静かな町に届いた一通の封書
秋の風が少し冷たくなってきた頃、事務所に届いたのは一通の内容証明郵便だった。差出人は見覚えのない名前。開封すると、そこには「不正な名義変更に関する通報です」とだけ書かれていた。
郵便物には一枚の写しが添えられており、それは登記簿のコピーらしかった。見れば、確かに聞いたこともない人物が所有者として記載されていた。
だが、そんなことは珍しくもない。不動産は、時に人の欲望と策略の舞台になる。問題は、この名義が「存在しない人物」だったという点だ。
差出人不明の内容証明郵便
宛名の筆跡はくせのある丸文字で、癖が強すぎて逆に記憶に残らないほどだった。差出人欄には「田代仁」とあったが、住民票や登記情報には該当する人物は見当たらない。
この封書が本物なのか、あるいは誰かの悪戯か、それすら判別がつかなかった。だが司法書士としては、無視するわけにもいかない。
やれやれ、、、また妙な依頼が来たもんだ。
登記情報に記された不可解な名前
登記簿を取り寄せてみると、確かに所有権移転の記録があった。だが、その移転先は一度きりの登記、そしてその後、固定資産税の課税もされていない。
登記原因は「贈与」となっていたが、贈与契約書の写しも不明、証明する書類も存在していなかった。これは何かおかしい。
私はサトウさんに向かって、「この名義人、戸籍調べてみてくれ」と呟いた。彼女は無言で頷き、すでに端末を開いていた。
依頼人の沈黙と不自然な緊張
その日の午後、年配の女性が事務所を訪ねてきた。細身で目元に深いしわが刻まれ、手には古びたバッグを抱えていた。「相続登記をお願いしたいのですが……」
提出された戸籍類を確認していくうちに、私はあることに気づいた。この相続には、登記簿上に現れていたあの謎の人物が関与していなければ、名義が一致しない。
「この方は、どなたですか?」と尋ねると、依頼人は一瞬だけ目をそらし、「……遠縁の者です」とだけ答えた。だが、その答えは明らかにぎこちなかった。
戸籍には存在しない相続人
サトウさんが戻ってきて、ぼそっと告げた。「その人、戸籍には存在しません。住基もヒットしない。完全なゴーストですね。」
私は背筋に寒気を覚えた。存在しない人物が、登記簿上で所有者になっている。その裏で何があったのか。これは、ただの書類ミスでは済まされない。
どうやら、本格的に動く必要がありそうだ。
サトウさんの冷静な調査開始
私はしばらく沈思したのち、「サトウさん、登記に使われた契約書を当たってみてくれ」と頼んだ。すると彼女は淡々と「もう法務局で取得済みです」と資料を机に置いた。
この人、やっぱり只者じゃない。私はちょっと尊敬したふりをしてうなずきながら、契約書を開いた。その中に書かれていた署名に見覚えがあった。
名前ではなく、その筆跡に――。
どこかで見たことのある署名
サザエさんで言えば、波平が「こらカツオーッ!」と怒鳴るような場面だった。そう、これは以前の事件でも見た筆跡。別の件で相談に来た、ある行政書士のものに酷似していた。
偶然では済まされない。同じ人物が複数の書類に関与しているのだとしたら、これは計画的犯行の可能性が高い。
私は決意を固め、週明けにはその行政書士に会いに行くことにした。
消えた書類と見えない圧力
ところが、週明け。登記原因証明情報を保管しているはずの事務所の棚から、該当の資料がすっぽりと消えていた。誰も触っていないはずなのに。
不審に思って確認すると、保管庫の内側に「T.J」と書かれた付箋が残されていた。誰かが何かを隠そうとしている、それが明らかだった。
もはやこれは不正登記ではなく、偽造書類を用いた登記詐欺の疑いすらある。
元所有者が残した最後のメモ
依頼人が帰ったあと、私とサトウさんは再び役所へ赴いた。旧所有者の資料を確認していたところ、彼が亡くなる前に残した手書きのメモが見つかった。
そこには「この土地だけは、絶対に仁には渡すな」と走り書きされていた。仁――あの差出人とされていた男の名前だ。
死者の声は、やはり真実を語る。
町役場で語られた過去の因縁
町役場の古株職員が、渋い顔で語り出した。「あの土地は昔、相続争いがひどくてな……兄弟同士、絶縁するほど揉めたんだよ」
どうやら依頼人は、その時に敗れた側の血縁だったらしい。名義変更には復讐の念が絡んでいたのだ。
誰かが偽名を使い、登記簿に名前を刻ませることで、死者に勝とうとした。なんとも、因果な話だ。
生前贈与か遺言か 曖昧な境界線
登記簿に記載された登記原因は「贈与」だったが、時期的に見ると所有者が病床に伏した頃にあたる。意識が明瞭だったのかどうか、証明するすべもない。
遺言書の存在も確認できず、生前贈与の意志確認も不明。すべてが曖昧なまま、名前だけが動いていた。
そう、まるで怪盗キッドが現場にカードを残すように――。
古い登記簿に隠された改ざんの跡
法務局の協力で、手続き当時の旧データを確認することができた。そこには、登録免許税の支払いが途中で二度修正されていた記録が残っていた。
そして筆跡鑑定の結果、当時の申請書に記された署名は、依頼人のものではなかった。完全ななりすましだったのだ。
これで、ジグソーパズルの最後の一片がはまった。
元職員の証言がすべてをひっくり返す
さらに、当時の法務局職員の一人が事情聴取に応じてくれた。「ああ、その書類……正直、おかしいとは思ってた。でも、上から圧力があって……」
やはり裏があった。ある行政書士が、関係者に接触し書類を通していたことが判明した。すべての点と線がつながった。
これでやっと、依頼人に真実を告げることができる。
すべては終わり だが忙しさは続く
事件が終わり、依頼人はぽろぽろと涙を流していた。「先生、助けてくださってありがとう……」
私は帽子を取り、野球部の引退試合のように一礼した。だが、事務所に戻るとサトウさんはパソコンを叩きながら言った。「次の登記、準備できてますよ」
やれやれ、、、休む間もないらしい。