ひとり焼肉行けない男の静かな抵抗
静まり返った事務所に、ガスストーブの音がコトコト鳴っている。
ファイルの山に埋もれた僕、シンドウは、案件の合間にスマホをちらりと見た。
19時13分。サトウさんは定時で帰った。僕だけが取り残された静かな戦場だ。
「腹が減ったな……でも今日はもうカップ麺でいいか」
一度呟いて、立ち上がった自分の心の奥から、別の声が聞こえた。
『それってただ、焼肉屋に行く勇気がないだけじゃね?』
妙に生意気なその声は、まるで小学校のときに流行ったあの「探偵ものの漫画」の探偵くんみたいだった。
なぜひとり焼肉が怖いのか
焼肉屋の暖簾の向こう。そこには僕にとって“未解決事件”がある。
小さな地方都市、カウンター席のある焼肉屋は数少ない。
しかも男一人が入ったら、絶対言われるのだ。
「あら、今日はお一人ですかぁ?」
サザエさんのマスオさんも驚くテンションで言われたら最後。僕の心は焼け焦げる。
一歩を踏み出せない日常
家に帰って、味気ないレトルトご飯を温めるたびに、思う。
「なんで俺、焼肉行けないんだ?」
腹は減ってる。気力もない。でも、どうしても焼肉屋の入り口をくぐれない。
まるで漫画『怪盗Gミツヒコ』の登場人物が、自分の過去に向き合えないように、
僕もまた“ひとり焼肉に行けないという謎”を抱え続けていた。
勇気を出して行ったあの日
その日は、サトウさんが昼休みに放ったひとことが決定打だった。
「私、昨日ひとり焼肉デビューしました。楽勝でしたよ」
あっけらかんと言い放った彼女に、僕は焦燥感を覚えた。
そしてその夜。気づいたら、焼肉屋の前にいた。3周した。
「やれやれ、、、俺は何やってんだか」
ようやく入った店。カウンターの一番端っこで、無言でロースを焼いた。
隣の客も、ひとりだった。
焼肉屋に一人で行くメリット
注文したのは、ロース、タン、冷麺少々。
誰にも気を使わず、焼き加減は100%自分次第。
サトウさんに言わせれば、「それはもう自由の極み」だそうだ。
「……たしかに、悪くない」
煙の向こうに見えた世界は、今までと違っていた。
焦げる肉の匂いすら、どこか誇らしく感じた。
サトウさんとひとり〇〇
翌朝、事務所でサトウさんに報告した。
「昨日、ついにひとり焼肉行ったよ」
「えーっ!やればできるじゃないですか」
それから彼女は「ひとりカラオケ」や「ひとり動物園」など、さらなるステージを提案してきた。
「シンドウさん、次はひとりボウリングですね」
やれやれ、、、次の未解決事件がもう見えてる。
焼肉の煙が教えてくれたこと
煙は上に上に、まっすぐに立ちのぼる。
僕の背中も、少しだけしゃんとした。
何も変わらない日々に、少しだけ違う香りが混ざったような夜だった。
そしてその香りが、誰にも気づかれないまま、僕をほんの少し自由にしてくれた。
了