書き換えられた真実
朝の書類山とため息
午前八時三十七分。事務所に着くとすでに机の上は紙の雪崩状態だった。誰がこの「山」をここまで積んだのかは火を見るよりも明らかだったが、もちろん文句を言っても無駄である。 「やれやれ、、、今日も紙とインクの海で溺れるだけか」 僕は椅子に沈みながら、傍らでコーヒーを飲むサトウさんの塩対応に目を細めた。
奇妙な登記簿の記載
積まれた登記関係書類の中に、ふと気になる一件があった。十年前に名義変更された不動産の登記事項証明書が、何か引っかかる。 「この原因、売買ってなってますけど、委任状が委任者本人じゃない気がします」 サトウさんがパソコンを打ちながらぼそりとつぶやいた。僕は背筋に冷たいものを感じた。塩対応でも、有能なのだ、彼女は。
サトウさんの無言の指摘
書類をひととおりチェックしたあと、サトウさんが一枚のコピーを机に滑らせてきた。それは件の登記に添付されていた委任状だった。 「これ、筆跡違いますよ」 彼女はそれだけ言って、またモニターに目を戻した。言葉は少なくとも、鋭さは名探偵級だった。僕は唸るしかなかった。
名義が浮かぶ謎の人物
登記簿に記された買主の名前に見覚えがなかった。町内でも聞いたことがない名だ。調べてみると、その人物は数年前に失踪扱いになっていた。 「おかしいですよね、失踪者が名義人になるなんて」 あくまで事務的に言い放つサトウさんの声が、どこかコナンのようにも思えた。
古い謄本が語ること
市役所の登記保存書庫で、十年前の旧謄本を閲覧した。そこには、売買の前に一度名義変更がされていた痕跡が残っていた。だが、現在の登記にはその痕跡が消えている。 「何か消されたな、意図的に」 そのとき、僕の中で野球部時代に培った勘が騒いだ。何か、ある。
隣地の老婦人の記憶
近隣住民の証言を集めようと、隣の家に住む老婦人を訪ねた。彼女は、十年前に「スーツを着た兄ちゃん」が何度も土地を見に来ていたという。 「それからすぐに、あの空き地が囲われてねえ、、、」 昔話の中にぽろりと真実が紛れていた。やはりこの登記、仕組まれている。
司法書士会からの通報
事務所に戻ると、司法書士会から電話が入っていた。別件で調査中の案件と、僕の調べた登記が一致したというのだ。 「同じパターンがもう一件、出てます」 嫌な予感がした。どうやらこれは、個人のミスではなく、何か組織的な動きがあるようだ。
隠された一枚の委任状
倉庫の奥に眠っていたファイルの束。その中から見つかった一枚の委任状は、十年前のものとまったく同じ文面で、別人の名前が書かれていた。 「これ、テンプレですね」 サトウさんは鼻を鳴らした。筆跡まで模倣されていたが、わずかな癖が残っていた。
元地主の行方
旧所有者の消息を追って、かつての住まいを訪ねた。今は空き家だったが、隣人から彼が老人ホームに入ったと聞いた。 「おかげで静かになったよ、あの人、うるさかったから」 そこで得た情報は決定的だった。彼は委任した覚えも、売却した覚えもないというのだ。
筆跡に潜む真贋の罠
僕は筆跡鑑定士に頼み、委任状の比較を依頼した。結果は、すべて同一人物による模倣だった。 「しかも相当の熟練者です」 登記原因の虚偽、名義書換えの偽装、、、すべてが一つの目的のために動いていた。
目録の矛盾に気づいたとき
地番と地目の不一致。目録に記された面積と現況の不一致。それらの齟齬が、事件の穴を開けた。 「ここ、図面と違いますよ」 サトウさんが放ったそのひと言が、決定打だった。
登記原因の落とし穴
売買原因で登記されたはずの土地には、実は所有権移転の前提となる契約が存在していなかった。契約書そのものが偽造されていたのだ。 「まるでキャッツアイみたいですね、証拠ごとさらってる」 僕は苦笑した。まさか司法書士が探偵まがいの真似をするとは思ってもいなかった。
サトウさんのひと言が全てを変えた
「これ、管轄の登記官にも報告しますよね?」 その冷静なひと言で、事件は公に動き出した。法務局が動き、司法書士会も調査に乗り出した。全てが、あの塩対応から始まっていた。
やれやれ真実はまた紙の裏側に
事件は解決した。偽装を行った者は刑事告発され、土地の名義も元に戻された。 だが、ふと気づけばまた新しい謄本の束が机に積まれている。 「やれやれ、、、真実はいつも紙の裏に隠れてる」 僕は書類の海に溺れながら、ため息をついた。
地方都市に静かに戻る日常
事件が去ったあと、町は何事もなかったかのように静かだった。騒ぎは記録としてだけ残り、誰も語らなくなった。 でも僕たちは知っている。あの書類一枚の重さを。 事務所のカレンダーだけが、また一日めくられていた。
そしてまた書類の山へ
「午前の相談三件、午後の決済ふたつ。あと登記三件分」 淡々と告げるサトウさんの声に、小さくうなずく。事件の後でも、やることは変わらない。 僕はペンを持ち直して、またひとつの登記簿と向き合った。