登記のはじまりは一通の婚姻届
机の上に置かれた婚姻届。見慣れた様式の紙だが、どこか異質な空気を放っていた。
新婦の名前と新郎の名前。筆跡も問題ない。だが、何かが引っかかる。
その“何か”が司法書士としての第六感を刺激していた。
相談に来た新婦の不安な表情
彼女は終始うつむきがちで、僕と目を合わせようとしなかった。
「形式だけでもいいから」と言ったその声には、明らかに震えがあった。
まるでサザエさんのワカメちゃんが国語の発表で立ち尽くすような、そんな頼りなさだった。
添付された戸籍に感じた違和感
戸籍の筆頭者に記された新郎の父親の名前が、見覚えのあるものだった。
数年前、相続登記の際にトラブルを起こしたあの男のものだ。
まさかとは思ったが、家系図を頭に描いていくと、ひとつの仮説が形を成していった。
義務としての結婚か愛か
結婚にはいろんな理由がある。恋、妥協、利害。
だが今回のそれは、明らかに「義務」という言葉の臭いがした。
恋愛感情のある人間が、こんなに事務的な態度をとれるものだろうか。
サトウさんの冷静な分析
「愛してるって顔じゃありませんね、あの女の人」
サトウさんは画面越しの写真を見ながら、まるで刑事のように言った。
塩対応なその口調が、今回は妙に頼もしく感じた。
財産目録に隠された数字の罠
婚姻後に夫婦共有となるはずの不動産の登記が、すでに準備されていた。
しかも新郎名義の土地に、なぜか新婦の資金提供が記録されている。
それは、恋よりも義務の臭いを濃くさせる材料だった。
登記の隙間にある嘘
細部を見れば見るほど、用意周到さが透けて見える。
婚姻による利益、それを前提とした相続対策。
そう、これは感情よりも税法と登記法を操る一種の「作戦」だった。
委任状に記された二人の名前
その中に、第三者の名前が見えた瞬間、僕の中の警報が鳴り出した。
過去の登記で見たことのある、遺産分割協議書に出てきた人物だった。
つながってしまった。すべてが。
証人欄の筆跡に潜む疑念
婚姻届の証人欄、そこに書かれた筆跡が、まるで書写の宿題のように丁寧すぎた。
しかも二人とも、使用しているボールペンのインクが一致している。
それは、同じ場所・同じ時間で書かれた可能性を示していた。
やれやれ、、、やっぱり来たかこのパターン
声に出してしまった。やれやれ、、、と。
こういうケース、年に一度はある。
感情じゃなく契約、義務と利益で組まれた婚姻という名の舞台装置。
届け出のタイミングが語ること
提出予定日が、特定の相続税申告の期限ギリギリに合わせられていた。
つまり、これは“愛”の手続きではない。“節税”という魔法を使うための道具。
恋人ごっこを演じるには、あまりに冷たい日付だった。
事務所に届いた一通の封筒
事件の終わりは突然やってきた。
新婦からの「婚姻届提出の撤回」の申し出。中には涙で濡れた手紙が入っていた。
「私は、義務として誰かの妻にはなれません」——
死者からの手紙に記された真実
さらに同封されていたのは、新郎の父が数年前に書いた遺言書の写し。
「息子には家を継がせたい。だが自由に結婚させるな」
恋はその遺言の中で、静かに殺されていたのだった。
愛の証明は登記ではできない
登記簿に記されるのは、物の帰属であって心の所在じゃない。
たとえ婚姻が成立しても、そこに「愛」があるかは、証明しようがない。
僕はそっと、未提出の婚姻届をシュレッダーにかけた。
最後にサトウさんが言った皮肉
「登記されてない恋のほうが、本物っぽいですね」
僕は答えられなかった。ただ机に残ったハンコの跡を見つめていた。
まったく、やれやれ、、、