名義の影に潜む者
その日の朝も例によってバタバタしていた。コーヒーはインスタント、朝刊は広げたまま、郵便物の山に押し潰されていた。そのなかに、妙に分厚い封筒がひとつ――事件の始まりは、そこからだった。
差出人の名前には聞き覚えがなかったが、土地の名義に関する相談とのこと。まぁ、また誰かの相続絡みだろうと思っていたが、今回は一味違った。
「登記簿が、勝手に書き換えられてる気がするんです」――依頼人の第一声がそれだった。
午前十時の訪問者
事務所のドアが開いた瞬間、時計の針はちょうど十時を指していた。ノックすらせず入ってきた男は、やけに顔色が悪く、額には玉の汗がにじんでいた。
「これがその登記簿謄本です」と差し出された紙は、確かに妙な点があった。筆頭所有者の名前に見覚えがある――けれど、何かがおかしい。
サトウさんが冷静に言った。「字体が違いますね、旧字です」まるでアニメ『名探偵コナン』のように、些細な違和感からすべてがほどけていく気がした。
不動産の登記簿に潜む違和感
登記簿謄本には「田中義一」と記載されていた。依頼人の父の名前と同じだったが、登記されたのは亡くなる半年前――入院中で、文字を書くどころか話すこともままならなかった時期だ。
「誰かが、父の名義を使って、勝手に登記を?」依頼人の手が震えている。やれやれ、、、また一筋縄ではいかなそうな案件だ。
念のため、過去の印鑑証明や委任状の控えも請求することにした。におう。これは、完全にクロだ。
なりすまされた所有者
法務局から取り寄せた印鑑証明の写しは、依頼人が見せてきた父親の実印とは明らかに違っていた。押し方もインクの質も違う。
「偽造ですね、これ」とサトウさんがあっさり言い放つ。口調は冷静だが、目が鋭くなっていた。まるで『キャッツアイ』の瞳のようだ。
登記名義人のふりをしていた人物は、一体何者なのか。なぜ、そんな手間をかけてまで他人の土地に名義を移そうとしたのか――謎が深まる。
本物の委任状が語らない真実
委任状の筆跡をサトウさんがスキャンしてAI解析にかけると、他の登記の委任状と一致していた人物が浮かび上がった。通称「トウジョウ」――悪質な登記ブローカーだった。
数年前に地元の不動産屋とつるんで不正登記を繰り返し、業界でも有名な存在だった。見かけは「サザエさんのマスオさん」そっくりで、妙に愛想がよく、油断させるタイプらしい。
この町にも、とうとう来たか。背筋がぞくりとした。
サトウさんの冷ややかな推察
「でも先生、これ多分もっと深いですよ」
サトウさんが机に肘をついて言った。「この土地、隣接地が同じ名義になってます。つまり、一つの土地だけじゃない。計画的です」
「やっぱり、、、俺、悪い予感しかしないんだよなぁ」また愚痴をこぼしてしまったが、サトウさんはスルーだ。
印鑑証明の交差点
複数の印鑑証明書類の交差点を突き詰めると、すべての申請代理人が同一人物の使用した書式で作られていた。そこに『合同会社タチバナ』という謎の法人が浮上する。
この会社、登記上は存在しているが、実体がない。まさにルパン三世のアジトのような“蜃気楼の会社”だった。
タチバナが、なりすましの黒幕か。ならば次の一手は、、、
見覚えのない登記申請書
地元の司法書士協会に依頼して、当該登記を担当した書士の情報を調べる。結果は――「該当なし」だった。
ありえない。登記がされている以上、誰かが電子申請を行ったはずだ。それが協会にも記録されていないということは、、、闇の司法書士か。
「やれやれ、、、まさか都市伝説レベルの奴が本当に存在してたとはな」背中に冷や汗がつーっと流れた。
旧字体のワナ
サトウさんが印影の一部を拡大して見せてくれた。「これ、田中の『中』が旧字体です。ワープロ打ちではまず出ません」
つまり、書類を作成した者は手書き派か、もしくは相当マニアックなツールを使っている。しかもその字体は、数年前に問題になった偽造事例と一致していた。
その時の登記関係者の一人が、どこかで聞いたことのある名前だった――そう、「タチバナ」だ。
司法書士が陥る罠
証拠が揃い、警察への相談を進める段階になったが、突然、登記簿上の名義が元に戻されていた。誰かが申請を取り下げたらしい。
通常、所有権の名義を戻すには訴訟や公的手続きが必要なはずだ。それがスルッと修正されていた。司法書士が介入しなければ、これは無理だ。
つまり、黒幕の中に「司法書士」がいる。やはりこの業界、表もあれば裏もある。
依頼者の影と食い違う供述
依頼人に改めて聞き取りをすると、一度だけ「お父様の筆跡が怪しいと気づいたが、揉めたくなかった」と話していた。
「ご家族内でも何か隠しているのでは?」と尋ねたとき、依頼人の表情がわずかに歪んだ。もしかすると――なりすましを知りながら、黙っていた?
全体の構図がやっと見えてきた。
夜の法務局前で
夜、法務局前のベンチでひとり缶コーヒーを飲んでいると、スマホにサトウさんからメッセージが来た。「先生、全部繋がりました」
例の「タチバナ」の代表者名と、依頼人の親戚が繋がっていた。つまり、今回の名義なりすましは、身内の仕業だった。
誰もが自分を守るためにウソをつく。法律だけじゃ救えない場面が、やっぱりあるんだなと感じた。
サザエさん式記憶術の効き目
「あれ? この名字、どこかで見たような…」と、俺がぼやいた瞬間、サトウさんが言った。「昨日のテレビでサザエさんに出てた名字です」
たしかに“タチバナさん”が隣人役で出ていた。その記憶が引っかかり、情報検索のきっかけになったのだった。
やっぱりサザエさんは偉大だ。
本物と偽物を分ける一行
最終的に事件は、サトウさんの冷静な解析と俺のうっかりメモに残っていた一行の電話メモから解決した。
それは「○○登記申請、依頼人名は違う気がする」と書かれていたもの。やれやれ、、、我ながら役に立つときもあるらしい。
これでようやく、あの土地は正しい名義人に戻された。
相続関係説明図の落とし穴
後日談として、件のタチバナは「相続関係説明図」を偽造していた。親戚になりすました名前が、実在しない人物だった。
法務局でも議論を呼ぶレベルの悪質さだったようで、最終的には刑事告発となった。
登記って、地味だけど、命がけになるときもあるのだ。
サトウさんの一言
「結局、全部書類が語ってましたね」
サトウさんが机の上を片付けながら、ぽつりとそう言った。
「人は嘘をついても、紙は正直ですから」――冷たい口調の裏に、少しだけ、安心したような笑みが見えた。
「それって、法的にアウトですよね」
帰り際、件の依頼人からのお礼の菓子折りを見て、サトウさんが言った。
「法的にアウトなのに、お礼されても微妙ですよね」
やれやれ、、、俺たち司法書士の仕事って、ほんと報われないな。
名義の影が明かす正体
こうして一件落着とはいえ、名義の影に潜む者は、またどこかで同じような手口を試みているかもしれない。
俺はただ、また今日も書類をめくる。地味で、地道で、そして――時々ドラマがある。
それが司法書士という仕事なのだ。