登記簿が照らした偽りの家
午前九時、事務所のドアがぎぃと軋んで開いた。年の頃は六十過ぎの男が、深く帽子をかぶり、手に分厚い封筒を持って立っていた。いつものようにサトウさんは目線だけで男を誘導し、椅子に腰をかけさせる。
「財産分与のことで相談したいんです。妹が亡くなって、その夫と揉めてましてね…」
相談者の名は宮脇。だが彼の語る“妹”には、微妙に違和感があった。
午前九時の依頼人
話を聞く限り、妹は数年前に亡くなり、その配偶者が遺産を独占しようとしているという。宮脇は、妹の生前の意思に反して不動産が夫名義で登記されたことに疑問を持っていた。彼はその経緯を明らかにしたいと訴えてきた。
だが、登記済証を確認してみると、確かに名義は夫のもので、しかも所有権移転は生前に行われていた。
「サトウさん、これおかしいと思いませんか?」私がそう言うと、彼女は「最初から」と短く返した。
財産分与の謎
登記の時期は亡くなる数ヶ月前。しかし委任状には妹の署名がある。しかも司法書士の職印も押されている。正当な登記のように見えた。
「これ、本当に本人が署名したんでしょうか」
サトウさんは、机に肘をつきながら、じっと登記済証を見つめていた。
調停成立のはずが
話はさらに複雑だった。実は宮脇と配偶者の間では、すでに家庭裁判所での調停が成立していたという。だが、宮脇は「騙された」と主張する。調停に提出された資料と、今回持参した登記済証の内容が食い違っていたのだ。
「まるで、別人の不動産みたいだ…」宮脇のつぶやきに、私は妙な既視感を覚えた。
それは、かつて読んだ『名探偵コナン』の遺言書偽造のエピソードとどこか似ていた。
サトウさんの違和感
「印鑑証明、取れますよね?」サトウさんが静かに言った。
「え?ああ、もちろん。戸籍とセットで請求しますか?」
彼女は無言でうなずき、プリンターから戸籍請求用の書類を取り出して印刷を始めた。
遺産に隠された別人
届いた戸籍と印鑑証明を並べてみたとき、我々は驚愕する事実に気付く。委任状に押されていた印鑑と、印鑑証明に登録されている印影が微妙に異なっていたのだ。
「これ、似てるけど偽物ですね。たぶんスキャンして加工してます」
サトウさんが確信を持って言い切る。その言葉に私は、思わず机に突っ伏した。
シンドウの調査開始
こうなると、こちらも本格的に動かねばならない。まずは登記申請書類一式を取り寄せて精査する。登記識別情報の記録、委任状、本人確認書類、それら全てに違和感があった。
まるで、偽装工作の見本市だ。…やれやれ、、、
だが、どうしてこんな手の込んだ偽装が行われたのか。動機が見えてこない。
表題部の裏に潜む真実
私はふと、表題部に記載された地番と、住居表示の違いに気付いた。旧地番のままになっている記録があったのだ。そこにこそ、抜け道が存在していた。
「サザエさんの家の番地が波平さん名義だったら…揉めますよね」
思わずそう言うと、サトウさんは「あの家は揉めそうです」とだけ答えた。
昔の登記と今の名義
古い登記簿謄本を取得すると、驚きの事実が浮かび上がった。元々この土地は、妹ではなく妹の実母の名義だった。それが遺贈を経て妹に渡り、さらに夫へと移った。
しかし、母から妹への遺贈の登記に不備があった。それを突いて、夫が抜け駆けで登記したのだった。
「つまり、最初の一手から間違ってたってことですか」
通帳に残された足跡
さらに宮脇が提供した妹の通帳には、死亡直前に多額の現金が引き出された痕跡が残っていた。しかも、その引き出しは本人ではなく、夫のものと思われる代理人カードだった。
これは決定的だった。すでにこの時点で意思能力があったかどうかが問われる。
「完璧ですね」とサトウさんは言う。「悪い意味で」
本人確認の罠
司法書士の職印は本物だったが、どうやら書類を持ち込んだのは別人だった。形式的には整っていたが、実際には本人を確認していなかった可能性が高い。
「俺たちも気をつけないとダメだな」
そう呟いた私に、サトウさんが「あたりまえです」と冷たく言い放った。
家族を名乗る男
ようやく真実にたどり着いた私たちは、配偶者を再度呼び出し、丁寧に事実確認を行った。すると、驚くべきことに、彼は正式な結婚届を出していなかったことが判明。
つまり、法律上の配偶者ではなかったのだ。彼の立場は、すべて虚構の上に成り立っていた。
「一発逆転狙った偽装家族ですね」サトウさんが淡々と呟いた。
真実を語る養子縁組届
その裏で、新たな戸籍が見つかった。妹は亡くなる直前、実母の意思で宮脇を養子として戸籍に入れていた。これにより、宮脇が正当な相続人となることが確定した。
「ようやく、筋が通りましたね」
私は久々に心の底から深呼吸をした。登記簿が語るのは、いつも静かな真実だった。
サトウさんの推理
「最初からおかしかったんです」とサトウさんは言う。「人は遺産の話になると、妙にしゃべりすぎるんです。黙ってる人の方が、だいたい正しい」
私は机の上にあったペンを片付けながら、彼女の冷静な分析に苦笑いした。
「まるでホームズだな」そう言うと、「ホームズはもっと優しいです」と返ってきた。
やれやれと書類を閉じて
事件は解決した。宮脇は感謝しきりだったが、私たちはいつも通りだった。やれやれ、、、また地味だけど厄介な案件だった。
サトウさんは「次はもう少し普通の依頼を」と言い残して、昼休憩に出ていった。
私は一人、ポットのお湯を注ぎながら、また一つ、登記簿が語った真実に思いを馳せた。
登記簿が示す最後の一手
この世界には、目には見えない線がたくさんある。戸籍と登記と、そして人の心の間にも。
私は登記簿の表紙を閉じて、そっと棚に戻した。その一冊が、また誰かの人生を証明していた。
さあ、次の依頼人はどんな「線」を持ち込むのだろうか。