朝の依頼人と謄本の違和感
役所帰りの男が抱えた一通の謄本
朝一番、まだ事務所の湯沸かしポットも温まっていない時間に、男が飛び込んできた。スーツは着ていたが、顔色は悪く、片手にはビニール袋。その中から差し出されたのは、不動産登記の全部事項証明書だった。
「これ、昨日法務局で取ったんですけど……なんかおかしいんです」 そう言って彼が机に置いた謄本には、確かに見覚えのある地番が記されていた。
同じ不動産に二つの謄本
「これ、同じ土地でしょ?」と、彼が続けて取り出したもう一通の謄本は、数日前に取得されたもので、名義人も登記の履歴も一見まったく同じだった。ただ、紙質が微妙に違う。字体も――少しだけ、妙に角ばっていた。
その違和感に、背筋がすうっと冷えた。「これ、偽造じゃないかもしれませんが……何かが変です」私は小さくつぶやいた。
サトウさんの冷静な観察
「一文字だけ違うんです」
隣でお茶を淹れていたサトウさんが、無言で近づいてきて、二つの謄本をぱらぱらと眺めた。指を止めて、さらりと言う。
「この『山田』の『田』、一つは旧字ですよ。あと、地番の後ろに微妙な全角スペースがありますね。パソコンで打っても、普通は入らない」
私は思わず吹き出しそうになった。「君、司法書士向いてるんじゃないか?」
地番の謎とフォントの歪み
法務局発行の謄本にそんな誤差があるわけがない。だが、ここまで似せられると、もはや素人目には区別がつかない。これは偶然ではない。明らかに何か意図がある。
「やれやれ、、、また変なのが来たな」私はため息をついた。
古い謄本と新しい謄本
一見同じでまるで違う証明書
本物の謄本を再度法務局から取り寄せた結果、男が持参した一通が偽造であることが確定した。しかも偽造元になっているのは、数年前の所有権移転直後のもので、登記簿上の変化がない期間を狙って作られていた。
つまり、誰かが「何も変わっていない」ように見せかけたかったということになる。
管轄法務局の「うっかり」では済まされない
「これ、管轄の法務局が間違えて出したとか、そういうレベルじゃないですよね」とサトウさん。私は頷いた。
情報の改ざん、いや、もっと言えば登記制度そのものへの挑戦だ。まるで『怪盗キッド』が警察署に堂々と侵入しては高笑いして帰るような構図だ。
登記名義人の意外な素性
謄本の裏に記された旧姓
再取得した正規の謄本を詳細に確認すると、登記名義人の備考欄に旧姓が記載されていた。依頼人は「妻の名義だった土地だが、離婚して疎遠になっていた」と語った。
どうやら妻の旧姓と現在の名義人の名前が繋がっているらしい。つまり、同一人物が二つの名義を使い分けていた可能性がある。
消された売買の記録
さらに調べると、一度売却された記録があったはずの年度が謄本上からきれいに消えている。これこそが改ざんの証拠。誰かがこの土地を「売られていないこと」に戻そうとしていた。
理由はまだ不明だが、目的は「過去の取引の抹消」以外にない。
現地調査と不在の住人
表札のない一戸建て
私は依頼人を伴って現地に足を運んだ。そこには、まるで誰も住んでいないような一戸建てがぽつんと建っていた。表札もない。庭は荒れていたが、郵便受けだけが妙に整っていた。
これは、誰かが「放棄された物件」を演出しようとしている形跡だ。
ご近所の証言と謎の男
近所の主婦が、「この間、スーツの男が頻繁に出入りしていた」と証言した。鍵はその男が持っていたらしく、夜中に電気がついていた日もあったという。
依頼人は驚いた様子で、「僕じゃない……」とだけ言った。
事件の核心に迫る瞬間
やれやれ、、、これが司法書士の役目か
司法書士がここまで現地調査をするのも珍しいかもしれない。だが登記が正しくなければ、不動産の世界はすべて崩れる。私は肩をすくめて言った。
「やれやれ、、、これが司法書士の役目か」
殺意はいつ生まれたのか
警察が捜査に乗り出したのは、近くの河川敷で女性の遺体が発見された翌日だった。身元は、登記名義人――つまり、依頼人の元妻だった。凶器の指紋と、謄本偽造に使われたソフトの痕跡が一致していた。
犯人は、彼女の現在の内縁の夫であり、土地をめぐって争いになっていたという。
すれ違った登記と人の思惑
誰のための謄本だったのか
偽造された謄本は、彼女を追い詰めるための道具だった。すべての名義を白紙に戻し、彼女の「不正取得」を証明するかのような筋書き。それに気づいた司法書士が一歩踏み込まなければ、真実は闇に葬られていた。
サトウさんがいなければ、私は気づけなかったかもしれない。
サトウさんが見抜いた真実
事務所に戻ると、サトウさんは涼しい顔で書類整理をしていた。「謄本って、嘘もつくんですね」とぼそっと言う。
私は苦笑いした。「いや、嘘をついてるのはいつだって人間の方さ」
その言葉に、サトウさんが少しだけ微笑んだ気がした。