鍵はあるのに開かないのは心の方だった

鍵はあるのに開かないのは心の方だった

鍵はあるのに開かないのは心の方だった

毎日の鍵は開け閉めできるのに

朝、玄関の鍵をかけて事務所に向かう。夜、事務所の鍵を閉めて、また家の鍵を開ける。そんなルーチンをもう何年も続けている。鍵の操作には慣れすぎていて、無意識でも手が動く。でも、そんな習慣の中でふと気づくのは、「鍵を開けたその先に誰かが待っているわけではない」という現実だ。扉の向こうは静まり返った部屋。音も気配もない空間が広がっている。その瞬間、開いたのは玄関の鍵であって、自分の心はどこにも動いていないことに気づく。

玄関の鍵は毎日回している

鍵を回す感覚には何の感情も乗っていない。事務所と自宅を往復するだけの日々に、感動も驚きもない。唯一、違いがあるとすれば、帰宅時の鍵を回すときのあのわずかな虚しさかもしれない。仕事終わりに一息つくわけでもなく、誰かに「おかえり」と迎えられるでもない。ただドアの音だけが、今日の終わりを告げる。機械的に鍵を扱いながら、心だけがどこか遠くに置き去りになっているような、そんな感覚が日々蓄積されていく。

ただいまを言う相手がいない部屋

「ただいま」と言う習慣自体がなくなって久しい。言ったところで誰も返してくれないし、むしろ声に出すこと自体が虚しく感じてしまう。テレビをつけても、つけたところで誰かと感想を交わすわけでもないし、結局は無音の方が楽だったりする。そんな空間に慣れてしまった自分が一番怖い。「寂しい」と感じることを放棄した結果、心の扉はいつの間にか鍵をかけられていた。

鍵をかけてからが一番孤独な時間

扉を閉めて鍵をかけた後、部屋に広がる無音の時間。その静けさが、時に耳を塞ぎたくなるほど重くのしかかる。外の喧騒から解放されたはずなのに、むしろその瞬間から本当の孤独が始まる気がする。自宅に戻るたびに「今日も誰とも本音で話さなかったな」と感じる。誰かに心の鍵を開けてほしいと願いつつ、その鍵穴がどこにあるのかも分からないまま時間だけが過ぎていく。

誰にも見せない心の鍵

司法書士という仕事柄、感情を抑えて冷静でいることが求められる。相続や登記、時には相手の人生に深く関わる案件を扱うからこそ、感情を表に出すことは避けてきた。だがそれは、仕事だけにとどまらず、私生活でも感情を押し殺すクセとなり、心の奥に鍵をかけるようになってしまった。気づけば、誰にもその鍵を渡せずにいる。

仕事では感情をしまい込むクセ

相談者の話を冷静に受け止め、必要な手続きを淡々と進める。それが当たり前だと思っていた。けれど、本音を話す人がいないことにふと寂しさを感じる瞬間がある。誰かの人生を支える立場でありながら、自分の心は誰にも支えられていない。感情を見せない自分は強いと思っていたけれど、ただの不器用なだけかもしれない。

淡々とこなす書類の山

毎日机に積まれる申請書類や契約書に目を通す。数時間もパソコンと印鑑と向き合っていると、自分が生きているのか機械になっているのか分からなくなる時がある。相談者の感情に触れないようにと努めるあまり、自分の感情まで無意識に抑えていた。結果、心の中にずっと沈殿している何かが、解消されないまま溜まり続けている。

心を開くタイミングを忘れてしまった

誰かと飲みに行ったり、世間話をしたりすることもなくなってきた。「時間がない」「疲れている」そんな理由をつけては自分から距離を取っていた。気がつけば、人に心を開く機会そのものが消えていた。どのタイミングで開ければいいのかも忘れてしまった鍵が、心のどこかにぶら下がっているような気がする。

閉じたままでも続いていく日常

心が閉じたままでも、仕事は回る。相談は来るし、申請は通るし、報酬も振り込まれる。だからといって満たされるわけではない。どこかに「これでいいのか」と問いかけるもう一人の自分がいる。でも、鍵を開けるためには勇気がいる。その一歩が踏み出せずに、今日もまた無意識に鍵をかけてしまう。

心が開いていなくても業務は回る

冷静でいること、的確に判断すること、それが司法書士としての役割だと信じてきた。だから、心の奥がどうであれ、業務には支障が出ない。しかし、どこかで「これじゃいけない」と思っている。自分自身が壊れてしまう前に、誰かに話すことができればと願いながら、今日も一人で書類を眺めている。

それでも何かが足りないと感じる

生活はできている。収入もある。信頼もある。だけど、なにかが足りない。それが何かはっきりとは言えないけれど、たとえば休日に誰かと出かける予定があるとか、誰かの声で朝目が覚めるとか、そんな日常の小さな温もりなのかもしれない。鍵はある。けれど、開ける理由がない日々が続く。

足りないものに名前をつけられない

足りないものを「寂しさ」と言い切るのは簡単だ。でも、それだけじゃない。安心感でもなく、刺激でもなく、ただ「誰かと気持ちを共有できる何か」が欲しい。名前をつけられない欠落が、じわじわと心を蝕んでいる気がする。誰にも言えないけど、時々その穴に吸い込まれそうになる。

そして今日も鍵をかけて寝る

夜、部屋の電気を消して、玄関の鍵をもう一度確認する。戸締りは完璧。けれど、心の戸締りはもっと厳重だ。誰にも入らせないようにしているのは、自分自身だと分かっている。安心ではあるけれど、決して安らぎではない。開けられる日は来るのだろうかと、布団の中で考えることがある。

安心はしているが安らぎではない

泥棒が入る心配もないし、物音に敏感になる必要もない。でも、だからこそ、誰かが来る気配もない。防犯には成功しているけど、防心には失敗している。安心と引き換えに、心の温度は下がっていく。そうして眠りにつく毎日は、何かを守っているようで、何かを失っているような気もする。

次こそ誰かと一緒に鍵を開けられる日を

このままでもいいのかもしれない。でも、ほんの少しだけ、誰かと一緒にこの鍵を開けて、「ただいま」と言い合える日が来たらいいなと思う。心の鍵は錆びついているかもしれないけれど、それでも誰かがそっと手を添えてくれたなら、案外すんなり開くのかもしれない。

心の鍵は無理に開けなくてもいい

無理にこじ開ける必要はない。鍵は誰にでも渡すものではないし、開けるタイミングも人それぞれだ。だから焦らなくてもいい。ただ、自分で鍵をなくしてしまわないように、心のどこかで「開けてもいい日がくる」と思い続けていたい。そんな気持ちで、今日も玄関の鍵をゆっくり閉める。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓