筆界未満の関係
申請書と添え状の間に
とある午後、机の上に置かれた一通の合筆申請書。その添付書類に混じって、妙に丁寧な便箋が一枚。内容はただ一行、「このたびの申請、どうかご内密に」とだけ書かれていた。差出人は、隣地に住む男女の連名だった。
合筆申請という名の告白
「これ、なんだか妙じゃないですか?」と、サトウさんが冷静に切り出した。彼女の目が鋭く書類を走査する。「土地の名義を一つにするって、つまり……二人が一緒になるってことですよね」。恋人未満の二人が、土地だけを一つにしようとする不自然さ。登記の裏に、何かがある。
境界確認の立会いに現れた二人
現地での立会い、二人はまるで他人のようだった。視線は合わず、言葉も少ない。なのに、立ち合い印だけは、丁寧に重ねるように押されていた。「あれで本当に合筆する気なんですかね?」ぼそっと呟いた声が、冷たい風に消えていった。
名義と感情の食い違い
書類上は明確な意思がある。だが、感情はそれに追いついていない。元地番の履歴を追うと、二人は数年前から隣同士だったことがわかる。だが過去に土地の分筆が行われた記録もなく、初めから隣にいることを前提にした配置。まるで何かを「待っていた」ように見えた。
筆界点に残された違和感
境界杭の脇に、古びた指輪が落ちていた。刻まれたイニシャルは、合筆申請者と一致する。「これ、プロポーズだったんじゃないですか?」サトウさんがポツリと呟く。「でも返事は、杭の外に投げられたってことかも」。言葉に詰まる。
地積測量図の余白にある謎
提出された測量図には、小さな誤差があった。通常では問題にならないほどのずれ。しかし、わざと誤差を残したような線の引き方。境界線の上にあるはずの愛が、すこし右にずれていた。「恋の誤差って、登記できないんですよね」とサトウさんは皮肉を飛ばす。
サトウさんの冷たい指摘
「この申請、無効にすべきかもしれません」。サトウさんの声は冷たく響いた。「片方だけが土地を失うことになる。法的には問題ない。でもこれは、感情を偽装した契約だと思います」。そう言って彼女は、申請書に赤鉛筆で小さくバツを入れた。
元野球部のカンが冴える時
ぼくの中で何かが引っかかった。あの便箋。あの落ちた指輪。そして境界線の右側にずれた誤差。全てが、彼女の拒絶と、彼の未練を示していた。「サトウさん、あの便箋、彼じゃなくて彼女が書いたんじゃないかな」。そう言うと、彼女は少しだけ目を見開いた。
謄本と手紙の二重写し
ぼくは登記簿の閉鎖謄本を確認した。そこにかつての所有者として、二人の父親の名が並んでいた。もともとは一つの土地。それを分けて、子どもに譲ったのだ。そして今、その子どもたちが土地を「再合筆」しようとしている。愛の結実か、親の呪縛か。
やれやれ、、、恋は法定外か
やれやれ、、、結局、登記じゃ解決できない問題ばっかりだな。ぼくは煙草の代わりにコーヒーをすする。愛とか信頼とか、そういうのは非課税だが非証明だ。土地は一つになれても、心まではどうにもならない。
真相と登記簿の整理
結局、申請は取り下げられた。理由は「感情的な整理がつかないため」とだけ書かれていた。だが、彼女がそっと申請書に「感謝します」と書き足していたのを、ぼくは見逃さなかった。何かは、始まりかけていたのかもしれない。
境界を越えられなかったもの
境界杭はそのまま残され、新しい杭が打たれることはなかった。二人の距離も、おそらくあのまま。でも、申請という一歩を踏み出した事実だけは、司法書士のファイルの中に、ひっそりと綴じられた。
サトウさんの無言のツッコミ
「で、あなたはどうなんですか。境界、超える気あります?」急に話を振られたぼくは、口にしていたドーナツを落とした。彼女はため息をついて、「やっぱりうっかりですね」と言って笑わなかった。
最後に活躍する男の背中
それでも。最後の申請チェックを終えて、ぼくは机の上をトントンと軽く叩いた。「さて、次の依頼は」と言いかけて、彼女に見つめられていることに気づく。「しばらく地図の整理でもしましょうか」。やれやれ、、、地図の上では、距離は縮められても、心までは測れない。
誰にも渡らなかった土地の未来
その土地はいまも、未登記のままだ。だが、もしかしたら。ふたりが老いて、またここに戻ってくる時が来るかもしれない。その時には、ぼくが再び申請書を預かるだろう。きっと、今度こそ筆界を越えて。