今日の晩ごはんパンだけだった日常の重み

今日の晩ごはんパンだけだった日常の重み

パンだけの晩ごはんが心に刺さる夜

今日の晩ごはんは、パンだけだった。スーパーの片隅で見切り品の袋パンを手に取って、レジを済ませたそのとき、「ああ、またか」と心のどこかがため息をついた。栄養バランスとか、食の楽しみとか、そんな話じゃない。誰かと食卓を囲むこともなく、ただ空腹を満たすためだけに口に入れたパンが、妙に心に残る。忙しさのせいにしたくなるけれど、たぶん本当は、忙しさの裏に隠した孤独を自分が一番よくわかっている。

空腹よりも心の空白がつらい

腹が減ってることよりも、食べながら話す相手がいないことのほうがしんどい。テレビをつけっぱなしにして、音だけでも埋めようとするけど、CMの陽気さが逆に胸に刺さる。電話でもしてみようかとスマホを手に取るが、仕事の連絡先ばかりで、気軽に声をかけられる相手なんて思い浮かばない。今日も無言でパンをかじりながら、どこにぶつけるでもない寂しさだけが残った。

コンビニのパン棚の前で立ち止まる

昼過ぎに登記申請を出してから事務所に戻る途中、ふとコンビニに立ち寄った。レジ横の揚げ物には目もくれず、まっすぐパンの棚へ向かう。何度目だろう、このルート。買うものもだいたい決まっていて、今日はチョコパンとジャムパンのセット。新商品を試そうなんていう気分じゃない。ただ、黙って選んで、黙って食べて、また黙って仕事に戻る。その繰り返しだ。

選んだのは味ではなく値段だった

結局選んだのは100円を切る安売りパンだった。腹を満たせればそれでいい、というより、節約しないといけない感覚が染みついている。収入がないわけじゃない。けれど、いつ不意に支出が増えるかわからない仕事をしていると、どうしても慎重になる。事務員の給料や、家賃、備品。そういうものを優先して、自分の食事が後回しになることに、今さら違和感もない。

忙しさに負けて食事を後回しにした結果

気づけば、昼を抜いて夜も適当。今日はとくに、相談が3件、決済の立ち会いが1件、そして急な役所対応で走り回った。予定外のことがあると、もう食事の優先順位なんて一気に下がる。パソコンに向かいながら、気づけば夜になっていた。そこから料理をする気力なんて湧いてこない。手間よりも、気持ちがついてこないのだ。

仕事を優先する癖が染みついてしまった

若いころは「自分の健康も仕事のうち」なんて言ってたが、今は完全に逆だ。仕事を滞らせないために、生活を犠牲にするのが当たり前になってしまった。電話が鳴ればすぐに出る、依頼があれば多少無理してでも対応する、そういう積み重ねが、食事や睡眠のバランスを壊している。だがそれが“信頼される司法書士”だと、自分に言い聞かせてきた。

気づいたら事務所に缶コーヒーの空き缶が山

毎日飲んでる缶コーヒーの空き缶が、気づけば机の端に並んでいる。しかも微糖じゃなくて、無糖。甘さを感じる余裕すらないのかと笑ってしまう。事務員がたまに「ちゃんと食べてますか?」と気を遣ってくれるけど、「はい」と嘘をつくのが日課。彼女だって、自分の仕事で精一杯だ。誰かに甘えたくても、甘えられる場所がないのが現実だ。

誰かと食べる食事が恋しいけど言えない

テレビで芸能人が家族と食卓を囲むシーンを見て、ふと涙が出そうになることがある。そんな自分に驚きながら、やっぱりどこかで「誰かと食べたい」と思っている。だけど、忙しさを言い訳にして、人とのつながりを遠ざけてきたのは自分だ。誰かを誘う気力もなければ、気の利いた言葉をかける余裕もない。独り身の夕飯は、静かで、そして少し寂しい。

モテない自分が悪いのか仕事のせいか

若い頃は、多少は期待してた。司法書士という肩書きがあれば、真面目な自分にもチャンスがあるかもと。でも現実は違った。仕事柄、異性との出会いも少なく、会話も業務的。趣味や感情の話なんて、いつの間にか苦手になっていた。モテないというより、近づかないようにしていたのかもしれない。人間関係に期待しないことで、傷つかないようにしていたのだ。

一人分だけ作る気力もない夜

昔は一人暮らしを始めたころ、簡単な料理くらいはしていた。だけど、いつからか「一人分って面倒だな」と感じるようになり、だんだんと遠ざかってしまった。鍋を出す気力もないし、洗い物も億劫。結局、パンと缶コーヒーという味気ない組み合わせに落ち着く。たまにSNSで友人の手料理の写真を見ると、劣等感すら覚える。

元野球部でも心は折れるときがある

高校時代、どんなにしんどくてもグラウンドを走り回っていた自分。根性だけはあったと思う。けれど、社会に出てからのしんどさは、根性だけではどうにもならない。疲れていても「やらなきゃ」と無理してしまい、気がつけば心がすり減っている。パン一個の晩ごはんが、それを象徴しているようで、余計に虚しさを感じてしまう。

パンだけの日も自分を責めないために

こんな夜があってもいいじゃないか。そう思えるようになったのは、最近のことだ。完璧を求めて、毎日きちんとした食事をしなければ、という強迫観念から少しだけ解放されてきた。パンだけだった日も、自分を責めるのではなく、「今日もちゃんと働いた」と肯定してあげたい。誰に認められなくても、自分だけは自分を見捨てない。

それでもちゃんと今日を生きた証

事務所で一日中書類と向き合い、誰かの手続きを支えた。それだけで、十分意味のある一日だと思いたい。食事が質素だったとしても、心が踏ん張っていたのなら、それは立派な生き方だ。パンをかじる時間すら惜しんで誰かの役に立とうとしている自分を、少しだけ誇ってもいいのかもしれない。

司法書士として頑張る人への小さなエール

同じように忙しくて、気づけば晩ごはんが適当になってしまった司法書士の方へ。「それでもいい」と言いたい。食事に手を抜いてしまった日があっても、あなたの努力が無駄になるわけじゃない。むしろ、無理しすぎて体も心も壊さないように、たまには何も考えずパンだけで済ませる日があってもいい。今日の自分も、あなたも、ちゃんと頑張ってる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓