朝一番の不在通知
いつものように始まる一日
役所帰りの坂道を上って事務所のドアを開けたとたん、サトウさんの視線が突き刺さる。 「机の上の不在票、さっき届いた分です」 見れば差出人は記載なし。再配達の受付も済んでいた。俺の知らぬところで、俺宛に何かが動いている。
差出人不明の郵便物
再配達で届いたそれは、古びた封筒だった。裏には茶色くにじんだ糊の跡。 消印がかすれて読めず、しかも宛名の「進藤」の字が、なんとなく懐かしい筆跡だった。 依頼人のものか、それとも…。サトウさんは黙ってそれを俺の机に置いた。
依頼人の沈黙
相談内容は封筒ひとつ
封を切ると、手紙と一枚の土地の図面が出てきた。手紙にはこうあった。 「この土地は彼女のものです。どうか…真実を記録に残してください」 差出人の名前はない。ただ、日付は七年前だった。
遺言か恋文か
内容は登記とは程遠い感情の連なりだった。彼女の夢、彼女との約束、そして自分の弱さへの後悔。 文末には、判を押すべき欄が空白のままだった。これは遺言か、それとも書きかけの恋文か。 「うっかり恋の書類に巻き込まれましたね」と、サトウさんが冷めた声で言った。
記憶の底に沈んだ約束
かつての登記に潜む謎
ふと思い出した。十数年前、ある女性が「恋人に土地を贈りたい」と言って事務所を訪れたことがある。 ただ、その登記は途中で取り下げになった。理由は覚えていない。 手紙の中の「彼女」がその女性だとしたら、この封筒は過去からの呼びかけだ。
公図にない道
登記簿をあたると、その土地は現在別の名義になっていた。だが奇妙なことに、公図の一角が空白だった。 ちょうどその場所が、手紙の図面と重なる。まるでそこだけ、記憶ごと地図から削除されたようだ。 「これは、地図にない愛の抜け道ですね」と、サトウさんが言った。
サトウさんの冷静な推理
筆跡と日付に違和感
封筒の筆跡と、中の手紙の筆跡に微妙なズレがあった。 「おそらく封筒は本人、でも中身は別人ですね。筆圧が違うし、日付の書き方が女性的です」 サトウさんはまるでルパンの五右衛門のような冷静さで、封筒をスキャンして言った。
これは事件の書きかけだ
手紙の文末、「記録に残してください」の一文はまるで誰かへの命令のようだった。 つまり、これは書き手が本気で“誰かに託したかった”未完の依頼だったのだ。 ただの恋文じゃない。これは未遂の贈与であり、未遂の登記だ。
やれやれ、、、俺の出番か
うっかり開封と推理の始まり
やれやれ、、、俺は別に探偵じゃないんだが。 それでも気づけば、過去の資料を棚から引きずり出していた。 未提出の委任状、破棄された契約書、そして…あった。過去の依頼人カルテの控えだ。
元野球部のカンが働く
当時、印鑑証明が取れなかったために断念した案件があった。依頼人名は「佐藤春子」。 その名前が、手紙の最後の一文の隅に小さく記されていた。「春子より」と。 直感で、俺はその土地に関する過去の登記識別情報を取り寄せることにした。
幻の依頼人を追って
登記簿から消えた名前
佐藤春子名義の所有権移転登記は、確かに存在していた。だが、2年後に白紙のような抹消申請が出されていた。 何者かが「なかったこと」にしていたのだ。 抹消申請書の代理人欄には、見覚えのある名があった。「村田法律事務所」——あの時の依頼人の元婚約者だったはずだ。
郵便局の記録が語るもの
消印の記録を調べた結果、封筒は三年前に一度配達されかけたが、宛先不明で差し戻されていた。 つまりその手紙は、三年間郵便局の「迷子箱」にいたことになる。 サトウさんは「ラブレターの幽霊ですね」と言って、ポストにそっと視線を送った。
未完の恋が導く手紙の行方
一通の手紙が二人を結ぶ
春子は既に故人となっていた。だが、残された彼の名義で土地の名義変更は可能だった。 俺は封筒の中身を証拠として、特別代理人の申立書を作成した。 依頼ではない。これは、最後の恋のための手続きだった。
残された愛と嘘の記録
贈与登記が叶うことはなかったが、その意思と記録は俺の手で登記簿の備考欄に記された。 それが、司法書士にできる唯一の「記録」という仕事だ。 彼の嘘も、彼女の真実も、法の下に同じ価値を持つべきなのだから。
判を押したのは誰か
実印と印鑑証明の矛盾
封筒の裏に、かすかに朱印の跡があった。それは登記書類では使わない私印のもので、個人的な「約束」の印だった。 「この人、自分の愛を、実印でなく“私印”で残したんですね」 サトウさんの言葉に、何か胸の奥がチクリと痛んだ。
真実は封筒の裏に
封筒の内側には、ほとんど見えない薄墨で「許してくれ」と書かれていた。 この手紙は、贖罪であり、遺言であり、恋文だったのだ。 俺はそっと封筒を閉じ、手元の万年筆を置いた。
最後のひらめき
恋と登記の交差点
その後、あの土地は市に寄贈され、小さな公園になった。 備考欄の記録は、何年も人の目に触れることはないだろう。 でも、そこに記された「意志」こそが、恋の終点であり、法の証人だった。
愛を残した推理の結末
帰り道、公園に寄ってみた。ベンチには老夫婦が座り、鳩にパンを与えていた。 何も言わず、ただそこにいるだけで通じ合うような、そんな空間だった。 俺は帽子をかぶり直して、肩の力を抜いた。「やれやれ、、、」とつぶやきながら、坂を下った。
すべては届かぬ手紙から始まった
封を切られた心
あの封筒が、開けられなければ何も起きなかった。 でも開けたことで、未完だった想いがほんの少しだけ、誰かの記憶に刻まれた。 司法書士の仕事とは、そういうことなのかもしれない。
サトウさんの一言が刺さる
「司法書士って、恋の後始末もやるんですね」 サトウさんの言葉に、俺は返す言葉を見つけられなかった。 ただ、心のどこかで「それも悪くない」と思ってしまったことが、少し悔しかった。