登記事項に隠された契り

登記事項に隠された契り

登記簿の片隅に

それは何気ない一件から始まった

「表題部が更新されてないですね」
午前中、いつものように事務所で書類を確認していたとき、サトウさんがぽつりとつぶやいた。僕の目にはただの不動産名義変更の依頼にしか映っていなかったが、彼女は違和感を感じ取ったようだ。
きっちり処理された登記簿にも、何かが潜んでいることがある。そう、サザエさんの波平さんの一本毛がたまに逆立つように。

不動産の名義変更の依頼

依頼人は五十代の男性。父親から譲り受けた古い一軒家を、配偶者に名義変更したいという。
住所は市内だが、謄本を取り寄せるとどうも腑に落ちない。「前所有者」が、今の依頼人と別の人物になっていたのだ。しかもその人物の姓が——
まるで旧姓のようで、しかも婚姻時の記録が見当たらない。

違和感の正体

見慣れた書類に紛れた異物

僕は机の上に資料を広げた。登記原因証明情報をもう一度確認する。
なるほど、前回の所有権移転は「贈与」とある。だが、贈与者の欄に記された名前が妙だった。
それは、今の配偶者とされる人物の旧姓——つまり、婚姻関係の記録がなければ説明がつかない名前だったのだ。

重婚か改名かそれとも

ここで考えうる可能性は三つ。重婚、偽装離婚、または第三者へのなりすまし譲渡。
だが、サトウさんは即座に否定した。「重婚なら、除籍謄本に記載が残るはずです。戸籍を取りましょう」
やれやれ、、、また市役所との戦いか、と僕は頭を抱えた。

戸籍と謄本の交差点

氏名の表記に潜む二重の影

戸籍を取り寄せてみると、ある一人の女性の記録が目に留まった。彼女の名は「清水ミドリ」。依頼人の現在の配偶者とされる人物と一致する。
だが、謄本には「加藤ミドリ」として記されていた。
「清水」と「加藤」——二つの姓に一人の女性。登記簿の世界ではよくあることだが、そこに婚姻の証拠がなければ話が違ってくる。

婚姻届と失われた日付

驚くことに、戸籍の婚姻欄に記載された日付と、登記上の贈与日が一致していた。
それは偶然か、あるいは綿密に計算された偶然か。
「司法書士って、案外サスペンスの登場人物っぽい仕事ですね」
そうサトウさんが言った。まるで名探偵コナンの阿笠博士に言われたようで、ちょっと嬉しかった。

男と女の名前

かつての夫婦か他人か

二人は確かに過去に婚姻関係にあった。そして離婚。だが、贈与の登記時にはすでに離婚済みだった。
なぜ、そんな相手に無償で家を贈与したのか。
普通に考えれば不可解だ。だが、恋愛と登記はいつも非合理な動機で繋がっている。

謄本が語るもう一つの生活

謄本の記載の中に、生活の痕跡が見えることがある。
そこには、所有者の移り変わりだけでなく、その背景にある人間関係がにじみ出るのだ。
今回はその「にじみ」が、離れた二人をまた繋ごうとしていた。

やれやれ事務所は静かだが

サトウさんの冷たい視線

「その贈与、ほんとに『善意』だけですかね」
いつもより一段冷たい声のサトウさんに、僕はコーヒーをこぼしそうになった。
「ほら、家って財産ですよ。未練って言葉じゃ片付かない気がします」
そんな彼女の推理に、僕は内心うなった。

独身の僕に突きつけられる過去

「シンドウさんはどうです?前の恋人に家、あげます?」
うっ、、、その質問はズルい。
高校時代の初恋の人の戸籍を、たまたま閲覧したことがあるなんて言えない。
やれやれ、、、僕の過去は謄本よりも複雑だ。

元配偶者の真相

二つの登記簿に書かれた同一人

調査の結果、依頼人の元配偶者が、再婚せずに名字だけを戻していたことが分かった。
贈与登記は、確かに「元」妻へのものだったが、それは「再会のきっかけ」だったのかもしれない。
法的には正当。だが、情的には複雑。謄本が語らない真実が、そこにあった。

一筆書きのような人生の軌跡

登記簿はまるで一筆書きの人生の記録だ。
所有権の変遷は、人間関係の変化と重なって描かれる。
今回、それが元夫婦を再び結びつける結果となったのだ。

裏の所有権移転理由

無償譲渡という奇妙な動機

本件の核心はここにあった。
なぜ無償なのか。なぜ今なのか。答えはこうだ。
「人生最後の恩返し」——依頼人は静かに語った。かつて自分を支えてくれた女性に、残りの人生を託すつもりだったと。

登記原因証明情報が語ること

僕は再度、登記原因証明情報を見つめた。
「本件贈与は無償にて行う」
その一文が、たった一人の想いをすべて物語っていた。紙は無機質だが、時に心を伝える。

消された記録

登記官による訂正の痕跡

面白いことに、訂正の記録が一つ残っていた。住所の番地がわずかに違っていたため、訂正されたようだ。
だがそのせいで、僕たちはこの謎に気づくことができた。
「ミスから始まる真実もあるんですね」
そうつぶやいたサトウさんは、ほんの少しだけ微笑んでいた。

除籍謄本が開く真実

除籍謄本には、かつての婚姻、離婚、そして住所の移転がきちんと記されていた。
すべてが法的に正しく、記録されていた。
でもそこに、人の想いまでは書き込めない——それを知るのは、僕たち司法書士の仕事なのだ。

二人の現在地

別々の人生を歩んだ末に

依頼人は「彼女は受け取ってくれるでしょうか」と僕に尋ねた。
「受け取るかどうかはともかく、あなたの意志は伝わると思います」
その言葉が、彼の背中をほんの少しだけ押したようだった。

再会を阻むものと繋ぐもの

人は書類で繋がることもあるし、書類で離れることもある。
今回、謄本は「再会」を促す道具になった。
だが、それを動かしたのはただの紙ではなく、記録の行間に込められた人の想いだった。

謄本が結んだもの

司法書士が見届けた結末

登記は完了した。僕の仕事はそこで終わる。
だが、心のどこかに「結びなおされたもの」への祝福が残っていた。
そんな日もあっていい。うっかり者の僕でも、少しくらい役に立った気がする。

そして僕はまた書類に戻る

午後の光が差し込む事務所で、僕はまた書類に目を落とした。
サトウさんのキーボードの音だけが静かに響く。
やれやれ、、、今日も謄本が語る誰かの人生に、少しだけ立ち会ってしまったようだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓