仮換地の底に沈む声
六月のある日、雨上がりのぬかるんだ道路を歩きながら、私は重たい書類鞄を片手に現地調査に向かっていた。
仮換地、という言葉は一般にはあまり馴染みがないが、登記に関わる者としては一種の地雷原のようなものだ。
特に今回のように、すでに亡くなっている地主が絡んでくると、その複雑さは三倍になる。
不自然な名義変更
現地に行く前、私はその土地の名義変更の登記記録を確認していた。
しかし、そこにはあるはずの原因証明情報が添付されていなかった。
「一体どうやって通ったんだこの登記……」と小声で呟きながら、首を傾げる。
書類の山に埋もれた疑問
事務所に戻ると、デスクの上に置かれていたのは分厚いファイルと、サトウさんの一言メモ。
『この仮換地、どう考えてもおかしいです』とだけ書かれている。
彼女がそう言うなら、必ず何かある。私は溜息をついて椅子に沈んだ。
サトウさんの冷静な視線
「シンドウさん、この立会い署名、印鑑の向きが全部同じですよ」
ファイルを指差すサトウさんは、まるで刑事ドラマの監察医のような冷静さだ。
「コピーを切り貼りして作った可能性、ありますね」と、目も合わせず言ってのけた。
区画図に隠されたひとつの矛盾
手に取った仮換地指定の図面には、微妙なズレが記載されていた。
公図上の境界と、実際の仮換地の線がずれている。しかも、そのズレが私道の一部を飲み込んでいた。
「このズレ、誰かにとって都合が良すぎるな……」私は独りごちた。
記憶にないはずの立会い印
亡くなった地主の名前が入った立会い印。それは一年以上前の日付で押されていた。
しかし、相続人である娘は「父は寝たきりで署名なんてできない状態だった」と証言している。
私はその時点で、この登記に仕掛けられたトリックを確信した。
やれやれと呟く午後三時
「やれやれ、、、午後三時にこの情報を精査しても、頭がついていかないよ」
私は机に額をくっつけながら、サトウさんが入れてくれたブラックコーヒーをすする。
「疲れた脳には糖分ですね」と言いながら差し出されたのは、なぜか磯野家印の瓦せんべいだった。
亡き地主が残した古い地積測量図
地主の遺品から出てきたのは、手描きの測量図。日付は30年前。
そこには、仮換地が指定された地番とは異なる本来の土地形状が描かれていた。
私はその図と現行の図面を並べて、ピースがすべて揃ったことを感じた。
隣地トラブルという表の顔
表向きは単なる境界トラブルとして処理されていたこの案件。
だが実際には、隣地所有者が意図的に境界を変更し、仮換地を乗っ取っていたのだ。
不動産屋を通じて、その地にアパートが建てられる予定だったという情報が入ってきた。
過去の登記簿が語る真相
私は登記簿謄本の過去記録を洗い直し、十年前に一度だけ同じような境界変更が申請されていたことを突き止めた。
しかも、その時も同じ司法書士が担当していたという偶然。
いや、もはや偶然ではない。意図された連鎖だ。
一通の封筒と震える筆跡
仮換地申請書の裏に貼られていた封筒には、地主の筆跡と思われるメモが同封されていた。
『わしの土地を守ってくれ』と、震える文字で書かれていた。
その封筒を見つめながら、私は静かに拳を握りしめた。
消された筆界と遺産分割協議書
決定的だったのは、法務局に提出されていないもう一通の遺産分割協議書のコピーだった。
そこには、この土地が本来次女に相続されるはずだったと書かれていた。
つまり、誰かがその協議書を意図的に握り潰したということだ。
仮換地指定の裏側にいた男
隣地所有者と結託していたのは、町内会長をしていた人物だった。
彼は旧地主と古くからの知人で、その信頼を利用して境界の再指定を誘導していた。
その手法は、まるでルパンが変装して金庫を空けるように巧妙だった。
土地家屋調査士の沈黙
協力していた調査士に問い詰めると、彼は黙って頭を下げた。
「仕事が欲しかっただけなんです」と、小さな声で答えた。
正義と生活の狭間で揺れるプロフェッショナルの姿に、私は複雑な思いを抱いた。
解決と再び閉ざされる土地の声
すべての証拠が揃い、私は司法書士として報告書を法務局に提出した。
その土地は正式に次女へと相続され、仮換地の不正も取り消された。
だが、真実を語った地主はもういない。土地の声は、再び静かに沈黙の中に閉じていった。