忙しいふりが板についてきた毎日に思うこと

忙しいふりが板についてきた毎日に思うこと

誰も頼んでないのに忙しいふりが染みついた

気づけば「忙しいふり」が自分の一部になっていた。誰かに頼まれたわけでもないし、演技力を試されているわけでもないのに、まるで舞台の上で一人芝居をしているかのようだ。事務所にひとりでいる時間、電話が鳴っていないのに受話器を手に取って「はい、はい」と小声で応じてみたり、来客もないのに「今日も立て込んでてさ」と独り言をつぶやいてみたり。これが本当に仕事なのか、それともただの癖なのか、自分でも境目がわからなくなってきた。ただひとつ言えるのは、忙しいふりをしていると、なぜか安心するということ。それが、この仕事を長く続けてきたことの副作用なのかもしれない。

本当にやることが多い日もあるけど

嘘じゃない日もある。登記が集中する月末や、裁判所からの照会が重なった日なんて、昼ごはんを食べる間もないほどだ。でもそんな本当に忙しい日よりも、むしろ何もない日が辛い。書類の山があるわけでもなく、誰かに呼ばれることもない静かな日、そこで私は「忙しさの幻想」を作り出す。郵便の確認に何度も行ってみたり、古いファイルを引っ張り出して机に並べたり。誰も見ていないのに「誰かに見られている自分」を演じている。かつては野球部で、大声を張り上げて泥まみれで走っていたのに、今はパソコンの前で静かに「忙しい自分」を装っている。あのころの自分がこれを見たら、きっと苦笑いするだろう。

電話のフリをして書類を整理する自分に気づく

ある日、机の上で散らばった書類をまとめながら、ふと気づいた。受話器を肩に挟みながら「それでは来週の火曜日に…」と誰かと話しているふりをしていた自分の姿に。電話は鳴っていなかった。その瞬間、なんとも言えない虚しさが胸をよぎった。「こんなことしてどうするんだろう」と思いながらも、その後もしばらく電話のふりを続けていた。誰かに「こいつ、頑張ってるな」と思われたいのか、それとも「暇なやつ」だと思われるのが怖いのか。どちらにせよ、もうそれを止めるタイミングを逃してしまった気がしている。

暇だと知られるのが怖いだけかもしれない

結局のところ、「忙しいふり」の根っこにあるのは、暇だと思われることへの恐怖なのかもしれない。「あの先生、最近暇そうだよね」なんて噂が流れたらどうしよう、そんな被害妄想すらしてしまう。たとえ実際に暇であっても、それを表に出すのは恥ずかしい。誰かに頼られない、必要とされない、それがまるで存在を否定されているように感じる瞬間がある。だからこそ、「ふり」でもいい、忙しくしていたい。たとえ自分自身をだましていたとしても、それが日々の小さな安心につながるなら、演技をやめる理由はないのかもしれない。

事務所の静けさが妙に重たい理由

うちの事務所は基本的に静かだ。事務員さんは黙々と入力をしてくれるし、来客が多いわけでもない。それなのに、その静けさが時々息苦しくなる。音がないと自分の心の声がよく聞こえてしまうからかもしれない。「今日、自分はちゃんと役に立てたのか?」「このままでいいのか?」そんな問いが、コピー機の音すら聞こえない空間にふいに響くのだ。仕事の音がないと、自分の存在までもがぼやけていくような気がする。だからこそ、忙しいふりで埋めようとするのかもしれない。

一人雇ってる事務員はちゃんと忙しそう

事務員さんは本当にありがたい存在だ。黙っていてもきっちり入力してくれるし、こちらが指示しなくても先回りして動いてくれる。でもそんな彼女が黙々と作業している横で、私は何をしているのかと自問する時間が増えた。自分の机の上で、スマホの通知を確認したり、メールボックスを何度も開いて「何も来ていないこと」を確認したり。もしかして、自分の方がサボっているのでは?と焦る瞬間すらある。それを誤魔化すように、わざと「急いでいる風」の動きをしてみせる。まるで見えない誰かとの競争の中にいるような気がしてしまうのだ。

なのに自分は机の前で演技してるような感覚

何度も腕時計を見る。必要以上に書類をめくる。電話を取るときは少し大きめの声を出す。それら全部が「忙しいふりの演技」だと気づいている。でも、その演技を止めるのが怖い。止めた瞬間に、自分の役割がなくなってしまう気がして。以前は「司法書士としての仕事」に誇りを感じていたのに、最近では「仕事をしているように見える自分」でしか自己肯定できていないのかもしれない。この違和感は、本当に危ないサインなのかもしれない。

成果の見えにくい仕事ほど嘘っぽく見える

登記も裁判書類の作成も、ぱっと見では進んでいるのかどうか分かりにくい。特に顧客からのリアクションがない日なんて、自分が本当に役に立っているのかすらわからなくなる。成果の見えにくい仕事は、誰にも評価されないような錯覚に陥る。そして、それを補うように「忙しいふり」で自分を正当化する。これがずっと続くと、心がじわじわとすり減っていく。だけど、それでもやっぱり明日も事務所には行くし、電話が鳴っていなくても「はい」と言ってしまうかもしれない。それが今の、自分なりの仕事の仕方なのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓