠くなっていったような気がします。

元野球部だった自分とのギャップ

「俺は明るい方の人間だ」と、どこかで思い込んでいました。野球部で大きな声を出していた頃の自分の印象が残っている。でも、今の自分は静かな事務所で、ひたすら書類に向き合う日々。あの頃の「社交的な自分」と、今の「人付き合いが億劫な自分」のギャップに戸惑うことがあります。どっちが本当の自分なんだろう、と。

一人の時間が必要になってきた理由

年齢のせいかもしれませんが、最近は“何もしない時間”の大切さを強く感じます。誰とも話さず、スマホも見ず、ただコーヒーを飲む時間が贅沢に思えるようになった。心がすり減ったまま無理に人と会うより、ひとりで回復する時間が必要なんだと実感しています。そう思うと、人と会わない選択も悪くないな、と感じるのです。

体力だけじゃなく、気力も持たない

司法書士の仕事って、精神的な負担が大きい。登記のミスは許されないし、依頼者の信頼も重たい。終わった瞬間、ぐったりして動けなくなることもあります。そんな状態で誰かに会っても、きっと上手く笑えない。「体は空いてるけど、心が空いてない」──そういう日が、年々増えている気がします。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓