朝届いた一通の不動産調査依頼
八月の蒸し暑い朝、いつものように事務所に出勤すると、机の上に封筒が置かれていた。差出人の記載はなく、中には一枚の依頼書と地図が添えられていた。内容は「〇〇町の空き家について所有者を確認してほしい」とだけ書かれている。
差出人不明の依頼なんて、普通なら無視するところだが、なぜかその封筒には不穏な空気がまとわりついていた。私の野球部時代の直感が「これは面倒なやつだ」と警鐘を鳴らしていた。
名義変更をめぐる奇妙な違和感
「先生、この登記簿……ちょっと変ですね」と、サトウさんが声をひそめて言った。私はコーヒー片手にぐでーっとしたまま覗き込む。
「名義変更されたのが今年の五月。でも、この名義人、死亡届出されてます。平成二十二年に」と、サトウさんは淡々と続けた。ああ、また厄介ごとか。
所有者欄に記された違和感の正体
確かに登記簿を見ると、所有者の欄に「山口アキ」とある。しかし、戸籍附票で確認すると、この女性は十年以上前に死亡している。
つまり、誰かが死亡した人物名義で登記を変更した、ということになる。それができるのは偽造、あるいは極めて稀な例外処理……どちらにしても普通じゃない。
現地調査と崩れかけた空き家
午後、私は地図を頼りに現地へ向かった。町外れの古い民家。塀は崩れ、庭は雑草で覆われていた。
「最近、人が出入りしてたみたいね」近所の老婆がそう言いながら、野菜を持たせようとしてきた。私はサザエさんの波平ばりに「いや、遠慮しますぞ」と断った。
近所の老婆が語った昔の住人
「あの家の奥さん、昔からちょっと変わっててねえ。旦那さんが夜逃げしてからは、姿を見なくなったんだわ」
古い噂話には必ずヒントがある。サトウさんが口癖のように言う言葉だ。どうやらこの家には過去に何かがあったらしい。
依頼人は誰だったのか
封筒に指紋はなかった。依頼書にはサインも押印もない。だが、筆跡がどこかで見た気がする。
私は過去の相談記録を漁り、一枚の委任状のコピーに辿り着いた。確信した。これは、あの男だ。
登記申請書類の筆跡と代理人
代理人欄に記載されていたのは、「山口ケンジ」という名。かつてこの家の登記で揉めた、故アキさんの元夫だった。
彼が勝手に登記変更を試みたのか、それとも何か守るための偽装なのか。登記簿が語らぬなら、こっちから問い詰めるまでだ。
旧姓で残された所有権
「山口アキ」の名は旧姓のまま残っていた。通常、結婚すれば登記も変更する。しかし、それがされていなかった。
「つまり、あの家は彼女個人のものとして、守られていたということですね」とサトウさんは言った。推理漫画の助手キャラのように、スパッと核心を突いてくる。
サトウさんの一言が導いた真実
「女性名義のままにしておけば、差し押さえも避けられる。借金取りも来ない」とサトウさんが呟く。
やれやれ、、、こっちはまだ状況整理してるというのに。私は紙コップのコーヒーを啜りながら、重い腰を上げる。
かつての恋と消された過去
元夫の山口ケンジは、元妻の死後も家を守っていた。登記を動かしたのは、彼女の遺言だったのかもしれない。
「あの家は、彼女のものでいい。俺には似合わないから」 男の声は、妙に優しかった。
登記簿に書かれなかった動機
法の記録には動機は記されない。だが、そこには人間の想いが確かにあった。
もし彼が法を犯していたとしても、それは守るための嘘だったのかもしれない。私は静かに事件を終える決断をした。
結末としての所有権放棄
最終的に、家は相続人不在財産として、市へ寄付される形で処理された。 無言の愛が残された、そんな結末だった。
私は処理の完了報告書を机に投げ出し、大きく伸びをした。
そしてまたいつもの事務所へ
「先生、さっきのFAX、また逆に送ってましたよ。ちゃんと確認してください」 サトウさんの塩対応が、むしろ日常のありがたみを思い出させてくれる。
「……はいはい。やれやれ、、、司法書士ってのは、本当に地味で大変な仕事だよ」 私は小さくため息をついて、またパソコンに向かうのだった。