そもそもなぜ司法書士を目指したのか
ふと気がつけば、司法書士として十数年が経っていた。毎日があまりに忙しく、立ち止まって「なんでこの仕事を選んだんだっけ」と考える余裕もなかった。でも最近、ふとした拍子に昔のことを思い出してしまう。なぜ自分はこの道を選んだのか。何が自分をここに導いたのか。今さらだけど、改めて考えてみたくなった。それは過去を美化するためではなく、ただ少しだけ、自分を許したい気持ちからだった。
最初のきっかけはあの頃の焦りと劣等感
大学を卒業しても正社員の内定はもらえず、フリーターとして日銭を稼ぐ毎日だった。仲間たちが社会に出て活躍していく中、自分だけが取り残されたような気がしていた。居酒屋で深夜まで皿を洗いながら、「俺はこのままでいいのか」と何度も自問した。将来に不安しかなく、でも何をしたいかもわからなかった。そんなときに出会ったのが「資格を取れば人生が変わる」という薄っぺらい広告だった。
周りは正社員 僕はバイト生活
同級生がスーツを着て出勤しているSNSの投稿を見ては、胸がざわついた。地元の友人たちとも、だんだん会話が合わなくなっていった。「今、どこで働いてるの?」という何気ない一言が、いつも心に刺さった。実家にも顔を出しづらくなっていき、親戚の集まりなんか地獄だった。何者にもなれないまま、時間だけが過ぎていくあの感覚。あれが、司法書士を目指す最初のエネルギーになったのかもしれない。
資格があれば何とかなると思ってた
資格を取れば人生逆転できる。そんな甘い幻想を本気で信じていた。根拠なんてなかったけど、とにかく「何かになりたい」という焦りが勝っていた。宅建や行政書士も検討したけど、司法書士が一番難しいらしいと聞いて、逆にそれが燃えた。今思えば、完全に虚勢だった。根拠のない自信だけで、独学の勉強生活が始まった。
野球部で鍛えた根性があったから続いた勉強
学生時代、野球部で鍛えた根性は多少なりとも役に立った。あの頃のしごきに比べれば、机に向かうだけの生活はまだ楽だと思えた。暑い夏も寒い冬も、毎日ルーティンのように朝から過去問と向き合った。誰にも期待されていなかったけど、それが逆にプレッシャーがなくてよかったのかもしれない。ただ、孤独だった。勝手に目指して勝手に苦しんでいた。
結果が出るまでは長かった
一発合格なんてできるわけもなく、何年もかかった。周りは就職し、結婚し、子どもを持ち始めていた。自分だけが変わらず参考書に囲まれていた。成績は伸びたり落ちたりの繰り返しで、精神的にも追い詰められた。夜中にベランダで泣いたこともある。何度もやめようかと思ったけど、やめたら本当に何も残らないと思って踏みとどまった。
合格後に待っていたのは現実だった
合格通知が届いた日のことは今でも覚えている。ガッツポーズも涙も出なかった。ただ、ようやく「スタートラインに立てた」と思った。でもその先に待っていたのは、思っていた以上に厳しい現実だった。開業するにも金がかかるし、顧客なんてゼロからだった。名刺の配り方すら知らなかった。
開業して十数年 田舎の小さな事務所から見える風景
司法書士になってからの年月は、正直あっという間だった。気がつけば田舎で小さな事務所を構え、一人の事務員さんとともに日々を回している。派手さはないけれど、地元に根を張る仕事だ。しかし、地元ならではのしがらみも多く、毎日が気疲れの連続だ。
理想とはかけ離れた日々にうんざりすることも
もっとスッキリと法的な仕事をするはずだった。でも実際には、愚痴や雑談に付き合い、電話番になり、時にはパソコンの操作まで教える羽目になる。「これ、司法書士の仕事?」と思うことがよくある。なんでも屋みたいな扱いに、正直うんざりする日もある。けれど、それを口に出せば仕事が減るだけ。だから黙って飲み込む。
地元の付き合いも面倒は多い
町内会や商工会との付き合いも避けて通れない。断れば「あいつは冷たい」と言われ、引き受ければ「暇そうだな」と笑われる。何をしてもどこかで文句は出る。気を遣いすぎて夜中に胃が痛くなることもある。人付き合いの疲れが、仕事の疲れより重いことすらある。
便利屋みたいな扱いに思うところもある
「ちょっとこれ書いて」「これ、見といて」そんな依頼が日常茶飯事。法律の知識を使う仕事より、雑務や説明役として使われている気がする。でも断ると角が立つし、結局引き受けてしまう。自分が楽をしたいと思うだけで、地域に貢献していないような罪悪感があるのが、また厄介だ。
それでも一人の事務員さんに支えられている
長年一緒に働いてくれている事務員さんがいる。その人の存在がなければ、たぶんとっくに事務所を畳んでいた。細かい気配りと、ちょっとした冗談で笑わせてくれる空気の読み方には、何度も救われている。言葉には出せないけど、本当に感謝している。
孤独と感謝が毎日交互にやってくる
ひとりで抱えることが多く、寂しさに潰されそうになる夜もある。でもそんなとき、ふと「今日もありがとうございました」と言って帰っていく事務員さんの背中を見ると、少しだけ救われた気持ちになる。「自分だけじゃない」って、思わせてくれる存在だ。
人を雇う責任は想像以上に重かった
誰かの生活を支えるというのは、思っていたよりずっと重たい。給与を遅らせることなんて許されないし、突然辞められたら仕事が回らない。プレッシャーはいつも背中に張りついている。それでも信頼して任せられる人がいるというのは、大きな支えだ。
今さらながら 司法書士になってよかったのか
ときどき思う。「もし別の道を選んでいたら、もっと楽だっただろうか」と。でも、たぶん何をやっても不満は出た気がする。司法書士だから苦しいんじゃなくて、働くって、誰かの期待に応えるって、そういうことなのかもしれない。
正直なところ 後悔もある
この年になっても独身だし、女性にもモテない。仕事ばかりしてきて、気づけば友人とも疎遠になった。「司法書士なんてやらなきゃよかった」と思うことだってある。でも、もう戻れない。進むしかない。そんな諦めにも似た覚悟で、今日も事務所を開ける。
もっと自由な生き方もあったかもしれない
好きな場所で暮らして、好きな仕事をしている人を見ると、うらやましくなる。東京の友人が会社を辞めて海外に行ったときは、本気で「負けた」と思った。司法書士は場所に縛られる仕事だ。自由はあるようで、ほとんどない。
恋愛も結婚も後回しにしすぎた
気づけば、結婚適齢期なんてとっくに過ぎていた。仕事が落ち着いたら…なんて思っていたら、永遠に落ち着かなかった。婚活アプリも試してみたが、全然うまくいかなかった。プロフィールの「職業:司法書士」も、逆に堅苦しい印象を与えてしまうみたいだ。
でもたまにあるありがとうが救いになる
どんなにしんどくても、「先生のおかげで助かりました」の一言で報われる気がする。そんなに感謝されることは多くない。でも、その少ない一言が、意外と力になる。司法書士という仕事の存在意義は、そこにあるのかもしれない。
依頼人の笑顔にちょっと泣きそうになる時
「やっと終わった」「助かった」そう言って、笑って帰っていく依頼人を見ると、胸がじんとする。別に自分がすごいことをしたわけじゃない。でも、自分がいなければその人は困ったままだったと思うと、役に立てた実感が湧く。
必要とされることの重みと報酬
仕事を通じて「誰かの役に立っている」と実感できるのは、本当に貴重だと思う。ただ、それに見合う報酬は…と聞かれると、首をかしげたくなるけど。それでも、存在意義があるだけで、なんとか続けていけるのかもしれない。
これから先もこの道を続けていくのか
たぶん、明日も同じように事務所を開けて、電話を取って、書類を書いているんだと思う。華やかさはない。でも、しぶとく地味に生きていくのも、悪くないのかもしれない。そう自分に言い聞かせながら、今日も仕事をする。
辞められない理由と続けたい理由
経済的な理由もあるけれど、もう司法書士以外の仕事ができる気がしない。じゃあ辞めたいのかと聞かれても、それも違う。仕事はつらい。でも嫌いではない。その微妙なところに、自分の人生が張り付いている。
生活のために続けているという現実
正直、お金がなければ生きていけない。だから働く。でも、司法書士じゃなくてもよかったんじゃないかと思うこともある。たまたま選んだ道が、たまたま今まで続いているだけ。そんな気もしている。
でも誰かの力になれるなら悪くない
この仕事をしていなければ出会えなかった人がたくさんいる。人生の節目に立ち会う仕事でもある。そう考えると、司法書士という職業も悪くないのかもしれない。少なくとも、今日も誰かの役に立てたなら、それだけで十分だと思いたい。