卵焼きと登記簿と置き手紙

卵焼きと登記簿と置き手紙

朝の静けさと弁当の違和感

いつもならサトウさんの小言から始まる朝だったが、その日は妙に静かだった。机の上にポンと置かれていた包みが、妙に丁寧に包まれていることに気づく。気取った風呂敷の中から現れたのは、彩りの良い弁当と、無造作に折られた一枚の紙だった。

サトウさんが黙って置いていった包み

「私用で休みます」と、たった一行のメモが弁当に添えられていた。サトウさんが自分から休むなんて、甲子園決勝のノーゲーム並みに珍しいことだ。味噌のしみた卵焼きが、妙に切なかった。

中にあったのは彩りの良い弁当と一枚の紙切れ

ご飯の上には小梅がぽつんと乗っていた。海苔の下に、もう一枚の小さなメモが挟まっているのを見つけたのは、箸をつけようとした時だった。そこにはこう書いてあった。「全部、あなたに任せます」

やれやれと独り言をつぶやきながら

僕はメモをひっくり返しながらため息をついた。「やれやれ、、、」と声に出たのは、昔サザエさんで波平がカツオに宿題のことで怒鳴る前の、あの前口上のような気分だった。何かが起きている。それだけは直感でわかっていた。

文字のかすれたメモの意味

かすれたインクは、慌てて書いたことを示している。だが筆跡は整っていた。これは、意図的に「焦って見せている」可能性が高い。サトウさんが焦っている時は、むしろ字が綺麗になるという癖を、僕は知っていた。

「全部あなたに任せます」という一文

これは業務放棄ではない。むしろ、何か危険な匂いがする。司法書士に「全部任せる」と書かれたら、それは生前贈与でも登記申請でもなく、もっと重たい「選択」だ。すぐにPCを立ち上げ、前日の依頼記録を開いた。

依頼人の予定が突然キャンセルされた理由

午前十時に予定されていた登記申請の依頼人、山田という男の名前がスケジュールから消えていた。キャンセル通知も残されていない。電話をかけても「現在使われておりません」の冷たいアナウンスだけが返ってくる。

登記完了直前の失踪劇

依頼人のファイルには、登記識別情報通知の写しだけが残っていた。本来ならばその写しと原本を照合し、移転登記を進める段取りだった。だが、本人がいない今、それはただの紙切れだ。

法務局からの不穏な電話

その時、電話が鳴った。発信元は法務局。「山田様の件でご相談が」と言われ、僕は一気に背筋が冷えた。内容はこうだ。本人確認のための郵便が「転送不要」で戻ってきたという。そして「死亡届」が既に提出されていた。

サトウさんの机の上に残された書類

慌てて彼女の机を確認すると、丁寧に並べられた資料の中に、相続関係説明図が紛れていた。僕は司法書士である。つまり、遺産相続に関する書類の構造には、人よりずっと敏感だ。だが、そこには奇妙な違和感があった。

相続関係説明図と矛盾した住所

山田の実家として記されている住所は、実際には登記上存在していなかった。おまけに、母親とされる人物の姓が、依頼人と異なる。もしかすると、これは偽装か、あるいは過去を消すための工夫なのか。

旧姓で登録された不自然な所有者

さらに不自然なのは、登記簿上の所有者が「タカハシ」となっていることだった。山田ではない。調べてみると、タカハシ姓の所有者は10年以上前に婚姻により姓が変わっている。サトウさんの旧姓も、確か……

元野球部のカンが冴えた瞬間

ここで僕の野球部時代の勘が働いた。直感は「次の球種」を予測するためだけにあるんじゃない。真実を読み解くためにも使えるのだ。僕は弁当箱の裏を確認した。そこに、かすれた筆記体で「Takahashi」と書かれていた。

弁当箱の裏に刻まれた苗字に注目

これはサトウさんの私物だ。つまり、この弁当は彼女が作ったもの。そして、旧姓を刻んだ弁当箱をわざわざ使った意味。それは、かつての「家」をめぐる問題に彼女自身が関わっていることを示していた。

表札と違う旧姓タカハシの刻印

登記簿と弁当箱、どちらも過去を物語っている。彼女は自分の過去を、僕に調べてほしいわけじゃない。ただ、「この結末を処理してほしい」だけだった。だからメモには、たった一言「任せます」とあった。

山中の古家に向かった午後の行動

古い記録を元に山中の物件へと向かった。小雨が降る中、朽ちた家屋の前に立つと、不思議と懐かしさを覚えた。扉には鍵はかかっていなかった。中は埃だらけだが、生活の痕跡がまだ残っている。

人気のない物件に残された足跡

畳には新しい足跡があった。サイズは女性もの。サトウさんだろう。彼女はここに何かを取りに来た。いや、何かを置いていった。押し入れを開けると、封筒に入った「法定相続情報一覧図」が見つかった。

物置の中に眠っていた法定相続情報

一覧図の筆跡は明らかに彼女のもの。つまり、これは彼女自身が作成した“実家の解決”のための遺産分割計画だった。彼女は自らの過去を整理し、司法書士である僕に手続きを託したのだ。

サトウさんの行方とその理由

夜、事務所に戻るとメールが一通届いていた。「ありがとうございました。明日から、少しだけ新しい私になります。」件名は空白だった。弁当の味と相続書類。それだけが、彼女の気持ちを語っていた。

家族の再構築か過去の清算か

誰も彼女を責められない。誰にも言えない事情はある。大切なのは、それをどう処理するかだ。登記申請だけで済むなら、どれほど楽だったろう。でも、人の心は法務局のフォーマット通りにはいかない。

司法書士に託された遺志の形

司法書士とは、遺志の代弁者でもある。そう思えば、こういう仕事も悪くない。戸籍を追い、不動産を整理し、そして人の想いを受け止める。そういう職業だ。やれやれ、、、今日もまた妙な一日だった。

最後に登記を申請した夜

ネット申請画面に必要事項を入力する。申請理由は「相続による所有権移転登記」。その文言の裏にどれほどの物語があるか、法務局の担当者には想像もつかないだろう。

申請書に貼られた一枚の写真

添付された写真は、古家の前に立つ女性の後ろ姿だった。多分、サトウさんがタイマーで撮ったものだろう。写真には何も写っていない。でも、すべてがそこにある気がした。

それでも静かに処理される事務作業

送信ボタンを押した瞬間、PCのファンが静かに回り出した。いつも通りの、機械の音。だが、今日は少しだけ違って聞こえた。僕は椅子に深く沈み込んだ。

翌朝の事務所に戻ってきた彼女

「おはようございます」と言いながら、サトウさんは何事もなかったかのように事務所に戻ってきた。僕が何か言おうとしたが、彼女は先に言った。「弁当、美味しかったですか?」

「弁当美味しかったですか」の一言

僕はうなずいた。「ちょっと味が濃かったけどな」と言ったら、彼女は「そうですか」とだけ答えた。気まずさも、感謝も、すべてその一言で包み込まれた。

冷蔵庫の中にあったもう一つの包み

冷蔵庫を開けると、また弁当が置いてあった。今度はメモも何もない。ただ、弁当箱の裏には、苗字の刻印がしっかりと削り取られていた。それがすべての答えだった。

卵焼きの味と謎の後味

卵焼きは、やっぱり少し甘すぎる。でも悪くない。冷めた味が、妙に胸に沁みた。人生の謎も、たまには冷めたままのほうが、ちょうどいい。

やれやれと呟いてから始まる一日

僕はもう一度、「やれやれ、、、」と呟いて、パソコンを開いた。今日も登記が、何件か溜まっている。

机上の書類にそっと手を伸ばして

ただの書類だ。だけど、そこには誰かの物語がある。そう思いながら、僕はそっと次の申請書に手を伸ばした。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓