おひとり様案件ばかりが増えていく日々
静かな朝依頼だけが届く
いつもより少しだけ早く目が覚めた朝。事務所のカーテンを開けると、くすんだ光が机の書類に静かに降り注いでいた。気づけば机の端には、昨日受け取った登記申請書類が三山に分かれて並んでいる。依頼は順調に舞い込んでくる。が、人との会話は、減る一方だ。
事務所に差し込む光と独り言
「これは固定資産の評価証明が古いな……」独り言が自然と口から出る。返事は当然ない。唯一の救いは、朝の8時には出勤してくるサトウさんの存在。彼女の鋭いツッコミが、唯一この事務所に人間らしい温度を取り戻してくれる。「やれやれ、、、」今日もまた、機械的な書類の山と向き合うのか。
サトウさんの観察眼が動き出す
「センセ、これ変じゃないですか?」朝のコーヒーより先に届いたのは、彼女の目の付け所だった。登記簿に書かれた被相続人の名前が、固定資産台帳のそれと一致していない。ミスか、改名か、それとも……。「怪盗キッドばりに誰かがすり替えたとか?」と冗談を言えば、サトウさんは鼻で笑う。「それはセンセがモテてから言ってください」
茶柱より当てになる違和感
実務の世界では、違和感こそが真実への鍵だ。事務所で使っているボールペンのインクよりも、彼女の勘の方がずっと信頼できる。違和感は次第に確信に変わり、表向きの「ただの登記」が裏で何か別の目的を持って進められているのではと疑いが生まれてくる。
登記のはずが事件のにおい
案件の中に紛れていた一本の依頼書。それには「死亡日」欄に違和感のある日付が記されていた。どうにもそれが気になって、過去の登記記録と戸籍を取り寄せる。「この死亡日、本当に合ってるのか?」手に汗はかかないが、野球部時代の試合前に感じたあのピリつくような集中力が戻ってくる。
依頼人は黙って嘘をつく
「父は静かに眠りました」と語っていた依頼人の女性。だが、医師の死亡診断書のコピーを見ると、死因が「外傷性脳損傷」になっている。静かどころか、何かあったことは明白だ。口数が少ない人ほど、肝心なことを隠す傾向がある。司法書士をなめないでいただきたい。
故意か偶然か数字のズレ
資産評価の数字が、前年のそれと比べて微妙に調整されている。税金逃れか、誰かへの配慮か? 数字は正直だが、人の意図はいつもどこかに濁りを含む。「ズレ」が教えてくれるのは、過去の事実ではなく、今の誰かの「思惑」だ。
やれやれまた謎が増えてしまった
「センセ、もう少し案件断ったらどうですか? 一人分の命、保たないですよ」サトウさんの言葉は、毎回的を射ている。だが、目の前の依頼を前にすると、いつも「やれやれ、、、」とため息をつきながらも、調べずにはいられない自分がいる。
サトウさんと謎の遺産相続
真相は、依頼人の父が亡くなる数ヶ月前に資産の一部を第三者に譲渡していたことにあった。その譲渡先が、依頼人の元夫だと分かるまで時間はかからなかった。「復縁したいがための嘘だったんです」彼女の言葉は震えていたが、法的には通らない。
封筒の中身に仕掛けられた罠
最後に届いた一通の茶封筒。中には二通の遺言書が入っていた。どちらも公正証書遺言、日付が一日違い。まるで「金田一少年の事件簿」のような展開だ。だがここは漫画ではない。片方は有効、もう片方は無効。それを選び、依頼人に伝えるのが僕の仕事だ。
元野球部の勘が囁く嘘の匂い
「これは最初から計画されてたな……」フォームに入る直前の癖のように、人は無意識の中に本音を忍ばせる。書類の端に付いた鉛筆の下書き、消し残し。そこに、すべての答えがあった。
会話の端に光る真実
サトウさんの「それって、普通そんな言い方しませんよね?」というひと言で、僕は確信した。書類ではなく、言葉にヒントがあった。嘘は嘘として、真実の前にはかすむだけだ。
ひとりで背負うには重たい結末
事件は終わり、登記は完了し、依頼人も涙をこぼしながら感謝を述べて帰っていった。だが心には妙な空虚が残る。書類は完璧でも、気持ちの整理はそう簡単じゃない。
正義とは書類に収まらない
「センセの正義、たまに重たいですよ」サトウさんが笑う。その言葉は冗談のようで、核心を突いていた。僕の正義感は、誰かの罪悪感を増幅させることもある。それでも、やめられない。
孤独と誠実の狭間で揺れる決断
もう一人誰かいたら、少しは楽なんだろうか。でも、この仕事は結局、自分の手でケリをつけなければいけない局面がある。孤独は、時に誠実さを強くする。だが、強さばかりでは人は壊れる。
案件は片付いたが心は空欄のまま
今日もまた依頼が届く。差出人は知らない名前。たぶん、この先も僕は「おひとり様」のまま、増えていく案件と付き合っていくのだろう。「やれやれ、、、」と苦笑しながら、僕は新しいファイルを開いた。