現場は造成地だった
杭の打たれた土地に倒れていた男
それは火曜日の朝だった。前夜の雨のせいで、造成中の仮換地にはまだぬかるみが残っていた。倒れていた男は、仮設フェンスの隙間から見つかった。首には絞められたような痕があり、傍らには真新しい赤い境界杭が突き刺さっていた。
サトウさんが出していたコンビニコーヒーの蓋を閉めたまま、現場をじっと見つめている。その横顔には「またか」という疲れの色が浮かんでいた。
仮換地。正式な地番もつかず、権利も宙ぶらりんの土地。そんな場所で死体が見つかったのだ。
私に舞い込んだ奇妙な登記相談
現場からそう遠くない場所にある、私の司法書士事務所に一本の電話がかかってきた。仮換地に関する登記の相談ということで、現場の区画整理組合からの依頼だった。
「ちょっとおかしい資料があるんです」担当者の声はどこか怯えていた。やれやれ、、、朝から事件に巻き込まれるとは思わなかった。
私は背中に湿布を貼りながら、サトウさんに出動の準備を頼んだ。彼女はすでにファイルをまとめていた。仕事が早いのはありがたいが、塩対応も同時進行なのがこの人だ。
換地図面に書かれていない境界
区画整理と仮換地の落とし穴
換地処分というのは複雑な制度だ。登記上はまだ旧地番のまま。だが、実際に使われている土地は新しく割り当てられた仮換地だ。見た目と登記が食い違うという、登記あるあるの温床でもある。
今回はさらに悪質だった。図面と現況が一致していなかったのだ。しかも、杭が増えていた。元々なかった場所に一本、杭が打たれていた。それがまさに死体のそばにあった杭だった。
誰が、いつ、何のために打ったのか。正確に言えば「誰のために」打ったのかが問題だった。
サトウさんの冷静な指摘
「これ、所有権移転が完了してないですね」サトウさんがコピー用紙をひらひらと見せてきた。「しかも、この申請書、本人の署名が妙に新しい」
確かに。死亡時刻を考えると、この署名は不自然だった。まるで死後に書かれたかのように思えるほど筆跡が整っている。
「サザエさんのエンディングで、波平が忘れ物して戻ってくるみたいなズレですね」とサトウさん。例えが刺さりすぎる。
動き始めた疑惑の所有権移転
被害者の印鑑証明の不自然な日付
登記申請に添付されていた印鑑証明書の日付が、事件発覚のわずか一日前。しかもそれは、被害者の死亡推定時刻の後だった。
「やれやれ、、、死人が書類を揃える時代か」と私は呟いたが、サトウさんは無言で書類の束を机に積んだ。黙っている時ほど、彼女は集中している。
この印鑑証明が偽造なら、真犯人は司法書士以上の手口を持っている。
申請された書類の空白の意味
さらに不思議だったのは、登記原因証明情報にぽっかりと空欄があることだった。通常なら「売買」や「贈与」といった理由が書かれるはずだが、そこがまっさら。
サトウさんは指をトントンと机に当てながら言った。「これは、地番と人物の関係を隠そうとしてますね。まるで関係がなかったように」
つまり、真犯人はこの土地の取得者であることを隠したい。だが、なぜ?
元地主たちの不協和音
「こんな土地、わしのじゃない」と語る老農家
私たちは以前の所有者、つまり仮換地の前の地主を訪ねた。老農家は畑にスプリンクラーを設置しながら話してくれた。
「あの区画?あんな場所、引き受けた覚えはないな。組合が勝手に決めたんだろう」
これは口裏合わせか、それとも本当に無関係なのか。だが、その態度はどこか芝居がかっていた。
過去の境界紛争と調停記録
役場に足を運び、境界紛争の過去記録を閲覧した。すると被害者と同一人物が数年前、測量士と揉めていた記録が見つかった。
「おかしいな、、、この時点ではこの人、仮換地の取得者じゃなかったはず」私は首を傾げた。
つまり、彼は誰かのために争っていたのだ。土地は「誰か別の人物」の名義だった。
やれやれ、、、杭の影に潜む意図
図面にないはずの境界杭が語るもの
杭の場所をもう一度確認するために現地へ赴いた。すると、古い図面には確かに記載されていない杭が現地に複数あった。
「これは……意図的に打たれてますね」サトウさんが小さく呟いた。「しかも、仮換地に指定される以前から、位置がずれていた杭です」
つまり、何者かが土地の境界を変えていた。人知れず、少しずつ、見えないナイフで線を描くように。
地籍調査時の測量士の証言
地籍調査に関わった測量士の証言は核心に近づいていた。「あの杭は、私たちの作業とは関係ありませんよ」
「では誰が?」と私が訊くと、測量士は図面のコピーを取り出し、「この筆界点、正規のものじゃありません」と静かに言った。
それはつまり、不正があったということだった。土地という静かな資産が、殺意の舞台になったのだ。
サトウさんが暴く法務局の記録
変更された地番と正体不明の所有者
法務局で調べたところ、所有者の履歴に謎の変更があった。地番の変更と同時に、申請者の住所地も移転していた。
サトウさんが指摘した。「これ、ダミー登記です。実体のない人物を作って、その名で土地を取得してます」
つまり、被害者はダミー名義の実行者にされた。そして殺された。犯人はその背後にいる。
名義人の謎と登記簿の空欄
名義人の住所に向かっても、空き地だった。ポストも、住民票も、存在していない。紙の上の幽霊だ。
登記簿の空欄は、誰かが意図的に空けたものだった。全ては、換地前に不正取得された区画を、合法のように見せるため。
犯人はこの仮換地を”隠し金庫”として使っていたのだ。
つながった線と真犯人の目的
換地を利用した財産隠しのトリック
浮かび上がったのは、地元の不動産業者だった。過去に何度も仮換地を利用して資産を隠していた経歴がある。
今回も、ダミーの名義を使って換地された土地を転がし、巨額の不動産を得ようとしていた。
しかし、被害者がそれに気づいてしまった。そして口を塞がれたのだ。
なぜ仮換地に死体が置かれたのか
犯人は被害者が土地の境界に執着していたことを利用し、自ら杭を打たせ、その横で殺した。
地図にない土地。地番のない地面。そこに落ちた命。まるで最初から存在しなかったかのように。
だが司法書士は登記簿を読む。紙が沈黙しても、登記は嘘をつかない。
登記が語る真実
正確な手続きが暴く人の悪意
登記制度は退屈なようで、実はすべてを記録する。誰が、いつ、どんな意図で土地に関わったのか。
そこに嘘があれば、必ずどこかに綻びが現れる。今回もまた、仮換地という名のマントに包まれた嘘が露わになった。
やれやれ、、、事件解決の報告書を書いているうちに、もう次の相談予約が入っていた。
静かな換地図と消えた足音
誰もが境界を見ないふりをする
現場の杭は撤去され、殺意の痕跡は風に消えた。だが、土地はそこにあり続ける。人が目をそらしても、境界はそこに在り続ける。
この町の誰もが知っているのだ。仮換地という名の便利な迷路を。
そして今日もまた、区画の奥から新たな足音が聞こえてくる。